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誰かを斬ったことはありやすか?



妙は視線すらこちらに向けないまま言葉を投げてきた沖田の後ろ姿を見つめた。
少し湿った髪はいつもより濃い色に見える。それでも彼の髪は妙よりも淡くて、それがどことなく儚さを感じさせた。
妙は膝の上に置いた濡れた着物に目を落とす。この着物は沖田のものだ。妙が丁寧に汚れを落とし、綺麗に洗った黒い隊服。それを妙はただじっと見つめた。少し厚手の生地はじっとりと重く、それがこの隊服を纏う者が背負うものの重さなのかもしれないと、そんな戯れ言が脳裏を掠めた。

「生きていくことに精一杯だったから・・・そんな暇はなかったわ」

そう告げて、妙は隊服を手に立ち上がり縁側へと向かった。沖田の横を通り抜け雨戸をガタリと引き開けると、風が吹き抜け部屋の灯りが揺れた。
やはりと言うべきか、そこは夜の闇が広がる世界だった。千切れて流れる黒い雲が月を飲み込み、そして吐き出す。乾いた風が妙をさわりと舐めていった。風があるならば夜明けまでには湿った隊服も羽織れる程度には乾くかもしれない。
砂利を踏みしめる音が闇に響く。月明かりの中、庭に置いてある物干し竿に黒い隊服がふわりと揺れた。



閉められた雨戸が時折ガタガタと音をたてる。部屋の中は閉めきられているので、灯りといえば窓から差し込む月の光と行灯のみ。
行儀悪く足を投げ出し座っていた沖田がゆるりと振り返った。
妙の黒い髪が行灯の明かりに照らされて、きらきらと星屑を散りばめたように艶やかな光を帯びていた。伏せた睫毛は上がることなく、その瞳が沖田を映すことはない。
彼女が手にしているのは沖田の白いシャツ。上着のおかげで汚れはしなかったが、取れたボタンに気付いた妙が丁寧に縫い付けてくれていた。

「斬るときは、貴方はどういう気持ちなのかしら」

淡々とした口調で妙が訊ねる。顔は上げない。わざとかもしれない。それでいいと沖田は思った。そうであれば、彼女を何の躊躇いもなく見ることができるのだから。

「さあ……どうかねィ。口では何とでも言えるけど、本当にそう思っているかと問われちまったら……返答に困りまさァ」

ゆったりと白い布地の上を動く妙の生白い手を目で追いながら、考え考え言葉を繋ぐ。妙はどんな気持ちであれを洗ったのだろうか。透明な水が赤色に濁っていくのを、どんな気持ちで見ていたのだろうか。

「殺したくなくても斬れるの?」
「斬れるもんですぜ」
「迷わない?」
「迷っているうちにこっちが斬られまさァ」

沖田の言葉に妙は「そうね」とだけ返し、また口を閉ざした。
二人の間にほとんど会話はなかった。普段からそうであるし、心を許し言葉を交わし合う間柄ではない。こんな夜更けに一つの部屋で過ごすような関係では全くないのだ。好む好まない以前に、ほとんど互いを知らない。その程度の繋がりしかないと、沖田も妙も互いに思っていた。

「慣れましたか」

沖田は妙の身体をなぞるように目線を上げた。
視線がぶつかる。

「人を斬るのには、慣れましたか」

一瞬、眼球の表面が波立ったのは気のせいだろうか。

「慣れるもんじゃねえですぜ」

二人の声が少しだけ震えているように聞こえたのも、気のせいかもしれない。
ガタリ、と雨戸が軋む。
黒雲に飲まれ、月明かりが陰る。
無言の中、微かに睫毛を伏せた妙が小さく、本当に小さく、嬉しいのか悲しいのか分からぬような声で、吐息混じりに呟いた。
良かった、と。
その瞬間、妙の姿が水面に広がる波紋のように歪んで見えた。沖田はふい、と顔を背ける。

「俺は、人斬りとは、違うから・・・あんなもん、慣れるわけがねえ」

自分の意思とは反して言葉が途切れてしまう。鼻の奥が染みて痛い。沖田は抱えた膝に額を擦りつけた。

生きるために斬るのか、斬るから生きていけるのか。
分からないことが多すぎて、沖田も妙も口を閉ざすしかなかった。
答えなど出てこない、答えはないのかもしれない。
心細げな冷えた手に、柔らかな手が添えられる。
彼らはまだ十八だった。






血が滴る刀を手にしたまま月を見ていた少年に、家路を急ぐ少女が声をかける。
少年の薄い瞳が少女を映したとき、少女は無意識に手を差し出した。
少年はゆっくりと瞬きを繰り返し、そして闇を泳ぐように濡れた手を伸ばす。
乾いた風、むせ返る血の匂い、土埃、月明かり。
手と手が重なり合ったとき、少女の生白い手が赤く濡れる。
それでも少女は手を離さなかったから、少年はその温もりを握り返した。

壊さぬように、そっと。




ライオンと少女


title/けしからん
2010.12.12
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