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「怒ってません」

そう言いながら視線を逸らす妙。
土方は、色艶よく煮込まれた肉じゃがを眺めながら溜め息をついた。




「土方課長〜!」

家路を急ぐ土方に声をかけてきたのは部下の山崎だった。

「何だ」
「うわっ、睨まないで下さいよ」

帰宅の邪魔をされるといつも以上に不機嫌になる土方に、山崎は怯えた声をあげた。

「だから、何だ」

言葉に詰まる山崎に苛立ちながら、先を促す。

「いやあ、あのう、これ…どうぞ」

差し出されたのは紺色の風呂敷に包まれた四角い箱。

「良かったら食べて下さい。肉じゃがです」
「へえ。作ったのか?」
「はい。急に食べたくなって作ったまでは良かったんですが、どうも量をたくさん作る癖がついてるみたいで……」

おふくろの味、肉じゃがも食べ続けていれば飽きてしまう。

「というワケで会社に持って来たんですよ。これ、課長の分なんで、奥さんと食べて下さい」
「……そうだな」

愛妻家の土方に「奥さん」と声をかければ途端に機嫌がよくなるのを山崎は心得ていた。
案の定、先程の不機嫌はどこへやら、あろうことか微笑みまで浮かべて山崎の差し出す風呂敷を受け取る。

「じゃあな」
「あっ、お疲れ様です」

足早に立ち去る土方。
山崎は上機嫌で帰る上司の後ろ姿を見送りながら思わず呟いた。

「愛されてるな〜奥さん」




「だから、なんで怒ってんだよ」
「怒ってません」

土方が帰宅してから何度も繰り返される会話。
怒ってないと言いながら、あきらかに怒っているのは土方の愛妻、妙。
妙が機嫌を損ねたのは、山崎からの肉じゃがを差し出した時からだった。

「山崎がくれたんだ。肉じゃがだよ」
「山崎さん?」
「ああ、知ってるだろ?会社の……」
「ふ〜ん」

それっきり、妙は口を閉ざしてしまった。
機嫌を損ねた原因は山崎の肉じゃがらしい。だが、理由は分からなかった。
なんにせよ山崎の肉じゃがのせいなのだ。明日は山崎に山ほど仕事を押し付けよう――、土方がそんな決意を固めている時、妙がキッチンからお皿を持ってきて、それを肉じゃがの隣に並べた。
白いお皿の中には見慣れた黒い物体。
妙の手作り卵焼きだ。
その動作を見守っていた土方が妙に声をかけようとすると、

「どっち?」

妙はうつむいたまま、そう呟いた。
そして覚悟を決めたかのように顔をあげてハッキリと言った。

「土方さんは、卵焼きと肉じゃが、どっちが好きなんですか?」

潤んだ瞳で見つめる妙。
妙の機嫌が悪かったのは、つまりはそういう理由。
自分よりも料理上手な山崎に嫉妬していたのだ。
土方は一瞬惚けるも、すぐに状況を理解し、ニヤケそうになる口元を押さえた。

「……やばい」
「え……あっ!」

抵抗する間もなく妙は土方に抱き締められる。

「ああ、くそ。すげー可愛い。やばい、とまんねーかも」
「ちょっと…ま、待って」
「待たない。やきもちやいた妙が悪い」

土方はお構い無しとばかりに首筋に顔を埋める。
甘い清潔な香りに背徳心が刺激された。口付けるとそのまま白い肌を吸う。チリチリとした痛みのあとに赤い痕が残った。
いくつかの痕跡をつけ、土方が満足気に顔をあげると妙の視線とぶつかる。

「……質問に答えてない」
「妙も言ってないだろ?」
「私が?」

不思議そうな表情を浮かべる妙を抱きしめたまま、土方は耳元で囁いた。

「ただいま」
「あ……」

いつもの挨拶。
二人が夫婦になった日に、二人で決めた、二人だけの決まりごと。

ただいま
おかえりなさい

帰宅した土方が持ち帰った包みが気になって、妙は毎日欠かさず伝えている言葉を忘れてしまっていた。

「返事は?」

優しい声に妙はうつむく。
小さなやきもちで土方を困らせてしまったのが恥ずかしくて、交わした約束を忘れていたのが申し訳なくて、でも変わらずに接してくれる態度が嬉しくて、気付けば唇が自然と弧を描いていた。

「……おかえりなさい」

二人は目を見合わせて笑い合った。
どっちが好きか、なんて。
二人とも卵焼きが好きで。
二人とも肉じゃがが好きで。
何よりも二人でいられる毎日が好きだった。

「山崎さんには秘密にして下さいね。私が…その…やきもちやいたこと…」
「そんな勿体ねえこと言わねーよ」
「山崎さんの肉じゃが、美味しそうですね」
「妙の卵焼きもな」
「新しいマヨネーズを買ったんですよ」
「そりゃあいい」

妙を抱きしめながら土方が笑うと、妙は土方の背中にそっと手を回した。

「ごめんなさい」
「わかってる」

土方の大きな手が妙の頭を優しく撫でる。
その温かな感触に、妙は思わず目を閉じていた。

卵焼きと肉じゃが、どっちが好きかなんて、そんなの決まってる。
卵焼きも肉じゃがも、二人で一緒に食べるから美味しいのだ。




おまけ

「ついでにあれも言ってくれ」

土方の言葉に、あれ?と妙が首を傾げる。

「ご飯にしますか?お風呂にしますか?ってのをちょっと変えたやつ」

土方が悪戯っぽくそう言うと、意味が分かった妙の顔は赤く染まる。

「言う……の?」
「そしたら俺もさっきの質問に答えてやる」

答えなんて一つしかないけどな、と土方が笑う。
妙は視線を泳がせた後、爪先立ちをして、土方の耳元に唇を寄せた。

「………」

小さな声で囁かれる言葉。
土方の表情が、彼を知る人が信じられないくらい緩んでいく。

「ヤバい、もー駄目だ。風呂までなんてもたねーな」

今だに赤面する妙の体を抱え上げながら独り言のように呟く。

「あの、土方さん?」
「玉子焼きも肉じゃがもいいけど……」

土方は顔を近付けて、

「先に妙を食べてから」

と言い終わると同時に、妙の唇を隙間なく塞いだ。



「私の卵焼きとあの子の肉じゃが、どっちを選ぶの?」
title/マヨたま同盟

2008.05.31.

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