※「誕生日当日」→「カサナル」→今回のお話、と続いています。結婚式を間近に控えた、プラトニックな二人のお話です。この話だけ読まれても大丈夫です。
白く柔らかな感触をじっくりと舐めて味わう。舌の上で甘く溶けたそれを唾液と共に飲み込めば、喉をなぞり伝い落ちていく。
足りない足りない、全然足りない。
もっと欲しくて、もっと舐めたくて、焦ったように口に含めば口内でぐちゅぐちゅに溶けていく甘い液体。
唾液と混じったそれを名残惜しげに飲み込んだあと、吐息のような溜め息を洩らした。
「――沖田さん」
そう言って、妙は隣に座る沖田にじっとりとした視線を向ける。
「何ですかィ」
志村邸の縁側に腰掛けた沖田は飲みかけのお茶を手に取った。湯呑みの表面はひんやりと冷たく、すでに冷めてしまっていることが指先に伝わる。
「いい加減にして下さい」
ぴしゃりと言い切る妙の口調は怒っているというよりも、どこか戸惑っている風だ。
「俺は何もしてやせんぜ」
そう言って、沖田はゴクリとお茶を飲む。独特な渋味が舌を痺れさせた。
「口に含むだとか舐めるだとか」
「嘘は言ってねぇ」
「嘘じゃなくても、変なふうに言わないで下さい」
「変なふう?」
「そう」
そう言って、妙が手に持った高級冷菓の容器を沖田の目の前に差し出した。
「あんな変なことばかり横で言われたら食べにくいじゃない」
妙が沖田の手土産である菓子を口に運ぶたび、沖田がどことなく妖しげな実況中継を繰り返す。始めは可愛いものだったので妙も笑って聞き流していたのだが、その内容はどんどんエスカレートしていき、ついに妙は我慢できなくなってしまった。
「とにかく止めて下さい」
「なんで?」
「これじゃなくて違うものを食べている気になるんです」
沖田の瞳がくるり、と動いた気がした。勢いでとんでもないことを口走ってしまったようだ。それを沖田が聞き逃すわけがない。
「違うもんを思い浮かべたって言いやしたね。で、姐さんは一体何を思い浮かべたんですか」
案の定、にこりというよりニヤリといった笑みを浮かべる沖田。後悔しても時は既に遅く、しっかりと沖田の耳に届いたらしい。
妙は慌てて目を逸らし、この話しはおしまいとでも言うように、無言のまま甘い菓子を口に運び始めた。
「姐さん」
「なんですか」
「違うものって?」
「何でもありません」
「じゃあ、それ食べ終わったら教えてもらえる?」
「知りません」
「そろそろキスでもしやせんか?」
「……しません」
一度も沖田を見ないまま返事をする妙。そんな顔も可愛いと思ってしまうのは惚れた弱みかもしれない。沖田は笑みを浮かべたまま湯呑みに手を伸ばした。
「もうすぐですねィ」
湯呑みを空にして、なんとなく主語のないまま沖田が呟いた。二人の間でもうすぐといえば話題は一つしかない。
「花嫁姿の姐さんを早く見てぇなァ」
そう、二人の結婚式の日取りが近づいていたのだ。
妙の花嫁姿はきっと誰よりも綺麗に違いないと、そんな思いを滲ませながら沖田は妙をみやる。
そして、驚いたのだ。
「――どうしやした?」
妙の表情が先ほどまでとは打って変わって、どこか暗いものに変わっていた。
少しでも触れると泣いてしまいそうな雰囲気をまとい、うつむいたまま視線をそわそわと動かしている。
「もしかして、式のことで悩んでんのかィ?」
沖田の言葉に妙の視線がピタリと止まった。
どうやら沖田の勘は冴えているようで、しかし今だけは当たらないでほしかったと沖田は思う。
「――ずっとそのことばかりを考えてました」
観念したように話し始めた妙だったが、何故かそれ以上言おうとしない。
沖田には言いづらいことなのだろうか。
口ごもる妙から目を逸らした沖田は、ふうと溜め息を吐いた。
「俺と結婚するのが嫌になった?」
表情こそいつも通りだが、どこか寂しそうな声音が響く。
「違います!」
妙が弾かれたように反応し、はっきりと大きな声で否定した。妙のこんな取り乱した姿は珍しい。
目を少し見開いた沖田を見て、「ごめんなさい」と小さな声で謝罪し、そして深く深く息を吐いた。
「本当に――そういうことではないんですよ」
沖田とは反対側にあるお盆に空の容器と匙を乗せ、困ったように弱々しく微笑む。
「結婚式はとても楽しみなんです。待ち遠しいとさえ思っています。ただ、その、式が終わったあとの……夜の…ことを考えてて」
そこまで言って妙は口ごもった。不安げに何度が瞬きを繰り返し、膝の上に置いた自分の手を握ったり離したりを繰り返す。
沖田は妙の横顔を見つめながら言葉の意味を探っていた。
妙が気になっているのは結婚式ではなく、その夜のことらしい。そのことばかり考えてしまい、悩んでしまっているようだ。
結婚式の夜。
花婿は沖田、花嫁は妙。
それはつまり。
「つまり姐さんは式のことよりも、俺とのセックスで頭が一杯だ、と。そういうことにな」
と、そこまで言って言葉は途切れた。沖田が脇腹を押さえながらうずくまる。
どうやら隣に座る恋人から痛恨の一撃をくらったらしい。
「そんな言葉、使わないでください」
妙はそっぽを向いたまま抗議の声をあげた。しかし否定をしないことから、沖田の答えは正解なのだと分かる。
「じゃあ、初夜のことが気になってる……だったらいいですかィ」
「わざわざ言い換えなくて結構です」
言葉はキツいままだが、頬はもちろんのこと、耳から首まで染まっている。
色白の肌が薄い桃色に変わっているのを、沖田は脇腹をさすりながら眺めた。
噛み付きてェな――などと、頭の中は乱れた思考で溢れかえっているのだが、流れでた言葉は全く逆のこと。
「――別に、しなくてもいいですぜ」
脇腹がまだ痛むのか、眉間に皴が寄る。
「別に決まりごとってわけじゃねーんだ。手え繋いで寝るだけの、ままごとみてぇな初夜だっていいんじゃねえですか」
あっけらかんと言い放った沖田を、妙は目をパチパチと瞬かせながら凝視した。
なんてことはない。
あっという間に妙の不安は解消してしまったらしい。
そうなると現金なもので、なんだが少しあっけない気もしてくる。
沖田は痛む脇腹を庇うように体を捻ると、妙の手に自分の手をゆっくり重ねた。
「それに、俺は姐さんと結婚できる幸せ者ですからねィ。一ヶ月でも半年でも一年でも我慢しやすぜ」
沖田の言葉が妙の中にストンと落ちていく。奥の方をぎゅうと鷲掴みにされたような、心地よい痛みを感じていた。
心のどこかで思っていた自分でも分からなかった答えを、沖田が与えてくれたような気がした。
「私も……幸せ者です」
重ねられた沖田の手をなぞるように見つめながら、妙はぽつんと呟いた。
しばらく無言で庭を眺めていた二人だったが、何かを考えるように視線を空にさ迷わせていた沖田の瞳が妙を映した。
「でもね、姐さん」
続きを促すように妙が瞳を合わせると、
「我慢できなくなったら、その時は遠慮なく襲わせてもらいまさァ」
三日ともたねェかも、と真面目くさった顔で自己申告をしたのだった。
結局、無理なのか。
するのかしないのか。
我慢ができない時の拒否権は妙にあるのか。
色々と尋ねてみたいことはあるのだが、それよりも先に可笑しさが込み上げてきてしまい妙はついに笑ってしまった。つられたように沖田も笑う。
繋がれたままの手以上に、心の中が温かかった。
「さあて、機嫌も治ったところで」
何事もなかったかのような口調で手を伸ばす沖田。
指先が妙の耳を幾度か撫で、耳たぶを軽く押し潰す。
「そろそろキスでもしやせんか」
伺うように覗き込む瞳が妙を映す。何かをねだる時のような甘えた視線を受けて、妙が目尻を下げた。
「我慢ができない子どもみたいですね」
「これでも充分我慢してるけどねィ」
耳から頬へと指を滑らせ、熱の去ったそこに唇を寄せる。
「初夜のことで頭が一杯なのは姐さんだけじゃねぇんですぜ」
触れた唇の熱が耳の奥まで伝わってくる。本当は今すぐにでも抱きたいのだと言われているようで、妙はくすぐったそうに微笑みながら、瞼をそうっと閉じた。
「今はまだ指のままで、君をなぞる」
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2009.08.21
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