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「どうしても駄目ですかィ、姐さん」
「駄目です」

妙の言葉に沖田は何度目かの溜め息を吐いた。
今日だけでこのやり取りを何度繰り返したのだろうか。今までのも合わせると吐き気がするほどの数になるだろう。いい加減うんざりする。
元々、沖田は我慢強い方ではない。表情にはでないものの短気な方だ。それがどうだ。今日までキレずにいられたのは奇跡に近い。なぜなら近藤の想い人である妙にキレるわけにはいかないからだ。これが、ただの女相手ならやり方はいくらでもあるのだと内心舌打ちをする。しかし苛立っているのは妙も同じだった。

「沖田さん。何度も言わせないで下さい」
「何度も言わせたくねぇですけどねィ」
「じゃあ、もうやめましょう」
「アンタが近藤さんと結婚してくれるなら」
「駄目です」

妙が先ほどと同じ答えを沖田に言い放つ。微笑んではいるが視線は冷たい。それを受ける沖田の瞳も似たような感情を浮かべていた。
しばらく見つめ合った後、先に立ち上がったのは妙だった。

「失礼します」

丁寧にお辞儀をして立ち去ろうとする。沖田は妙の手首を掴み引き止めた。

「姐さん」
「まだ、何か?」

妙が不快感をあらわにする。いつも称えている微笑みなどすっかり消え失せ、突き刺すような視線を沖田へ向けた。

「姐さん」

もう一度、その名を呼ぶ。
沖田の中で何かが壊れた。
近藤の為に我慢する?我慢してどうなる?我慢すれば手に入るのか?女ならどうとでもなる。妙も女だ。結果的に近藤の為になるのなら、多少の事も許されるのではないのか?
頭の中でもやもやとしていたものが晴れ、その輪郭がはっきりと色を帯びてくるのが分かった。

「次で最後にしやす」

沖田が普段見せることのない上機嫌な顔で笑う。
その綺麗すぎる笑顔に、妙の表情が強張った。
ぞくりとする。
妙は初めて、沖田を怖いと思った。見てはいけないものを見てしまったような得体の知れない恐怖。
言葉は返せなかった。声は喉の奥にへばりついたまま心の中に戻っていく。
掴まれた手首を離された時、妙は足早にその場を去った。まるで逃げるかのように。いや、逃げたも同然だった。

妙の痕跡が残る空間に視線を這わし、沖田は口元を歪めて笑う。
誰かの為に犯す罪なら、神様だって大目にみてくれるはず。全ては近藤の為。誰かの痛みなんて関係ないのだから。誰かを幸せにする為に、誰かが不幸せになったとしても。それが罪なら、神様なんていないだろうと沖田は顔を歪めた。
沖田は立ち上がり、そのまま妙とは別の方向へと歩き始める。次で最後ならどうやって手に入れてやろうか。そう考えることが何故だか少しだけ楽しかった。その感情が何を意味しているのか、沖田は知らない。




「やっぱり居やしたか」
「沖田さん…」

家に一人で居た妙は、突然の訪問者に戸惑った。

「何か御用ですか」
「姐さんをいただきに来やした」
「私を…」

いただく…?
意味がわからずに、妙はただ沖田を見つめた。

「言葉通りで」

後ろ手に玄関の戸を閉め、沖田はゆっくりと確実に妙へと近付いた。
その手が伸びた時、妙は反射的に後ずさる。

「何をするんですか?」
「とって食おうってわけじゃあねぇですぜ」

沖田は笑う。
あのときと同じような、あまりに綺麗なその表情が怖かった。

「近藤さんに、アンタを持って帰ってやりたいだけでさァ」
「どうやって…」
「こうやって」

沖田は無造作に妙の頬を触る。

「アンタの弟は泊まりの仕事が急に入ったって言ってやした。…伝言を頼まれましてねィ」

だから、今夜はアンタと俺と二人だけ。

「随分と都合のいい話しですね」

妙は沖田を見据えた。
内心の動揺は隠して。

「それが神様の悪戯ってやつですぜ」

微笑む沖田を見て、綺麗だと思ってしまった。
これが神様の仕業なら、

「神様なんて、ほんとにいるのかしらね…」

妙はひとり言のように呟いた。






3

「新ちゃんが見たら、驚くでしょうね」

妙は沖田を見た。
背中が痛い。
ここは板張りの廊下で、横たわる場所ではない。
強引に倒された体の上に沖田が覆いかぶさり身動きはとれなかった。

「押し倒された女の台詞じゃあねぇですぜ」

見開いた黒い瞳と、固く閉じられた朱い唇。
沖田は指で妙の唇をこじ開けると、そのまま中に入れこんだ。
カチッと指先が歯にあたる。

「震えてますぜ」

妙はただじっと沖田を見つめていた。

「結婚するまで貞操は護るって、本気ですかィ」

沖田は指を入れたまま、顔を近づける。

「逆に考えてみたら……、アンタをやりさえすれば結婚できるって事になりやすぜ」

額に口付けする。

「アンタは初めての相手と結婚する」

目尻に口付けする。

「みんな、そう思ってる。アンタの弟も」

鼻筋に口付けする。

「あんた自身も、そう信じてる」

頬に口付けする。

「じゃあ、その相手が。例えば望まない相手だとしたらどうか」

まぶたに口付けする。
妙は思わず目を閉じた。

「最後のお願いでさァ」

沖田が声を潜める。

「俺の頼みをきくのか。今からここで奪われるのか」

妙の口元に耳を寄せた。

「返事は一度。二択ですぜ、姐さん」

どちらにしてもアンタは傷つくだろうけど――

「どちらも選ばないわ」

小さな声で。しかしハッキリと妙は言った。

「それが答えですか?」

沖田は妙を見つめた。

近藤さんの想い人。
心底惚れ込んだ人。
そんな人を傷つけようとしている。
最低で最悪の手段で。

沖田はそっと、妙の首筋に手をかけた。
細いそれは簡単にへし折れそうで、白い肌が艶めかしかった。


傷つけてしまう。
でも、近藤さん以外に大切な人なんて、もういない。
近藤さんの幸せを、俺が一番望んでる。
それを、この女が邪魔をするんだ。

指先に力をこめる。

「悪いのはアンタだ」

そう全部。
悪いのはアンタ。

「だから、罪にはなりやせんぜ?」

優しい声でささやく。
首筋にあった手でまぶたを触ると、妙はゆっくりと目を開けた。

渇いた黒い瞳。
泣いてるように見えた。

それでも、悪いのはアンタなんだ。


涙の意味は、わからなかった。







4

声はなかった。

聞こえるのは、衣服の擦れる音と重ねた唇からもれる音。

光はなかった。

見えるのは、互いの瞳と瞼の裏にある暗闇。

恋情も愛情も、なかった。


妙の着物がはだけて、白い肌がのぞいていた。

簡単に足を開く女より、全身で拒絶する女の方が欲情する。
泣いて懇願する女より、冷めた眼で罵倒する女の方が興奮する。
この女はどっちか、やればわかる。
沖田は幾度も絡ませた舌を、妙から離した。

「ッ!」

眉間にシワをよせる。
舌に感じる痛み。
二人の視線が交わった。



ポタリ

妙の唇に何かが落ちた。
沖田の舌先から滴る朱い液体。
手の甲で口元を拭う。
唾液に混じった朱色が、僅かに肌を染めた。

「…痛えなぁ」

そう言って、今だ組み敷いている妙を睨んだ。

「あんたにも、同じ事をしてやろうか」

邪魔する奴は一人残らず、男なら斬って、女なら壊してやる。

「なんのつもりですかねィ…」

沖田が口元を濡らす体液を舐めとりながら呟く。

「…勝手な事ばかり言うから」

穏やかな声で話す妙は、血がついたままの唇を笑みの形にした。

「そのよく動く舌をね、噛み切ってやろうと思ったのよ、沖田さん」

できなかったわ。残念ね。
妙は微笑みをうかべたまま、そう呟いた。
いつもの笑顔。
何事もなかったかのような、淡々とした口調。
妙は沖田が訪ねて来た時と、少しも変わっていなかった。

「噛み切る…ね」

沖田の表情が緩んだ。
口の中は血の味。
斬られたような痛みが、舌に残る。
噛み切るってのは、誇張じゃないかもしれない。

この女が刀を持っていたら、迷わず俺を刺してただろう。
いい度胸だ。

「あんたらしい」
「そうかしら」

一瞬、見つめあい。
沖田はそっと、妙に顔を寄せた。
柔らかな感触と共に、血の味がひろがっていく。

「…謝りませんぜ」
「お互い様です」

沖田は笑って、

「じゃあ」

とだけ言い残した。





妙は一人残される。
しばらく動けなかった。

舌に残る血の味。
気がつくと涙がこぼれ、渇いていた瞳が、きらきらと光っていた。








5 [妙side]

何かがおかしい。
新八の疑問は募る。
姉の変化は些細なものだったので、姉自身も気付いてないのかもしれない。
きっと、誰も気付いてないだろう。
僕以外は。

「姉上」
「なあに、新ちゃん」

にっこり笑う妙。
新八はその笑顔に違和感を覚える。

あの日からずっと。



あの日。
新八が家に帰り着く頃には辺りはすっかり薄暗くなっていた。

「姉上ー、ただいま帰りましたー!」

新八の声が広い家の中に響き渡り消える。
静まった室内。

…変だ。

新八は訝る。
いつもなら笑顔で出迎えてくれるのに、今日は返事すらない。
妙の草履はきちんと揃えられ、いつもの場所に仕舞われていた。

…出掛けてはいない。

新八がもう一度、妙の名前を呼ぼうとした時、

「お帰りなさい」

と聞き慣れた声がした。
ホッとした新八は声の方に視線をむける。

「うたた寝してたの。帰って来たのに気付かなかったわ」

妙が優しく微笑んだ。


何かおかしい。
見慣れた妙の笑顔が見慣れないものに思えた。

何か変だ。
そういえば、唇がいつもより赤く見える。
紅なんて持っていただろうか?
仕事でも、つけているのを見た事はない。
じゃあ、あの赤いのは…


「血!!」
「血?」

急に大声をあげた新八を妙は驚いた表情で見る。

「唇のところですよ。どうしたんですか!?」

怪我をしているのだと思い慌てて尋ねれば、新八とは対照的に落ち着いた様子で唇に触れた。
指先につく僅かな朱色。
瞬間、妙の表情が変わる。

「大丈夫よ」
「えっ…?」
「私の血じゃない」

微笑む妙。
血の跡が残る唇が、朱い花のようだった。

「仕事の支度があるから部屋へ行くわね」
「あ、はい」

聞きたい事はたくさんあった。
でも何も聞けないまま。ただ見送った。


ねえ、姉上。

その血が、姉上の血じゃないのなら。
一体誰の血なんですか?
なぜ姉上に、姉上の唇に、その誰かの血がついたのですか?

ねえ、姉上…。


頭の中を駆け巡る言葉は声にはならず。
妙の姿を見つめたまま、新八はその場に立ち尽くしていた。


笑顔に隠された、涙の跡に気付き。気付かないふりをした。
その笑顔が、綺麗だったから。







5 [沖田side]


「どうしたんだ?」
「何がですかィ」
「それだよ」

土方はそう言って、沖田の口元を指さす。

「血がついてる」
「……ああ、これ」

まるで他人事のような態度で、沖田は唇を触った。

「噛まれやした」
「噛まれた?」

思わず繰り返す。
その意味を理解し、土方は呆れたようにため息をついた。
仕事でついた血かと思えば、ただの噛み傷。
どこを怪我してるのか知るはずもないのだが、犬か猫とじゃれあってたんだろうと一人納得する。
どさり、と勢いよく畳にこしを降ろした土方は隊服の内側から煙草を取出し火をつけた。

「そんな傷、舐めときゃ治る」

ふう、と白い煙を吐き出せば、その言葉に沖田が口端を歪めた。

「じゃあ、舐めてくだせェ」

顔を近づけて舌をだす。
赤い舌に一段と朱い傷。
そこが腫れて、少しだけ血が滲んでた。

「…お前、舐めてんのか?」
「舐めるのは土方さんじゃあねェですかィ」
「……その舐めるじゃねーよクソが」

土方が声に怒気を含ませると、「すいませんねィ」と言葉だけの謝罪をする。
からかわれていたのだと、土方はようやく気付き舌打ちした。

もう一度深く吸いこむ。
煙草の先が橙色に光る。
おかしい。
土方は漠然とした違和感を感じていた。
沖田の様子が変だ。
だが、その原因が分からない。
立ち上る紫煙の隙間から、土方は探るように沖田を見つめた。

「沖田」

どれくらい経ったのか。
多分、ほんの数分だろう。
土方が呼び掛けると、沖田が無言で視線を向けた。

「猫はそんなとこ噛まねえよな」
「…猫に噛まれたなんて、言ってやせんぜ」
「それじゃあ、女か」
「女と言った覚えもありやせんけどねィ」

沖田の表情は変わらない。
無表情に近い、いつもの顔を土方に見せている。

女みてえな顔だな。
なぜか、そんな事を思ってしまった。
一度そう思ってしまうとその思考がこびりついて離れない。
誰かに似てる気がした。
顔立ちが似てるとか、そんな事ではなくて。
本音を顔にださないところが似てる気がしたのだ。

「お前、あの女に似てるよな」
「あの女?」

沖田の表情が変わる。

「ほら、その顔も。近藤さんが惚れてる女がいるだろ?なんて名前だったか…」
「志村妙」
「そうだ。その女だ」
「……似てねぇ」

それだけ言い残し、沖田はフイっと顔を逸らした。
表情は変わらないが何かが変なのは明確で、それが土方を戸惑わせた。

いつもの、くだらない言い合いだった。
それが、何故こんな反応をする?
いつもと違うといえば沖田から志村妙の名前がでた事、それだけ。

これで気付かねえなら、ただの馬鹿だと土方は思った。

煙草を灰皿で押し潰す。

「沖田」

一段と低い声。
眼光鋭く沖田を睨みつけた後、ゆっくりと歩み寄った。

「あの女が誰だか分かってるだろうな」

土方は沖田の耳元に顔を寄せ、声をひそめる。

「近藤さんが心底惚れ込んでる女だ。惚れてもいいが、手ェだすなよ」

静かな怒りを含んだ声。
並の隊士なら怯えてしまう程の殺気に似た。
空気が張り詰めていた。

「…勘違いしてねえですか?」

土方をしばらく見つめた後、沖田が言葉を発する。

「俺があの女を好きだと思っていやせんか?」
「そうだろ」
「違いやすぜ」
「違う?」

志村妙が好きだから。
だからお前は、舌を噛み付かれるような事をしたんだろ。
土方の疑問は言葉にはならず、しかし沖田には伝わる。それだけ長い付き合いなのだ。近藤と共に。

「じゃあ、何故…」

土方が僅かに眉を寄せた。

「俺のもんにしてぇんですよ。あの女を」

沖田の言葉が響く。

「好きだからだろ?」
「嫌いだから、まず俺のもんにするんでさァ」

にっこりと笑い、そう言い切った沖田を土方はただ黙って見ていた。

何も言えなかった。

笑顔に隠された幼い罪に気付き、気付かないふりをした。
その笑顔が、綺麗だったから。



2008.11.10.加筆修正
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