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 最悪の酒宴だった。
 任務だ堪えてくれと命じられていなければ、机を蹴りつけて帰っている。
 調査兵だけでなく憲兵までも呼び出して、良い気分で杯を重ねているのは商会や貴族の人間だ。寄付や裏取引の都合をつけることを餌に、どれだけ傍若無人な振る舞いをしてもいいと思いこんでいる豚共だった。
 今日のは特にタチが悪い。
 俺だけでなくミケやハンジを連れてきたのは、少しでも被害を分散させる為か。
 絡み酒を通り越した目の前の男は、口を開けば不愉快な言葉しか吐かない。笑顔で受け流すエルヴィンと、苦笑混じりに返すハンジ。ミケは黙って飲んでいる。俺はといえばどうせ喋ったところでこいつの気に入る返答になるわけもなく、時折「ええ」「おっしゃる通りかと」と短い言葉だけで返していた。
 それを自分が全肯定されているとでも思ったのか、男の舌はべらべらと油でもさしたかのように滑らかに回る。うんざりした表情を浮かべずにいられるのは、俺の部屋で待っている筈の恋人を、こんな場所に連れてこなくて済んだという幸運への感謝だけだ。
「しかしリヴァイ兵士長はまさに英雄だ。これからも我々のところまであやつらが入り込まぬよう、しっかり努めていただきたい」
「……力の限り、善処いたします」
 上滑りする無機質な言葉も、すっかり酔いの回った男は気付かない。
「我々の命には価値がある」
「その為に下々の人間の命など投げうたなくては」
 吐き気のするような論調も、もうすっかり聞き慣れてしまった。凍り付いた心が痛むことはない。それを溶かしてくれるのはこの世界でただ一人だけだ。英雄などとうすら寒い言葉で称えられる裏で、化け物と罵られる自分が、まだ人間でいられる唯一の。
 良いように喋って満足したのだろうか、男は不意に下衆な笑みを浮かべると、身を乗り出すようにして口を開いた。
「今宵は裏に女達を待たせています。皆様にお楽しみいただけるかと」
 こういった誘いも少なくはない。誰が楽しむか。俺を喜ばせたいなら今すぐあいつをここに呼べ。そしてお前らは全員消えろ。そう口に出さないだけの自制心は、この時の俺にはまだ残っていた。
「いえ」
 それだけ言って俺はまたグラスに口をつける。口を開きたくないので酒の量が増えていた。後はエルヴィンなりハンジが適当にはぐらかすだろう。
 俺の沈黙をどう受け取ったのか、目の前の豚はしきりに言葉を紡ぐ。
「リヴァイ兵士長はあまり興味がおありではない? それとももう特定のお相手がおりましたかな」
 はははと笑う男に、あいつの存在や名前すら気付かせるものかと決意した。曖昧に濁して杯を重ねるだけの俺にむきになったのだろうか、狙いを定めたらしい。こうなればエルヴィン達にはどうすることもできないだろう。
「なあに、そこいらの女なぞ比べものになりませんよ。そんなもの捨て置いておしまいなさい。極上の女の抱き心地を堪能して――」

 ――こいつを潰そう。

 物理的に、ではなかっただけ褒めてもらいたいもんだ。
 酒を勧めて勧められ、浴びるように飲んで酔い潰した。流石に文句が出るかと思えば、この男は酒豪なことを日頃からひけらかしていたらしく、他人と飲み負けたことを屈辱だと思っているらしい。前後不覚になりながら使用人に支えられて下がっていくと、代わりにやって来た使用人に耳打ちされた。
 曰く、帰っていいが今宵のことは内密に、だそうだ。



「あの場で飲み比べ仕掛けるかね普通!?」
「おかげで早く解放されただろうが」
「そうだねリヴァイはあの子のところに早く帰りたいもんね!」
「そうだ」
「あー! わかってて何で聞いたんだろ!」
 わめくハンジもそれなりに飲んでいるが、息が荒いのはそのせいではない。
「エルヴィンも! リヴァイにつられてどうするの」
「……流石に団長があの場で少しも飲まないのは不自然だろう……」
 ぐったりと酔いつぶれているエルヴィンを、ハンジがおぶっているからだ。
「もー……馬車は何でエルヴィンの部屋の前まで行ってくれないのかな!」
 無茶を言いつつ、大の男を背負ってここまで歩けるだけで日頃の鍛錬が伺える。それでも体格差はいかんともしがたく、大分きつそうではあるが。
「いや、ハンジ……そろそろ降りよう……」
「いいから大人しく背負われてて。行き倒れたの拾って背負い直す方がキツいんだから」
「しかし……」
「あんまりうるさいならお姫様抱っこするからね」
 酔っているとはいえ、エルヴィンを言い負かすとは。すっかり黙った大男を改めて背負い直すと、ハンジは恨みがましくこちらを見てくる。
「ミケが背負ってくれたらさあ……」
「流石に二人は無理だな」
 スン、と鼻を鳴らしてハンジに答えるミケに、俺は肩を借りていた。掴んでいるだけでもふらつく足下は大分マシになる。おぶわれるのを断固拒否したのだが、かなり酔いが回っているのを自覚していた。部屋まで辿り着けばあいつが待っている。あとはどうにでもしてくれるだろう。
「ハンジがリヴァイを背負えばいいんじゃないか? エルヴィンよりはまだ軽いだろう」
「そいつの彼女に気ぃ使ってんの」
「成程な」
 ミケとハンジが何やら言葉を交わしているが、朦朧としかかっている意識ではその意味まで理解することはできなかった。



 何とか自分の部屋まで辿り着いた。
 俺を待つ間に眠り込んでしまったらしい恋人にのしかかり、くだを巻いた。だらしなく甘えているのは自覚していた。それを受け入れてしまうから悪い、などと責任転嫁をしながら、思い起こすのは不愉快な出来事の数々だ。
「リヴァイさん」
 名前を呼ばれて、最後の糸が切れた。
 ――もう今夜の俺は、兵士長でもなんでもない。


     ▽▽▽


 唐突に「調査兵団をやめるつもりはないか」と言われて、頭が真っ白になった。
 返事ができずにいたら、リヴァイさんが目を見開いた。
「違う」
 咄嗟に出たのはそれだけで、しばらく黙った後に「違うんだ」と小さく繰り返した。再びゆっくりと倒れ込むようにして力を失うリヴァイさんの身体を、先程までと同じように抱き留める。少しでも愛しいと伝わればいいと、手のひらに熱をこめながら。
「……傍にいてほしくないわけじゃないですよね?」
「当たり前だろう……」
 抱きしめられているというよりも、縋り付かれているようだ。
 ――違う。お前がいい。お前を一番にしたい。してやれない。ここにいたらしてやれない。それでも俺は。
 リヴァイさんがうわごとのように呟く単語をどうにかつなぎ合わせて、何となくの意味を理解する。
 調査兵団の兵士長としてのリヴァイさんが、最優先すべきは私ではない。そんなことは最初からわかっている。おそらく、リヴァイさん本人も。
 私が兵士である限り、兵士としての私を優先することはできなくて、でももしも私が調査兵団を辞めたなら?
 そんなことを、考えたことがないと言えば嘘だ。
 しばらく黙って抱き合いながら、私の方から口を開いた。
「リヴァイさん」
「何だ」
「私が傍にいなくても、ちゃんと夜はベッドで眠ってくれますか」
 自分の部屋に帰るなら、椅子で寝ると凄まれたことがある。
「私が一緒じゃない時も、ちゃんとゆっくりお風呂に入ってくれますか」
 二人でふざけてのぼせそうになりながら、お湯の中でも口付けた。
「面倒だって言って、ごはん抜いてお酒で済ませたりしませんか」
 二人で食べたらおいしいですねとはしゃいで、そうだなと返してくれた時の顔を忘れない。
 私の問いの全てに、リヴァイさんは黙って首を振った。私が頭を抱え込むように抱きしめているものだから、ただ胸に頭を擦りつけているようにしか見えないけれど。
「全部、無理だ」
 結局は傍にいたい。それだけだった。
 私だけでなく、リヴァイさんも同じだといい。
「お前の一番は俺だろう」
「そうですよ」
 心細げな声を出さないでほしい。むぎゅ、と腕に力をこめて、当たり前ですと宣言した。
「兵士としても、一人の人間としても、私の最優先はリヴァイさんです。捧げた心臓も、リヴァイさんを好きになった時に返してきてもらっちゃったので」
 兵士としては失格だけれど、この人にだけは伝えておきたい。
「よそで言うなよ……」
「二人の秘密ですね」
 くふくふと笑いを噛み殺して、今宵またひとつ共有する秘密が増えた。


「リヴァイさんは、兵士長として私のことを最優先にできないって気にしてましたけど」
「ああ」
 少しずつ酔いがさめてきたのか、先程のように甘えたままの姿勢ではいてくれず、それを少しばかり残念に思いながらも言葉を紡ぐ。
「私を一番に優先してくれなくても、一番愛してくれたら充分なんですよ?」
 調子に乗るなと怒られたら拗ねようと思ったけれど、リヴァイさんは何やら難しい顔をしたかと思うと、事も無げに言い放った。
「一番も二番もあるか。俺が愛してるのはお前だけだ」
 殺し文句。
「リヴァイさんにころされた……」
「何言ってやがる、オイ、どうした」
 あまりの発言に顔が上げられないというか、見せられない。シーツに隠れるように丸まって、あうあうとうめき声を上げながら身をよじる私を見て、リヴァイさんは慌てているようだったけれど。
「酔うとすごいこと言いますね……!?」
「何がだ」
 無意識でこれかと思えば、もうどうしてくれようか。
「なんでもないです……」
「嘘つけ。どうした。言いたいことがあるなら言え」
「……私も、愛してるのはリヴァイさんだけだって話です」
「……そうか」
 ならよかった、と口ごもるのは、照れているからだと思いたい。さっきの私の衝撃は多分これ以上だ。
 私を抱きしめる腕に、触れる指先に、絡まる脚に。
 そして優しく口付けを繰り返す唇にもすっかり溶かされながら、二人だけの夜は更けていく。


     ▽▽▽


「……」
「…………」
 翌朝。
 昨夜散々伝え合った愛の言葉は、一晩明けてみればお互いの羞恥心をこれでもかと刺激した。
 酔っていたリヴァイさんは記憶がしっかりと残っているし、酔っていない私は当然全てを覚えている。
 あれ以降も、なんだかもうすごいことを言った気がするし、言われた気がするし、された気がするし。
「な、んだか、照れちゃいますね……」
「言うな……頼むから……」
 大人の理性が切れるとまずい。
 お互いの顔をうまく見られないまま、私達は身支度を整えることになったのだった。

 部屋を出る前に、リヴァイさんが言った。
「なんとか切り替える。……呼んでくれ」
 何を求められているのかがわかったので、言われた通りにする。
「はい兵長、今日も一日頑張りましょう」
「……ん、これなら多分平気だ。いや、迂闊に執務室に来られたら手を出す自信がある。今日は茶を持って来なくていい」
「そこは何とか我慢してください」
 私の方は私の方で、手を出されたら拒めない自信があるし。
 甘い空気を他の人に悟られないように(多分無理だ)、私と兵長は日常に戻る。
 そうして夜になる度に。
 ただの恋人同士になって、世界を美しく塗り替えるのだ。


end


83話。
83話……!
20160712


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