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「どちらさま?」

その声は無遠慮なものだった。
いつも愛想の良い彼女にしては随分と粗雑な態度だったが、見知らぬ男が家の前で待ち伏せまがいなことしていたら警戒するのも当然かもしれない。例えその男が見慣れた黒い隊服を着ていたとしてもだ。

「はじめまして。志村妙さんだね」

男は形だけの笑みを口元にのせ、台詞のような言葉を綺麗に発音する。
それが癪にさわった。
妙は無言で、なかば睨むように目の前の男を観察するが、男は物珍しげに妙を見るだけでその行為を咎めようとはしない。その眼差しが余計に腹立たしかった。
眺めるというよりも観察するという方がしっくりくる視線。それに混じる何らかの強い意志。

「――思っていた感じとは違うね」

先に動いたのは男の方だった。
眼鏡の奥にある硬い質感の目を少しだけ細めて、一人納得したように呟く。

「彼が簡単に手懐けられたのも分かる気がするよ」

どこまでも穏やかな物言いだが、その言葉に混じる刺のようなものが妙をざらりと撫で上げていった。

「それとも、男性の扱いなど手慣れたものなのかな」

軽口に見せかけた刺のある台詞に、妙の背筋を不快感が這いずり回る。

わざとだ、と妙は思った。

男はわざと言葉に刺を含ませて、妙を苛立たせるように仕向けているのだ。
理由など分からないが、妙にはそう感じられて仕方がなかった。
相手がその気ならそれ相応の対応するまで。妙は苛立ちを抑えて品良く唇の両端を吊り上げた。

「ええ手慣れたものですよ。それが私の仕事ですから。あなたはご自分のお仕事をなさらなくていいの?」

端から見れば妙はいつもと同じ笑顔だろう。感情を隠すのは得意だった。

「真選組の参謀さんともあろう方が、随分とお暇ですこと」

いつだったか、お店に現れた近藤から一年ほど前に入隊した男の話を聞いたことがあった。近藤がその男を随分と誉めるので、なんとなく妙の記憶に残っていたのだ。
目の前に居る男が近藤の言っていた男だという確証はなかったが、妙は確信していた。

「あなた伊東さんでしょう?それとも先生とお呼びしましょうか」

近藤の口から出た名前をそのまま告げる。
妙に名前を呼ばれた隊服の男――伊東は僅かに口角をあげ、硬質な視線を妙に向けた。



「それで、今日は何の御用ですか」
「ああ」

伊東が笑みを含んだ声を零す。

「あなたのことは彼から聞いています。隊士からも色々と」

そこまで言ってから、伊東はふいっと視線を外した。

「あなたは彼らから多くの信用を得ているようだ。だから、あなたと話しがしてみたくてね」
「だから私に逢いに来たと?」
「その通りです」
「そう。私はてっきり喧嘩を売られているのかと思ってました」

そう言って妙が肩をすくめる。

「あなたが今にも斬りかかってきそうな目で私を見るものだから、勘違いをしてしまったわ」

何でもないふうに話す妙を伊東はまた物珍しげな視線で眺めた。
しかしその表情はすぐに消え、代わりに口の端を上げる。

「――妙さん」
「はい」
「人の信用を得る為に最も重要で不可欠な要素は何だと思いますか」

妙は怪訝な顔で伊東を凝視した。質問の意図がよく分からないからだ。

「そのお話は私に関係あるのかしら」
「もちろん。無駄話は好きじゃない」

伊東は顔に馴染んだ眼鏡に触れ、改めて妙の方へと向き直る。

「人間は弱い生き物です。だから自分が理解できるものしか手元に置きたがらず、理解できるものしか信用しない」

まるで何かを思い出しているかのように、伊東の口調に自嘲めいたものが混じっていた。

「だから自分を理解してくれる者を信用してしまう。どうです、簡単でしょう?信用を得たければ理解してあげればいい」

伊東の、どこか確信めいた言葉に妙は眉をしかめて首を傾げる。

「あなたのご意見だと、人間は理解し理解されたがる生き物のようね。それはどうして?」

それだけが全てではないと妙は思ったがあえてそれは語らず、抱いた疑問を伊東にぶつけた。
妙の返答が意外だったのか、伊東が少し表情を崩し嬉しそうに笑う。

「孤独が恐ろしいからですよ。孤独を癒すのに必要なのは家族でも恋人でも仲間でもない。自分を理解してくれるものだけ」

そう思いませんか?と、伊東は妙に答えを促す。それには有無を言わせぬ強さがあった。

「さあ、どうでしょうか。難しいことは分からないわ」
「では妙さん。難しく考えなければどうかな」

穏やかな笑みで妙を見て、穏やかでない意志をもった視線を妙に突き刺す男。
妙はゆったりと首を振った。

「同じです。私には分かりません」

妙は伊東を見つめる。
伊東はその視線を受け止めて、また笑みを深くした。
細めた眼の奥に冷たい炎がちらついている。
その刹那、妙は理解した。
妙を訪ねて、わざと怒らせるような言葉を投げかけてきたり意味の分からない質問をしたのは、妙を計るためのものなのだろう。
どういった目的かは分からないが、局長である近藤が惚れ込み、そしてその局長を含め真選組隊士の信用を得ている女に伊東が興味を抱いたのは至極当然のことかもしれない。
しかしその興味に甘い意味はない。
冷静な眼差しからは想像つかないほどの威圧感を妙は感じていた。毒気のある舌で味見されているような、そんな感覚。

「分からない、か。あなたらしくない、酷くつまらない答えだ。でも、あなたらしくもある」

初めから伊東はこうするつもりだったのだろう。
自分の目で妙を見極め、そして決断する。
真選組からの信用を得ている女の処遇について。
利用するか、捨て置くか。
生かしておくべきか、殺しておくべきか。
瞳の奥にちらつくのは殺意にも似た感情。
ぴりぴりと張り詰める緊張感の中、静かな水面に水滴が落ち波紋が拡がるようにゆったりと、妙の唇が弧を描いた。

「伊東さん」

妙が一歩足を踏み出す。

「折角ここまでいらしたのだから、お茶でもいかがですか」

凍り付いていた空気が静かに溶けて二人を包んでいく。

「私はね、誰かとお茶をしながら無駄話をして同じ時間を過ごす。そういったことが大好きなの」

妙は伊東の傍らを通り抜け、大きな門の前で立ち止まった。

「そうやって少しずつ相手のことを知っていくことは理解することに通じるかもしれませんね」

妙の脳裏に大切な人達が浮かんでいた。
門に手に添えたまま妙が振り返る。

「伊東さん。あなたはどうなさいますか」

何の他意もない真っ直ぐな視線。
伊東の瞳が柔らかく歪んだ。





「真選組にもあなたのよぅな方がいらっしゃるのね」

縁側に腰掛ける伊東の傍らに、妙は湯飲みを乗せた盆を置いた。
未婚の女性と室内で二人きりになるわけにはいかないと、伊東はわざわざ庭へまわり、この縁側へと腰を下ろしたのだ。

「あなたのようなとは」
「少なくとも、私の知る真選組の方々とは違うように見えます」

急須を傾けると流れ落ちる温かな液体。妙は二つ並んだ湯呑みに無駄のない所作で注いでいった。

「違う、か」

思わずといったふうに伊東が呟く。

「そうだね。僕と彼らの付き合いはそれほど長くはない。もちろん浅い付き合いではないが」

そこで伊東は一旦言葉を区切ると、差し出された湯呑みを受け取り礼を述べた。
指先から伝わる熱。

「――浅い付き合いではないが、深くもない。僕と彼らはその程度の関係でしかない。僕は新参者だから、だから彼らと僕は違うのかもしれない」

庭に目を向けたまま確かめるように言葉を繋げた伊東は、そっと目を伏せ湯呑みに口をつけた。
妙の位置からは伊東の横顔しか見えない。
それでも、その瞬間だけ伊東から感情のようなものが滲んだ気がした。

「付き合いが長ければ分かり合えるというわけじゃないでしょうに。例え相手が親兄弟だとしても分かり合えない場合もあります」

妙は熱いお茶が注がれた湯呑みに口をつける。
一瞬だけ痛みに似た感覚のあと、すぐに痺れるような熱さが柔らかな皮膚を湿らせた。

「私が違うと言ったのはそういう意味ではなくて、私はあの人達しか知らないからあなたのような方が珍しかっただけ。あなたが言うほどあなた方は違わないですよ」

妙はそう言って、また喉をお茶で湿らせた。
時折奏でられる鳥の声と遠い喧騒の音。
隣に在る空気が微かに揺れたのは、伊東が何かしら言葉を発したのだろう。
しかしそれはとても小さくて、妙の耳まで届くことはなかった。
伊東はそれ以上何も言わず、妙はそれを聞き返すことはない。
ただ二人、射す光に目を細めた。








重なる葉が風に揺れ音を鳴らす。
縁側で縫い物をしていた妙は、その手を休めてほうっと息を吐いた。
縁側に差し込む光が伸びていく頃になると、妙はある男のことを思い出した。
思い出すのではなく、あの時から心に引っかかっているままなのかもしれない。
この縁側で話したあの時、最後にあの人が何と言ったのか、知りたくとも確かめるすべはもうなかった。

沈み始めた太陽が眩しくて、妙は目を細めて隣に視線を移した。
誰も存在しない空間に光が差し込む。
何かを考えるように視線を彷徨わせていた妙はそこに在った姿を思い浮かべ、ふっと口元を緩めた。
薄くなる面影が囁きかけてくる。
射す光が目に染みて、妙は目もとを和らげる。
あの時、あの人は笑ったのだろうと、思った。


愛しい空想家の最終話


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2010.02.23
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