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空が白み始めた早朝。
静かな寝室に広がる鳥のさえずりが朝特有の心地よさを感じさせ、土方をより深い眠りの淵へと縛りつけていた。
規則性をもった穏やかな寝息が聞こえる中、カチャリとドアノブが動く。
一呼吸おいたあと、ゆっくり開いていくドア。その隙間から白い煙と強烈な匂いが流れこみ、あっという間に部屋中に広がった。
その刹那、低い呻き声と共に土方の眉間に深い皺が出来上がる。決して目覚めが良いほうではないのだが、どんな目覚まし時計も適わない強烈な何かが彼の意識を覚醒させていた。
慣れはしたものの今朝の刺激はいつになく強烈だ。
この刺激の元である卵焼きを作っているのは愛妻妙。その彼女になにか良いことでもあったのだろうか――などと他人には分からない土方家の常識を思い浮かべている時、ベッドの片側がギシリと沈んだ。

「――起こしに来てくれたのか」

カーテン越しの朝日は遮られ、寝起きの顔に影がおりる。
土方はそこにある気配に目を開けない(開けられない)まま声をかけた。顔を見なくても二人暮らしの夫婦の寝室に訪れる人物が誰かなど愚問だろう。
しかし、いつもなら鈴のような明るく軽やかな声で挨拶してくれる相手が、今朝はただ無言で土方を見下ろしている。
怒っているのだろうか、と思案するが土方に心当たりはない。何より昨夜は色んな意味で仲良く過ごしたのだ。疲れさせたことに怒っているのなら謝るが、しかしそれもいつものこと。怒る理由にはなり得ない。

「……妙?どうした?」

疑問符を付けながら愛しい妻に手を伸ばす。
昨夜、舐めるように触れた肌の感触を思い出しながらそれに触れた瞬間、土方の動きが固まった。
唇で指先で味わいつくした肌とは程遠いそれ。
違和感、としか言いようのない感覚。
意を決して瞼をこじ開けた土方の瞳に映るのは一面の白、白、白。
しかしそれに怯むことなく目を凝らせば充満する煙の中に人影が見えた。

「残念でしたー」

しん、とした部屋の中で人影がゆらりと揺れる。

「妙じゃなくて悪りィな。お詫びにおはようのチューでもしてやろうか?」

笑い混じりの低い声。
異臭に誤魔化され気付かなかった煙草の匂い。
土方は聞き覚えのあるその声と匂いに緊張の糸が緩んでいくのが分かった。それと同時に、このまぎらわしい訪問客に苛立ちが沸き起こる。

「……何がチューだクソ天パ」

ありったけの不機嫌さを漂わせながらボソリとこぼす。
寝起きだったとしても、愛する妻である妙と目の前にいる人物を間違えてしまった自分が憎らしい。そんな苛立ちがそのまま言葉に表れていた。

「クソ天パじゃなくてお兄さまだろ。あーあ、さっきまでは可愛かったのに」

飄々とした物言いでヘラリと笑う男。
土方の機嫌が悪いことなど意に介さないその態度に、土方の苛立ちはますます募る。

「朝っぱらから気持ち悪いこと言ってんなよ。なにがお兄さまだ」

土方の悪態は続く。
しかし二人の間に険悪な雰囲気などなく、どこか親しげな空気が漂っていた。

「仕方ねーじゃん」

白に近い銀髪の男が肩をすくめる。

「お前が俺の妹と結婚するからだろ」

坂田銀八はそう言いながら頭を掻いた。


土方の妻である妙の旧姓は坂田。つまり妙と銀八は兄妹であり、銀八は土方の義兄ということになる。
銀八と土方は元々知り合いで、土方に妙を紹介したのは銀八だった。
紹介したと言っても、銀八が妙ともう一人いる兄弟と三人で買い物をしていた時に偶然土方と遭遇し、仕方なく挨拶がてら紹介しただけ。
何年かして二人が結婚すると言い出した時にはひっくり返るほど驚いたらしい。そのはずみで飲んでいたフルーツ牛乳を土方の顔めがけ噴き出したのも今では良い思い出だ。(あれはわざとだったと土方は今でも言い続けている)

「こんな時間に何の用だ。一般常識ってもんを考えろよ不真面目教師」

大きく息を吐きながらベッドの上であぐらをかく土方は、手探りで煙草を探す。
時間を確認していないが朝食の時間は大体決まっている。人様の家に来て寝室に入り込むような時間ではないはずだ。

「妙に用があったんだよ」
「……電話でいいだろ」
「電話だと声だけじゃん」
「声だけで充分だ」
「声だけで?お前、変態に磨きかかってんなー」
「チッ……ウルセーな」
「ほらよ」

目当ての煙草を見つけたものの、今度はライターを探す土方に銀八は自分のを投げ渡す。

「後で返せよ」
「ああ」

銀八はゆったりとした動作でベットから降り「つーか、煙すげェな」と呟いた。
部屋の煙は随分と薄くなっているが幾らかマシだというだけで、まだまだクリアな視界には程遠い。

「てめえが来てるから機嫌が良いんだよ」
「妙に愛されてっからなー、俺」

銀八のだらしなく崩れた表情は珍しい。
そんな銀八に視線だけを向けた土方は鼻を鳴らし煙草をくゆらせる。
特に反論もないその反応は銀八の言葉を肯定しているも同然だった。

「あら?否定しねーの?」
「本当のことだろ」

土方が面白くなさそうに口元だけで笑う。

「妙は腐れ天パの兄貴が大好きらしくてな」

それは妙の弟である少年も同様。

「お前らが来ると妙が喜ぶんだよ」

それは変えようのない事実だった。
妙を独り占めしたい、誰の目にも触れさせたくない、誰も見てほしくない。
常に平静を装った内側では執着や独占欲が渦巻いているのに、そんな感情は妙の笑顔と程遠いものだと理解していた。
妙には大切な兄弟がいる。
心の奥深く、大切に護られている場所にその兄弟は存在している。
仲の良すぎる姿に嫉妬してしまうことも、その光景を見続けなければいけないことも、土方は理解し受け入れたのだ。

「妙が喜ぶなら我慢でも何でもするさ」

淡々と語られた言葉に、坂田は目を見開いた。土方の横顔を凝視するもすぐに表情を戻し、そのまま顔を隠すようにうつむく。土方からは見えない位置で、薄い唇が弧を描いた。
いつものようにヘラヘラとしたものではない、優しい優しい微笑み。

「それ、妙に言ってやれよ。喜ぶから」

いつものからかい口調に土方はまた鼻を鳴らす。内心照れているのが丸分かりで面白い。若干耳たぶが赤くなっている。
寝起きで、しかも相手が気心の知れた銀八だったからだろう、普段なら決して口にしないことまで言ってしまい照れ臭いようだ。

「メシ冷めっから、早く来いよ」

ワイシャツにネクタイをだらしなく締めた男は癖のある髪をガシガシと掻く。いつもの白衣は汚れないように脱いだのだろう。

「――これ吸ったらな」

土方が煙草を持つ手を僅かに上げ応える。
それを一瞥した銀八は特に言葉を返すことなくそのまま部屋を出ていった。








「たーえー」
「あ、お兄ちゃん!起こしてきてくれた?」

エプロン姿の妙が振り返る。手にはピカピカのフライ返し。よく手入れされているのだろう。

「煙草吸ったら来るってよ」

銀八が欠伸をする。さすがに朝早く訪ねすぎたかもしれない。

「遅かったね」
「んー?ああ、ちょっと話してたから」

渡されたお皿を受け取り、テーブル並べていった。妹と弟の面倒を親代わりになってみてきただけのことはある手際のよさで、あっという間に出来上がる食卓。

「私に秘密の話し?」
「いや、土方の甘酸っぱい話」
「何のことだ」

銀八の言葉を遮るように重ねられた声。いつのまにか現れた人物に妙が顔を綻ばせる。

「おはよう、土方さん」
「ああ、おはよう妙」
「俺には?」
「てめえはさっき会っただろ」

ワイシャツ姿で指定席へと座る土方。目の前にはほかほかの湯気があがる朝食とマヨネーズ。
煙はすっかり晴れて、さっきは見えにくかった白髪頭の無気力そうな顔がよく判別できる。
土方は無意識に銀八と妙の顔を見比べていた。
はっきり言って似ていない兄妹だ。きっと誰もが同じ感想を抱くだろう。
弟と妙は性別の違いがありながらよく似ているのに対し、銀八は妹である妙にも弟である新八にも似ていなかった。
だからこそ、そうやって仲良く話している姿に余計嫉妬してしまう。

「お兄ちゃん、土方さんの湯呑みとって」
「兄使いの荒い妹だな」
「文句を言わないの」
「へーへー、どれが土方のですか」
「そこの"課長です"って書いてある湯呑みよ」
「あー、これな。つーかこっちの"先輩です"って誰のだよ」
「んー?それは先輩さんの。……はい、土方さん」

華奢な手で差し出されたのは熱いお茶。そして土方だけを映す黒茶色の瞳。

「ありがとな」
「どういたしまして」

向けられた笑顔に苛々としていた感情が洗われていくようだった。たったこれだけのことでと言われても仕方がない。

「そういえば、土方さんの甘酸っぱい話ってなに?」

ふと思い出したように銀八へと向き直る妙。銀八の話が気になっていたのだろう。
銀八は言うなよ、と眼光鋭く睨んでくる男を横目で確認しつつ可愛い妹の頭を撫でる。

「土方の甘酸っぱい話は妙の話」
「私?」
「そう。だからあとで土方から直接聞けばいい」

そう言って土方を見れば苦虫を噛み潰したような顔になっていた。
きっと銀八が帰ったあと、妙にねだられ断りきれず赤面しながら伝えるのだろう。
そんな友の態度が思い浮かび銀八はヘラリと笑った。

「まあ、ヒントだけな」

自然な動作で妙に顔を近付けると「近すぎだろ!」と苦情がとぶ。が、そのまま無視して少し下にある耳に口を寄せた。
ふわりと香るシャンプー。
くすぐったそうに揺れる肩。
更に強くなる抗議の声。
銀八は目を細めながら優しい声を滑り込ませた。

「結局は溺れてるってだけの話」

2009.06.04.
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