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この時間になるとさすがに人通りは皆無だった。
町の方に出ればまだ多少は賑わっているだろうが、ここには静寂しか存在していない。
そんな場所であるから、どんなに小さな物音も耳に入ってくる。
今、土方に近付きつつある足音も。

「・・・土方さん」

いつもより心許ない声。
暗闇から現われたのは土方がよく知る女だった。
土方だけではない、真選組の誰もが知っている女。
志村妙だ。

「仕事帰りにしては遅い時間だな」
「ええ。少し思うことがありまして、気晴らしにと歩いておりました」
「うちのもんが迷惑かけてるせいじゃねえといいが」
「いえ、皆さんにはよくしていただいてますから」

妙がそう言って笑うと、土方は「そうか」と短く頷いた。
局長である近藤が妙に惚れ込んでいるためか、真選組の隊士は気持ちの大小はあれど妙に対して好意的であった。
近藤が隊士を連れて妙の働く店に来るのもよくあることで、飾り気のない彼らは客としても人間としても好ましい男達だった。
だが、副長である土方だけは違った。
酒の場に居ても妙と馴れ合う気はないらしく、はっきりと一線を引いている。
これ以上は近付かないと、伏せた黒い瞳の奥で拒絶しているのだ。

「貴方はこれからどちらへ?」
「仕事だよ、お妙さん」

土方が唇の端をささやかに上げる。
髪も瞳も黒い男は、まるで夜そのもののようだった。
原始的な恐怖を感じ、妙は微かに身を縮ませる。

「夜が怖いのか」

妙の様子を目敏く見抜いた黒い瞳が細くなった。

「それとも俺が怖いか」

土方が小さく笑った。
山崎に使った断り文句がどうやら本人に伝わっているらしい。

「ええ。真選組も貴方も怖いです」

妙は眉を下げ、申し訳なさそうに微笑む。それは山崎に対しての牽制の言葉であったが、妙の本音でもあった。
真選組の男達は皆酒好きで、そして妙に優しかった。
しかしひとたび任務が下りれば、酒を飲む手は刀を抜き、妙に触れた手は血に染まる。
そういう世界で生きているのだ。
近藤も沖田も山崎も、皆優しい。
しかし彼らの優しさにはいつも相反するものがつきまとっていた。
特に夜を纏った彼らは。

「あんたが正しいよ。国の組織だと言ってどんなに外面を取り繕っても、所詮は人斬り集団だ」

何かを護るために、誰かの恨みをかうような生き方をしている。
それは妙とは全く別の生き方だった。

「邪魔したな」

黒い靴が砂利を踏みつけ、その場を去ろうとする。
そんな土方を、不意に妙が呼び止めた。

「なんだ」
「ここ、煙草の灰が落ちてますよ」

指差したのは背中の裾の辺り。

「ああ、気付かなかった」
「お脱ぎになって。そのままにしてたら白く跡が残りますし」
「別に構やしねえだろ」
「真選組副長さんが大事な仕事の前に隊服を汚しているだなんて、示しがつきませんよ」

いつもの土方なら、女の頼みなど素っ気なく断っていただろう。
なのになぜ、今夜だけは受け入れてしまったのか。
夜が全てを覆い隠すように、土方の頑なな心も隠してしまったのかもしれない。
それとも、ただの気まぐれか。

「今夜は煙草を吸われてないんですね」

黒い隊服の上を白い指先が滑っていく。
闇夜の海の中を白魚が泳いでいるようだ。

「煙草の匂いがつくと困るんでな」
「あら、大変ですこと」
「仕事が片付いたら山ほど吸ってやるさ」
「ふふ、楽しみですね・・・さあ、これでいいわ」

話しながらも手際よく汚れをはたいていた妙が隊服を広げ、満足そうに頷いた。

「面倒かけたな」

と、土方が手を伸ばすが、妙はその手の横をすり抜けて土方の後ろに立つ。
予想外の行動に土方が反応できないでいると、妙が隊服を広げたのが分かった。

「さあ、どうぞ」

顔だけ振り返れば妙と目が合う。
笑顔で促され、土方は諦めたように広げられた隊服に手を通した。

「今夜はこの色によくお会います」

肩の位置を合わせ、襟元を綺麗に整える。

「貴方たちは夜を纏っているみたい」

人を斬りに行く男に相応しい言葉など妙には分からない。
どうぞご無事で、と声をかけることも違うと思った。

「あんたには太陽が似合うな」

ふっ、と土方が笑えばきつい目尻が下がり、微かに笑い皺ができる。
鬼と呼ばれるこの男が、こんなにも柔らかく笑うことがあるのだと妙は初めて知った。

「貴方もきっと、太陽が似合うんじゃないかしら」

男の笑みを見て、土方のことが少しだけ理解できた気がした。
近藤は土方を優しいと言うが、確かにそうなのかもしれない。
厳しい眼差しも緩やかな拒絶も、不器用で言葉足らずな彼なりの妙を気遣う優しさなのだろうか。


黒を纏った男は、闇夜の奥へと消えていった。

2014/5/28
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