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「お邪魔しやーす」

ある冬の日。
気の抜けた挨拶と共に現れたのは今ではすっかり見慣れた隊服の少年だった。
出迎えた妙は沖田の頭や肩にある名残を見て、雪が降り始めたのだとそのとき気付いた。

「こんな日にわざわざお越し下さって申し訳ないですけど。今日はまだ近藤さんはいらっしゃってませんよ」
「ああ、そうですかィ」

隊服の雪を払い落としながら沖田は返事をする。まるでそんな事には興味がないとでもいうような態度だ。しかし沖田がここを訪ねる目的などそれしかないだろうにと、妙は訝しげに沖田を見つめた。

「これ」

と、沖田から手渡されたのは膨らんだビニール袋。

「姐さんは寒い日に暖かい部屋で冷たいもんを食べるのが好きなんですって?」

そう言われて袋を覗きこめば、妙の好物がごろごろと転がっていた。

「ええ、好きよ。でも、どうして知ってるの?」
「姐さんの噂はよく耳にしやすからねィ」
「だから買ってくださったの?それとも、貴方の上司の日頃の行動に対するお詫びかしら」
「どうとでもとってくれて構いやせんぜ。姐さんのお好きになさってくだせェ」

とんとん、と黒いブーツについた雪を落としながら、沖田は目線を下げたまま話す。妙の質問に答えているようで、肝心なところをはぐらかしているような返答だ。このような対応は今に始まったことではなく、沖田はいつも上っ面をなぞるように話すだけで本音を語ることはない。しかしそれで済むような間柄であるから、妙は曖昧に笑んでみせただけだった。

「せっかくですから、どうぞ」
「すいやせんね」

妙が家に上がるように促せば、沖田はためらいなくそれを受けた。元からそのつもりだったのだろうか。違うとしてもあの無表情からは何も読みとれないし、今までも近藤の迎えのついでに休んでいくことはあったので、妙は特に気にしなかった。

「姐さん、それ持ちやしょうか」
「ああ、いえ」

自分が渡した袋を妙が両手で持っているのを見とめ、沖田がすいっと手を伸ばす。
そのとき触れたのは、ほんの少しだった。
指先と手の甲がほんの少し重なっただけ。
その瞬間、その手の温かさに、その手の冷たさに、互いが互いに息を飲んだ。
強く動揺したのは沖田の方だった。
沖田自身、自分がこんな反応をしてしまったことに驚いていた。それはどこか怯えているような、不可解な感覚。
思わず舌打ちが漏れる。
他人によって呼び起される感情など不愉快でしかないからだ。

「―――沖田さん。ちょっといい?」

そう言って、妙は持っていた袋を足元に置いた。冷えた板張りの上ならばすぐに溶けてしまうことはないだろう。

「なにか御用で」
「ええ。それ、貸してくださる?」
「・・・何をお貸ししやしょうか」

突然の申し出に少々面食らいながらも、沖田は言葉を返す。
背筋を伸ばした妙が沖田を瞳に映しながら、両の手を差し出した。

「貴方の手を貸してちょうだい」

妙は笑っていなかった。
彼女が笑っていないところを沖田は初めて見た。
それと同時に、あの笑みは盾であり刀であったのだと理解する。
妙が微笑むから、沖田は無関心を貫き通せる。だから、必要以上に近づくことも近付かれることもなかったのだと。
武装を解いた女に沖田は逆らえなかった。
ふっくらとした手のひらに惹かれるように手を置く。

「やっぱり冷たいわ」

二人の背丈はほとんど変わらない。しかし沖田の手は妙よりもひと回りほど大きかった。
長い指、骨張った節、ささくれてこわばった皮膚、硬い手のひら。
どこか懐かしくも尊敬の念すら感じるそれは、刀を振るう者の手だった。

「随分と鍛練されてらっしゃるのね。お強いはずだわ」
「・・・それしか取り柄がねえだけですぜ」

拗ねたような口ぶりに妙は小さく笑って、沖田の手を両手で包みこんだ。
細かい傷が散らばる手の甲に温い熱が覆いかぶさる。
指先の痺れがとれていくのを沖田は感じていた。指先だけではなく、皮膚の下に流れる血液が温まり、それが全身を巡っていく。

「外は寒かったのでしょうね。赤くなっていたもの」

妙は手を胸元に寄せた。嫌がるかと思った男は素直にされるがまま。茫然と自分の手を包む妙の手を見つめていた。
男にしては色白だと言われるが、やはり女の白さには敵わない。雪が降り積もっているかのように、沖田の手はやわく包まれていた。それが雪と違うのは、生き物特有の熱をもっていることか。沖田の心の奥底に隠していたものまで溶かしてしまう、誘う熱。
他人と熱を分け合うほどの接触は、沖田にとって不快でしかないはずなのに。皮膚の上をやわい手のひらが撫でるたび、心がざわつき、何かが弾け溢れそうになる。
沖田の顔が苦渋で歪む。
とても腹立たしかった。
仮にも真選組の隊長である自分が、たかが女一人に感情を揺さぶられてしまっているのだ。特別な関わり合いもない同い年の女相手に揺り動かされてしまった感情。その正体に沖田は気付いてしまっていた。
愛だの恋だのに大した興味もないし、他人にかける必要以上の愛情など持ち合わせていない。たとえそれを得たいと沖田が望んだとしても、彼女だけは対象外になるはずだった。
彼女だけは選べないのだ。
彼女を渇望しても届かないことを知っていたから。
彼女は、あの人が惚れている女だから。

「姐さん」

目を伏せ、絞り出すように言葉を落とす。

「俺は知ってたんですぜ。・・・あの人が今日いないって」

沖田は顔を上げ、そこにほんの少しだけ笑みを滲ませた。

「知ってたから、会いに来たんですぜ」

あの人を裏切れないのだ。
渇望を捨て去れないのだ。
ならば全て認めてしまえばいいと沖田は安堵する。
そうすれば、後は忘れてしまうだけでいい。
春の訪れを静かに受け入れて消えていく雪のように、何もかも跡形もなく溶けて消えてくれたならきっと、きっと忘れてしまえるから。
欠片一つ残さず、疼きだけを残して。
沖田はゆっくりと俯き、白い手の爪先にそっと唇を寄せる。
心の奥で願ってしまった未来の全てを諦めるように。


「彼女の名前をあの人よりきれいに呼べる自信がなかった」

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2011.3.8
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