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夏の夜空に色とりどりの花が咲く。大きなもの、小さなもの。去年の自分はそれを誰と見ていただろうか。そんなことを妙は頭の隅で考えていた。現実逃避なのかもしれない。
目の前に差し出されたものから無意識に目を逸らそうとしている。それが何かも分からずに。


◇◇


「あっつ、なんだこれ」

銀時が苦虫を噛み潰したような顔で低く呻いた。玄関の鍵を開けた途端、中にこもっていた温い空気が肌にまとわりつく。覚悟はしていたが、閉めきっていた万事屋の中はうっそりとした空気に満ち溢れていた。

「外より家ん中のがあついのかよ。最悪だな」

ぶつぶつと愚痴りながら家に入る銀時に続いて、「お邪魔します」と妙が玄関に立つ。

「ああそうだ、お妙」
「はい?」
「おれすぐ風呂入るから、向こうで適当に寛いでて」

台所から出てきた銀時が妙に湯飲みを差し出した。

「ほらよ。茶くらい出すっつったろ」
「ありがとうございます」
「あーそれと、それ飲みながらでいいから向こうの部屋適当に窓開けといて」
「はい」
「じゃあよろしくー」

銀時はひらひらと手を振り、そのまま台所の奥に姿を消した。あの先に風呂場があるのだろうか。たまに訪ねて来ているとはいえ、妙はこの家では客の立場だ。詳しくは知らない。
廊下の突き当たりの戸を開き、妙が唯一よく知る居間兼事務所へと足を踏み入れた。

「静かね・・・」

いつもの騒々しい万時屋とは随分と雰囲気が違う。まるで知らない家のようだ。
テーブルに湯飲みを置き、隣にある和室に向かう。大きな窓を少し開けると、夜風と共に花火の音が滑り込んできた。外の空気が肌に触れて、妙はゆっくりと深呼吸をする。少し汗ばんでいた首筋に涼やかな夜風が心地良い。

『───俺に女がいたり、お前を女扱いすんのがそんなに珍しい?───』

不意に銀時の言葉が頭に過ぎった。図星だった。だから何も言えなかった。銀時は男で、男が女にする当たり前のことを銀時がしているだけ。それは分かっているのにどうしても心が追いつかない。
何かを振りきるよう短く息を吐くと、妙は居間に戻り、冷たいお茶を喉に流し込んだ。

「・・・おいしい」

こんなふうに飲み込めてしまえたらいいのに。何もかも上手く飲み込んでしまえば、この不可思議な感情は消えるのかもしれない。
妙はそっと自分の手に視線を落とした。銀時がさりげなく掴んだ手。優しく壊れ物でも扱うように。グラスを落としそうになった時とは違う、意思を持って触れた手。あれはまるで、男が女に触れるときのようだった。

「───ボサっとしてるとまた落とすぞ」

静寂を突き破る声に深く沈んでいた思考が一気に浮上する。

「銀さん」
「こっちは涼しいな」

上半身裸に首からタオルをさげた銀時が部屋に入り、ソファにどかっと腰を下ろした。

「早かったですね」
「風呂に水張んの忘れてたから入れねえんだよ。水かぶっただけ」
「あら、そうなんですか」
「結構気持ち良かったぜ」
「夏限定ですけどね」
「まあな」

ガシガシと髪を拭く銀時の顔は見えない。しっかりと使う筋肉がついた身体に水滴が飛んだ。

「そういやたま達も行ってるらしいな。花火大会。ババアが言ってた」
「そうなんですか。今夜は晴れて良かったですね。雲も少ないですし、花火日和だわ」

妙は銀時の机の後ろにある格子窓から夜空を見やる。こんなふうにみんなで見上げているのだろうか。

「みんな会場で会ってるかもしれませんね」

来年は一緒に行けたらいいなと笑みが浮かぶ。

「アイツらが揃って変な騒ぎになってなきゃいいけどな」
「ふふ、銀さんがいないから大丈夫じゃないですか」
「おれはとばっちりを受ける側だっつーの」

雑に髪を拭いていたタオルを首にかけ直し、銀時がすっと立ち上がった。ぐしゃぐしゃになった髪もそのままに、窓の前に立つ妙の横に並ぶ。距離が近い。

「こっから花火は見えねえんだな」
「隣の和室からなら見えましたよ」
「ふうん」

銀色の髪から拭いきれなかった水滴が妙の着物に落ちた。湿った感触が熱をもつ。

「今年の花火もこれで終わりかね」
「あそこの花火大会が毎年一番最後ですし、そう思うと何だか寂しいですね」

妙はさりげなく目線をずらした。銀時の肌を見るのは初めてではないのに、なぜか見てはいけないものを見てしまった気になる。理由は分からない。ただ、心の中で誰かが妙に囁くのだ。知らないふりを続けろと。

「見る?」
「え?」
「花火」

窓にもたれたまま銀時が妙に視線を向ける。

「そっちの部屋から見れるんだろ」

くいっと顎で指し示した先は隣の和室だ。確かにあの部屋からは花火が見える。

「いいんですか?」
「みたいテレビがあんならそっち見てもいいけど」
「いえ、せっかくですから花火が見たいです」

妙の顔が一気に綻んだ。嬉しくて自然と笑みが浮かぶ。少し遠いが、あの窓辺から充分に綺麗な花火が見えるのだ。

「まだやってるよな」
「始まったばかりですから。今なら充分見れます」
「良かったじゃん」
「あ、銀さんはどうされますか?灯りを消しても大丈夫ですか?」

自分の家で花火を見る時は部屋の灯りは消していた。それが当たり前だと思っていたからそう言ったまでなのだが、銀時が無言のまま自分を凝視しているのを見て、妙は不思議そうに首を傾げた。

「あの、私何か変なこと言いました?」
「あー、いや」

目を伏せた銀時が低く笑う。溜め息のようなそれは苦笑いにも受け取れた。

「灯りを消した部屋で一緒に花火を見んの?」
「銀さんも花火見たいかなって思ったんですけど、無理を言ってすみません」
「いや、そういうこと言いたいんじゃなくてな。あーなんか、分かったって感じ?」
「分かった?」
「そんなふうだがら、酔っ払いの口車にのってノコノコ家までついてきちまったんだなとか」

いつも通りの素っ気ない話し方なのに、笑いまじりの声は少しだけ冷たく聞こえた。

「男が夜家に誘う理由って何だと思う?」

妙は戸惑い、瞳を揺らす。傍らに居る銀時は、知らない男のようだった。男が女を誘う理由くらい妙にだって分かる。だがそれは男が女を誘う理由だ。銀時が妙を誘う理由とは違う。銀時はそんな存在ではない。少なくとも妙にとっては。

「───まあいいけど」

妙に答えは求めてなかったのか、軽く肩を竦めた銀時はそれ以上聞いてはこなかった。

「おれ酒取ってくるわ」

無表情でそう告げると、面倒そうな足取りで部屋を出て行く。ペタペタと裸足で歩く足音が小さくなったところで、妙は自然と握り締めていた手のひらをゆっくりと開いた。


◇◇


「・・・銀さん、何かお手伝いしましょうか」
「あーそうだな」

台所の入り口から声をかければ、振り返った銀時がいつも通りで安心する。

「何か探してるんですか」
「つまみがねえかと思って」
「じゃあ私が玉子焼き作ります」
「その手伝いはいらねえ」
「遠慮しなくてもいいのに」
「遠慮してねえから、全力で拒否ってるから」

いつものように言い合いをしていると、その合間を縫うように玄関の呼び鈴が鳴った。一瞬みんなが帰って来たのかと思ったが、玄関にうっすらと映る影は神楽達のものではない。

「アイツら帰って来た?」
「いえ」
「ああ、客か」
「多分そうだと思います」
「こんな時間に珍しいな」

依頼人ならば一応話を聞かなければならない。会って話しを聞くまでは受ける受けないの判断さえできないからだ。

「ちょっと事務所使うわ」
「ええ、じゃあ私は」
「お前はそこに居ろよ」

邪魔にならないように帰ると言うつもりが銀時に先手を打たれてしまった。やはり銀時は妙を一人で帰すつもりはないらしい。家主である銀時がそう言うならと、妙は素直に頷いた。また呼び鈴が鳴る。

「はいはい、どちらさま」

面倒なので片手に酒を持ち上半身裸のまま玄関に出る。扉を開けると確かに客がいた。

「───何か用?」

そこに立っていた人物を見ても銀時の表情は変わらなかった。

「こんばんは、銀さん」

銀時の肩ごしに見えた姿に妙は目を瞬かせる。手入れをされた長い髪の綺麗な女性。数時間前にお登勢の店で会った、あの日銀時と話していた、銀時の昔の恋人がそこにいた。


続く
2014/04/17
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