神威の言葉は唐突で突拍子もないことが多いので、彼と話すとき妙はいつも眉尻を少し下げ、困ったように笑う。
そんなふうに妙が微笑むとき、神威は彼女に頬をすり寄せて、「ごめんね」と目を閉じた。
「きれーだね」
傘の軸を肩に引っ掛けて、神威は手すりの上にしゃがんで言った。
秋も深まった夕刻の頃。
町外れの橋の上。
「ええ、本当に。綺麗な夕焼け空ですね」
「ゆーやけ?」
「あら」
妙は小首を傾げた神威を見やる。
「夕焼けをご存知ないの」
「知ってるよ。これに名前があるって知らなかっただけ」
傘をくるりと回しながら、「ゆーやけ、ね」とぽつり呟く。それが可笑しくて、妙は口元にうっすらと笑みを浮べた。
「この星の人は変わってるね」
「そうかしら」
「あんな触れもしないものに名前をつけて、何が楽しいのかなぁ」
「さあ、なぜかしらね」
橋の上から眺める夕焼けも趣きがあって良いと妙は思う。広い視界を染める暖かな色はどこか物悲しくて、まるで世界に一人きりで取り残されているような気分になった。
「本当に綺麗ね」
そう言って微笑む妙を一瞥して、神威は目を細める。
「きれいだけど、触れないなら意味がないよ」
「どうして触りたいの」
「触れないと壊せないでしょ。ねえ、目をとじて」
お願いというよりも強制に近い言葉に、妙は逆らうことなくゆっくりと目を伏せた。神威の指先が薄い皮膚に触れる。
「貴方はなぜ壊したいの」
「うーん」
瞼に触れる指先は、眼球の感触を楽しむように動いたかと思うと、そのまま鼻筋をなぞり唇に触れた。
「そういう『血』だからかなあ。よく分かんないや」
感触を確かめるように、指先は淡い色した唇の端から端までなぞっていく。
「でも、壊したいと思えるモノなんて滅多にないけどね」
ふ、と笑った気配に、妙はそろりと瞼を上げた。視界には神威の笑顔。片手に傘を持ち、手すりの上にしゃがみこんだまま器用に妙に触れていた。
「何を考えてるの」
「ん?どうしようかなって考えてるよ」
周りに人の気配はない。あまりに不自然で、もしかしたら何か理由があるのかもしれないと妙は思うが、そのことには触れなかった。
唇をなぞっていた指が頬へとすべる。
「ここはきれいだし、あのお侍さんも面白いから興味があるけど、もうそろそろいいかなって思ってさ」
無邪気な笑みはそのままなのに、妙は心臓を掴まれた気がした。
「綺麗なら星も壊すの」
「きれいならキミも壊すよ」
落ちた指は細い顎をすくい上げる。こんなに近くにいるのに二人の視線は重ならない。神威はこくりと動く白い喉を見ていたから。
「オレが怖い?」
愉しげに笑って、顔を横に傾け生白い喉をべろりと舐める。
「大丈夫。ここに痕をつけるだけだよ」
そう言って、神威は唾液で濡れた肌に躊躇なく噛みついた。ピリッとした痛みに妙は顔をしかめる。充分加減はされているが、皮膚は裂け、血も滲んでいるはずだ。神威は妙の身体に消えない傷痕が残るような行為はしないが、痛みを与えることに躊躇はない。丁寧に扱うが、決して優しくはないのだ。それは妙がどうこうというよりも神威の性質によるものなのかもしれない。もしかしたらそれが神威の言う『血』なのだろうか。
「うん、いーね。きれい」
つけた痕を舐め、神威は機嫌良さそうに顔を離した。
傘を持つ手を変え、くるりくるりと回して笑う。
「ゆーやけみたいに赤くてきれいだよ。この星はきれいなものがたくさんあるから、やっぱり好きだな」
妙は自分の喉に手をあてた。ぬるりとした感触が指先から伝わり、それは体液だと理解する。傷痕に指先が触れ痛みが走る。しかし傷は深くないようだ。妙からは見えないが、きっと綺麗な傷痕なのだろう。どうやればいいのか、神威は教えられずとも理解している。彼は人ではなく、自由な獣なのだから。
「私もこの星と、ここに住む人たちが大好きです」
息を吐くように妙は囁く。
「だから、貴方が私の護るものを壊すと言うなら、私は命をかけてそれを護ります」
「護るってなに?妙がオレと殺り合うってこと?」
神威は首を傾げる。誰かのために、という行為が彼には理解できない。
「妙は弱いから、手加減しても殺しちゃうかもしれないよ」
「それでも構いません」
彼女の黒い瞳が徐々に細くなり、赤い目尻がふわりと下がった。彼女はいつもこんなふうに、神威を見つめながら少し困ったように柔らかく笑うのだ。
どくり、と心臓が跳ねる。
「妙はきれいだね」
身体の内側から熱くなっていくのに、頭の中は静かに冷えていく。
「きれいだから、本当はずっと壊してしまいたかったんだ」
彼女は分かっている。神威が何を考え、何をしようとしているのか。それを止める代わりに自分がどうなってしまうのか。それが分かった上で、彼女は神威に笑いかけているのだ。
「それでも私は貴方を嫌いになれないの」
優しくいとおしむような笑顔。こんな赤い空よりも綺麗なもの。
「きれいだと思った人間って妙だけなんだよね」
どくりどくりと血が沸き立ち、欲を帯びた本能が叫び始める。
「次は消えない痕を残したいな。いつか壊したいのはキミだけだから」
でも今はこのままで。
もう少しだけこのままで。
沸き上がる血の衝動を抑えるために、神威は妙にそっと頬をすり寄せて、「好きになってごめんね」と目を閉じた。
きれいだとおもうよ、
それいじょうなんてないとおもうよ
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2012.12.18
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