「えええ!?」
あまりの衝撃に近藤の声が裏返る。
その声に妙は一瞬眉をしかめるも、いつものように怒るわけではなく、少し考えるように目線を下げた。
「そうよね、局長さんもお暇じゃないわよね。一緒にお茶でもと思ったけど……仕方ない、か」
「お茶って、おおお俺と?本当に俺ですか?誘う相手を間違えてませんか?」
「今ここに、あなた以外の近藤勲はいらっしゃるの?」
何を言っているのかと、妙は近藤の質問に質問で返す。そんな妙の様子にそれが夢でも幻でもないのだと近藤は思い知った。
「お妙さんと、お茶」
近藤はただ茫然と妙を瞳に映していた。惚れて、断られて、でも諦めきれなくて、恋焦がれた女の姿を見つめることしかできなかったのだ。
空が逆さまになって落下してきたような奇跡と衝撃。この感動を伝えるには言葉がいくつあっても足りないだろう。
そうこうしてる内に、言葉を発しなくなった男を訝しげに眺める妙の視線に気付いた。近藤は慌てて、呆けた顔を両手で引っ叩き意識を引き戻す。
「お妙さん。分かりました。男、近藤勲。誠心誠意全力でお妙さんのお茶の相手を務めさせていただきます!!」
「ええ。お茶しましょう」
近藤の力の入った宣言に妙が可笑しそうに微笑んだ。
「ねえ近藤さん。寝てもいいかしら」
縁側で隣り合い湯呑みを啜る時間は近藤にとって幸せな時間だった。会話はあまりなかったが、でも気まずいわけではない。ぽつりぽつりとお互いの仕事のことや新八のことなどを話し、ゆったりとした時間が流れていた。
そんななか、唐突に妙から切り出されたお願い。
「寝る・・・ですか」
「ええ、ここで」
何度も瞬きしつつ妙を凝視する。冗談を言ってるようには見えない。本気だ。
「ここで、今から?」
「そう。最近眠くてたまらないんですよ。今日はぽかぽかして気持ちが良いから余計に眠たいわ」
妙が口に手をあて欠伸をする。眠たいというのは本当らしい。妙の仕事柄、昼間に睡魔が襲ってくるのは当然かもしれない。では自分が居てはゆっくりできないだろうと、近藤は残りのお茶をガブリと飲み干した。
「お妙さんご馳走様でした!じゃあ俺は帰ります」
「あら、もう?」
「はい。もう十分です。今日はお妙さんとお茶を飲むことができ、とても幸せでした!」
満面の笑みで力説する近藤を見て、妙がふっと笑う。
「あなたの幸せは随分と簡単に手に入るのね」
「まさか!俺の幸せは宇宙で虹を見るくらい難しいものですよ!」
「私とお茶することがそんなに難しいの?」
「いやあ、その」
先ほどまでの勢いはどこへやら、近藤が照れくさそうに頭を掻いている横で妙がとろりと笑った。
近藤の表情が固まる。
この人はなんて甘い顔をするのだろうか。ひと舐めで舌先から脳髄まで痺れてしまうような、甘さしかない甘さ。
思わぬ感情に近藤は顔を伏せる。
どうしてだろう。
なぜか、泣いてしまいそうだった。
「俺が出たら縁側の鍵をかけておいて下さい。最近物騒ですからね」
「分かりました。あ、」
「どうしたんですか?」
「いいえ、枕を持ってこようと思っただけよ。私、枕がないと眠れないの」
「枕ですか。なら、俺が持ってきますよ」
「でも、どこに置いてるか分かります?」
「もちろんです。この家のことはお妙さんより詳しいですからね!!」
任せてくれとばかりに近藤がどん、と胸を叩く。余程眠たいのか、近藤の返事が大層変なことに妙は気付いていないようだ。気付いていたとしてもあまりの眠気で気にならないのかもしれないが。
「じゃあ枕を持ってきますね」
そう言って近藤が立ち上がろうとしたとき、くいっと袖を引っ張られた。
「――いい匂い」
振り返った近藤の動きが止まる。妙が至極自然な動作で近藤の袖に鼻を近付け、そしてしみじみと呟いたのだ。
焦ったのは近藤だ。
「おおおお妙さん!!」
かちこちに固まった近藤は妙を離すこともできず、ただされるがままになっている。
「お日さまの匂いね。ずっと日差しを浴びていたからかしら」
「あの、お妙さん」
「枕はもういいわ。ね、近藤さん。枕お願いします」
妙が手を離し、少し横にずれた。まさか。まさかあれなのか。近藤が妙と空いたスペースを交互に見る。
「膝枕、お願いします」
そのまさかだった。
揃えた脚の上に妙の頭がある。妙も近藤も顔を庭の方に向けているので視線は合わない。しかし、近藤にはもう十分だった。この奇跡の連続は何の前触れなのだろうか。妙とお茶をして、会話を交わして、こうやって膝枕まで。
「困ったな」
揺れる木々を眺めながら呟く。
「何が困ったんですか」
聞こえた声に近藤の体が微かに揺れた。起きているとは思わなかったからだ。
少し迷って、近藤が目元を緩めた。
「死にたくないのです」
動かない景色の中を舞う葉が横切っていく。
「俺は、ああいう仕事ですから。―――たくさん斬ってきました。生きる命を潰してきました。だから、自分もいつか誰かに斬られ、いつか誰かに命を潰されるのだろうと覚悟していました。明日は来ないかもしれないと思いながら今日を過ごしてきました」
風が頬や手をさらりと撫でていく。これが刀になる時がくるのだと、そう覚悟していた。
「覚悟をしていたからこそ、いざという時も躊躇せずに動けます。自分のできることを最大限やれるから、死に間際でも悔やまなくてすむ。しかし今は違うのです。もう少し生きていたい。まだ今は死にたくない。だから、困ってます」
こんなこと、あの副長が知ったら何と言うのだろうか。あの可愛げのない弟分が知ったら。近藤は目を伏せて笑った。
「だから、柄にもなく悩んでます」
真選組という組織の長として生きている自分を思い返す。人に対して刀を使うことにも慣れ、それが当たり前だった日々に変化が訪れたのはあの変な髪の色をした男に出会ってからだった。その出会いは近藤だけではなく、近藤の周りにも変化を与えた。毎日に色が生まれ、その色が鮮やかになるにつれもっと見ていたいと思うのだ。もう少しだけ、この賑やかしい場所に居たいと。
偶然だったとはいえ、その男との出会いと変化のきっかけを近藤に与えてくれたのは妙だった。
視線の先に居る妙は自分に比べ小さく頼りない。しかし誰よりも何よりも大きく近藤は感じるのだ。
「――私は困らないわね」
それまで近藤の話に耳を傾けていた妙が静かに口を開いた。
「死にたくなくて困っているのはあなただけ。副長さんも隊長さんも皆、あなたが死ななくても困らないですよ」
「それは」
そうだと近藤は思う。彼らは皆近藤が生きることを望んでいるからだ。それは近藤もよく分かっていた。
しかしそれとこれとは話が別だ。
自分は誰かの明日を奪い生きてきた。だから自分も誰かに明日を奪われても仕方がない。それは、刀を抜く者が持っていなければならない覚悟なのだと思う。
その覚悟が揺らぐのだ。
それが恐ろしかった。
「―――じゃあ、死にたくなるまで生きてなさいな」
黙り込む近藤に妙ははっきりと告げた。
「死に物狂いで生きて、生き抜いて、そうやって死にたくなる時を待てばいいじゃない」
それは青天の霹靂のような言葉だった。
頭のてっぺんから冷や水を浴びせられたような錯覚に陥る。
近藤は何かに耐えるよう顔を歪めた。
「俺は、よく分からんのです。俺が、俺が悩んでいることは、そんな簡単なものなんですかね」
弱々しく絞りだした声が澄んだ空気に吸い込まれていく。近藤の脚の上にある妙の頭が微かに震えた。笑っているのだ。
「あなたの悩みは、宇宙で虹を見ることより難しいのかしら」
風が優しい女の声をやんわりと包み、近藤の心にぽとんと落としていく。
じんわりと広がるその温かな甘さに堪えていたものが溢れそうになった。
「いえ、簡単です・・・とても、簡単です」
近藤は空を仰ぐ。
どうして自分はこの女に惹かれ、惚れたのか、今やっと分かった気がした。
細めた両目に光が滲む。
唇を噛み締める。
もう泣いてしまいたかった。
「明日が明日になる夢を見ていたい」
Title/00
2010.04.20
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