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理性だって常識だってそれなりにある。

世間体だって案外気にしてたりする。

禁じられた遊びに惹かれる子どもじゃない。

気になってる女がいるからって、簡単に手をだしたりはしない。

ましてや相手が十ちかく離れた教え子なら。

尚更、慎重になる。

欲にかられて溺れて。
自分をコントロール出来ない程のめり込んだりはしない。

いわゆる。
面白くない大人だ。


屋上のフェンスにもたれかかりながら、何を見るともなく煙を吐いた。

テスト期間の良いところは、早い時間に校内が少し静かになる事だ。
いつもなら騒がしいこの場所が、雑多な世界から孤立したかのように感じられる。

特にここは。

銀八は雲ひとつない嘘みたく青い空を見上げる。

青にも色々あるように、生徒の色も様々だ。

教師という仕事に、自分はむいているとは思わない。
だが、生徒たちの相手をするのには慣れた。

問題児ばかりのクラスを受け持ち、普通なんて言葉を忘れてしまいそうな毎日を過ごす。
目まぐるしく過ぎていく日々の中にいると、自分が教師である事すら忘れそうになる。

そして、教師である事を忘れて。

生徒に恋をしてしまう。


「志村」

平常心。
生徒の名前を呼ぶだけで心が乱れる事はない。

「はい、先生」

平常心。
先生と呼ばれるだけで心がはねる事もない。

クラスの行事予定を義務的に話すだけ。

「わかりました」

いつも通りの微笑みをうかべながら、生徒は銀八を見上げる。

一瞬の思考停止。

見惚れてしまう。

こんな風になるのが嫌だった。

「…ああ。じゃあな」

銀八はごまかすように表情を堅くした。
感情なんて1oもだしたくなかった。


あの黒目がちな目が細くなる時。

今まで通りにふざけることもできず、今更本気になることも躊躇われ。
ただ沈黙してしまう。

生徒の微笑みは誰にでも平等で特別な意味なんてない。

特別な意味なんて欲しくない。

それなのに、特別な意味を見出だそうとしている自分がいた。

矛盾した独占欲。

先生の目は死んだ魚みたいだ――

と、誰かに言われたのを不意に思い出した。

上等だ。
生徒にこんな視線をむけてしまうくらいなら、腐ってしまった方がいい。
先生と呼ばれるたびに強力な制御装置がはたらいて、生徒を生徒として認識する。

平常心を保つ。
無表情もうまくなった。

今更恋なんてするもんじゃない。


一色だった青に白い線がはいる。
餓鬼が喜びそうな綺麗な飛行機雲だ。

正直、芽生えた想いを持て余していた。
柄にもなくこうやって静かな屋上で物思いにふけってみても、飛行機雲ってなかなか消えねえなぁ…。とか、そんなくだらない事ばかり。
想いは持て余したまま。


銀八はフェンスから体をおこすと何気なく向かいの校舎に眼をむけた。
大部分の生徒は下校したが、それでも何人かの姿が見えた。
誰も屋上にいる銀八には気付かず、友達とじゃれあったり話したり。
明日にむけて、勉強してる姿も見えた。
たいした興味もなくて。
暇つぶしに眺めているだけ、それだけだった。


視界に黒髪が流れる。
思わず眼が追う。
凛とした横顔に平常心がぐらついた。 今更恋なんてするもんじゃない。
ましてや相手が生徒だなんて。

そう言い聞かせていた自分の節操のなさに、自分で呆れかえる。
それでも想いを抑える自信はあったし、無関心を装うことは得意だった。
俺は、面白くない大人だからだ。


不意に、黒い硝子玉が銀八を捕らえた。
きらきらと光を帯びてる様にもみえる。
視線の合わさった次の瞬間には、いつもの微笑みがうかぶはず。
そうしたら軽く手を振って。

それでおしまい。

生徒との距離なんてそれで充分だった。
それ以上でも以下でもなく、今の一定距離を保ったまま別れの季節をむかえる。

それでいいと思ってた。

1…2…3…4…5…

無意識に頭の中でカウントする。
きっちりと測ったかのように5秒間。

生徒は目を逸らし何事もなかったかのように立ち去った。
その姿を見送ることもなく銀八の視線は虚空をさ迷った。

「…」

微笑まなかった。

瞳に白衣を映したまま
まばたきもせず
ニコリともせず

彼女は微笑まなかった。


「ぁちっ!」

煙草の灰がフェンスにかけてた手の甲に落ちる。
突然感じた熱に思考は屋上へと引き戻された。
灰を払いながら、生徒の居た場所に視線を移す。
彼女の姿は見えない。

安堵し、落胆した。


銀八はフェンスに背中をつけて空を見上げる。
飛行機雲はまだ少し残っていた。

なぜか可笑しくなり一人で声をだし、笑った。
こんな姿を見られたら、気が狂ったと思われても仕方がない。

持て余していた想いが、主張しはじめている。
穏やかな動揺が心地よくひろがっていた。

彼女は俺を見つめた。
彼女は微笑まなかった。

そんな行為に特別な意味を勘繰ってしまう自分が可笑しかった。

理性だって常識だってそれなりにある。
気になってる女がいるからって簡単に手をだしたりはしない。
そう思ってた。

それがどうだ。
年下の女の子に少し見つめられただけで、こんなにもいかれちまってる。

「めんどくせえな」

乱れた呼吸を整えて銀八は呟く。
言葉とはうらはらに、その表情は柔らかだった。

欲しいとか奪いたいとか
そんな衝動にかられたわけじゃない。
切ないとか愛おしいとか
そんな感情に少し似てて少し違う。

忘れるつもりはなかったが行動するつもりもなかった。

でも今は違う。
問題は山積み。
障害は山ほどある。
そんな面倒な事実を知っていたとしても、自分の想いには逆らわず、彼女に近づいてみたいと思ってしまった。


銀八は空を見上げる。
飛行機雲はすっかり消えて空は青一色。
だが、何色に染まっても空は空で。
どんな想いに囚われても自分は自分でしかない。

当たり前の事が見えなくなっていた。
いわゆる、大人だったから。

ふざけることも本気になることも出来ずに。
沈黙する。
それでも自分自身は変わらない。


今更恋なんてするもんじゃない。
そんなのはわかってる。

それでも俺は、確かに彼女に恋をしたんだ。



「恋なんてするもんじゃない」

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