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 前回同様、気付けば作業が伸びている。
 翌日のお昼になって、私は焦り始めていた。
 今日には終わるかと見越していた本の山は、どこか増量している気さえする。
 この大量の文献を仕分けして、分類して、書庫に収める。
 駄目だ。とても今日中には終わるまい。
 私の立場はあくまでも補佐なので、ある程度の目処がつけぱ後を任せることは可能だった。
 それでもやりかけた仕事を途中で放り出すのは忍びなく、薄々覚悟を決めようとしてしまう。
 今夜中に、帰れないかもしれない。
 兵長の誕生日を日付が変わって一番にお祝いするという、私の野望を諦めなくてはならないと。
 別に兵長は、私のお祝いが遅れたからって怒るような人じゃない。それどころか、あまり自身の誕生日や記念日に執着する方ではなかったのだ。
 ただ、私が毎年一大イベントのように大騒ぎしているだけで。
 それでもここしばらくは、そういうお祝いを兵長も悦んでくれていたように思う。多分。嬉しそうな兵長の表情を、私が少しずつわかるようになってきたからというのもあるかもしれなかった。
 そういえば結局、欲しいものも聞き出せていない。
 今年は何だかどれもこれもがうまくいかないようだ。こんな年もいつか「いい思い出」なんて笑えるようになるだろうか。今の私はどうしてもしょんぼりとしてしまうけれど。
 短い昼休憩をとって、再度作業に没頭する。残りの文献の山が、どうにも減っていないように見えるのは気のせいだろうか。それとも私の心の焦りがそう見させているだけか。
 窓の外を見ればもうすっかり夕暮れだ。あと数日で新年を迎えるこの時期、太陽の出ている時間はとても短い。風の吹く外はとても寒そうで、この暗さとあいまっていよいよ私の帰宅(あえて家と呼ぶならば)を阻んでいた。
 流石に今日は諦めるしかないだろう。
 仕方がない、せめて明日の内に帰れることを祈ろう。誕生日当日にお祝いを言えるのなら、それでよしとしなければ――そんなことを、考えていたら。
「――相変わらず学習しねぇ奴だな」
 そんな、忌々しそうな声が。


「兵長!」
「まだグズグズしてやがるのか」
 相変わらずの辛辣さだった。
 図書室の扉を背に、兵長は腕を組んでこちらを見ている。その視線は刺さるようだったけれど、私にとっては慣れっこだった。同じテーブルで作業についていた駐屯兵団の面々は、少しばかり怯えているようだが。
「いえ彼女のせいではなく、こちらの都合で残っていただいているんです……申し訳ない」
 室長が頭を下げるのをちらりと見やると、兵長は小さく嘆息した。
「だろうな……色んな方法を考えるもんだ」
 方法?
 兵長の言葉の意味が理解できず、室長を見ると何やら苦笑いを浮かべている。
「オイ」
 相変わらず機嫌が悪そうな兵長は、機嫌が悪そうに歩いて機嫌の悪そうな仕草で私の頭を掴む。そのままぐいと兵長の方を向かせて。
「お前はこっちを見てりゃいい」
「はい……?」
 いよいよ訳がわからなった。
「てめぇのとこに納入された文献リスト、資料一覧。そいつの整理が終わりゃ、こいつはお役ご免だった筈だが」
 淡々といつの間にか手にしていた紙束をちらつかせる兵長。どうやってそんなものを手に入れていたのかわからないが、物言いたげに目の前の室長を見据えている。
「おや、バレていたんですか」
「ああ、すぐにな。じゃなきゃこいつがここまで手間取るわけがねぇだろう」
 二人だけで何やら通じ合っているようなのは気のせいだろうか。確か前に兵長が迎えに来てくれた時も、似たようなやりとりをしていたような。これが男性同士というものなのか。それともお互いの思考が読めるくらい、二人は親しくなっていたとでも。
「なってねぇよ」
 幾分うんざりした表情を浮かべた兵長は、どこか呆れているようにも見えた。
「何のことはねえ。こいつは今回大量に入った文献の他に、水増ししてお前に手伝わせてただけだ」
「えええ……!」
 どうりで捌いても捌いても減らないと思ったら!
「普通は気付くぞ」
 兵長の言葉に落ち込みながら、室長を見上げる。先程兵長を見ていろと命じられたけれど、この場合は仕方がないだろう。
 どう言ったものか困っていると、室長もすまなそうな表情を浮かべて、小さく頭を下げる。
「すみません。騙すつもりはなかったのですが……あまりに早く終わってしまうもので、魔が差しました。謝罪します」
「いえそんな……でも言っていただければ、私は」
 慢性的に人手が足りず、仕事が進む内に片付けてしまいたかったのだろう。その気持ちはわからないでもない。困っているならお互い様だし、助力を惜しむつもりはなかったのだけれど。
「言ってたら何だってんだ」
「ひっ」
 すぐ傍で低い声が響いて、思わず身をすくませる。声の正体は言うまでもなく。
「ここに残れと依頼されたらホイホイ手伝って帰ってくるつもりはなかったってのか」
「そんなことは!」
 日を改めるなりして、一度帰らせてもらっていたと思う。何せ大変私的な理由ではあるが、愛しい恋人が待っているのだし。
 まさかこんな人前でそんなことは言えなかったけれど、私の表情で兵長には大体わかったらしい。先程よりは表情が緩んでいた。
「そんなわけだ。当初の契約通りの仕事は済ませただろう。持って行くが構わねぇな?」
 持って行く、とは文献でも資料でもない、私だ。
 荷物扱いが気に掛かるところではあるが、室長は肩をすくめて頷いた。
「兵士長自ら出向かれては、無理強いできませんね」
「俺としてはいい加減諦めてほしいもんだが」
「一応、心に留めておきます」
 また二人だけで謎の会話を繰り広げている。
 割って入っても教えてはもらえなそうで、私は荷物をまとめがてらこの数日お世話になった駐屯兵団の面々と挨拶を済ませる。みんなどことなく苦笑して見えるのは、わざわざ兵長に迎えに来てもらったりしたからだろうか。ちょっと恥ずかしい。勿論、それ以上に嬉しかったから何も言うつもりはない。


 気付けばあっという間に兵長に駐屯兵団本部から連れ去られ、待たせていたという馬車に乗せられた。
 少しばかり揺れるのは、馬車が急いでいるからだろうか。外を窺うとすっかり夜で、そう言えば夕食をとっていないなと気付いてしまった。
「腹減ってるか」
「いえ、昼食もとりましたし」
 本当は少しお腹が空いていて、どうか鳴ったりしませんようにと祈っていた。このタイミングで情けない音を響かせるのは、いくらなんでも恥ずかしすぎるし。
「口開けろ」
 そんな私の密かな努力は兵長にはお見通しだったのだろうか。どこからかごそごそと取り出したキャンディを、口の中に放り込まれる。
「おいしいです」
「ならよかった」
 広がる甘さに頬を緩めた。ころころと口の中で転がして、甘えるように肩にもたれる。
 いいだろうか。馬車の中は二人きりだし。
 そんな甘えがあったことは否めない。部屋に戻ってからにしろと叱られるかと思ったが、意外にも兵長は私の好きにさせたままでいてくれた。
「そう言えば兵長」
「あん?」
「室長とよくわからないことを喋ってましたが、あれって」
「お前は知らなくていいことだ」
「えー」
 そう言われるとますます気になる。私が不服そうな顔をしていたのだろう、兵長はそうだ、と呟いて。
「教えてやってもいい」
「ほんとですか!」
 今日の兵長はやけに優しい。昨晩は一緒にいられなかったから、その分だろうか。たった二日でと笑われそうでもあるけれど。
「そのかわり、お前が知りたがってた質問の答えはナシだ」
「それって……」
「ああ、俺の欲しいもんを知りたがってたろう」
「思いついたんですか?」
 私の言葉に頷く兵長。今まで何を言ってもはぐらかしてきたというのに。でも、兵長は続けて言う。
「お前が聞きたい方を答えてやる」
 そんな、意地悪な問いを私に投げかけて。
「タイムリミットは俺の部屋に帰るまでだ。好きに悩め」
 そう言って、満足そうな表情を浮かべるのだった。


 私がどちらを選ぶかなんて、言うまでもないのに。
 しばしの間馬車に揺られ、私達は調査兵団に戻ってきた。早く部屋に戻って答えを聞きたいと焦る私を宥め、兵長はまず夕食だと私を食堂へ連れて行った。
 先に腹ごしらえをと意味深なことを呟いていたけれど、はやる気持ちを抑えきれない私は、その意味を理解することはできなかった。
 私室や外ならともかく、兵長と食堂で向かい合って食事することはあまりない。
 珍しい体験と目の前の兵長につい表情をゆるめてしまうと、見てないで食えと叱られた。
 そうして部屋に戻った私は、室内を見回してほっと溜め息をついた。やっぱりこの部屋が落ち着く。自分の部屋よりも居心地がよくなってしまっているのが困りものだ。
 先程の馬車で兵長に選べと問われた二つの選択肢。
 私は当然兵長の欲しいものを聞きたがった。
「欲しいものが思いついたんですよね?」
「ああ」
「私ですか? 私ですね? 私はいつだって兵長のものですよ」
 わくわくと兵長に言葉をぶつける私であった。兵長が欲しいのが私であればいいという、仄かな願望だ。
「違う」
 衝撃のあまりその場に崩れ落ちた。
 確かに、兵長がそんな甘い言葉をかけてくれるとも思えなかったけれど、そして他に欲しいものがあるのだったら勿論そちらも用意するつもりだったけれど、しれっと「いらない」と言われてしまうと私にもダメージが。
「いらねえなんて言ってねぇだろうが」
 どこか慌てた様子の兵長は、涙目の私と視線を合わせた。
「とりあえず立て」
「はぁい……」
 兵長に起こしてもらったついでに、そのまま腕を放さずにいた。数十時間ぶりの距離は、どれだけ慣れていてもやっぱりどきどきする。じっと兵長を見つめると、どことなく決まり悪げな表情を浮かべている。
「さっきのお前の、あれだ」
「あれ?」
「俺が欲しいのが……」
「私じゃないって話ですか」
 一気に落ち込む私であった。違うと全力で否定されたし。
「いや、まったく違うってわけじゃなくてだな」
 どこか焦ったような兵長の様子にも、私は首を傾げることしかできない。
「ああ――クソ」
 口ごもり、歯切れが悪い。
 そんな兵長がそれから数分かけて、私に伝えた内容は次の通りである。

 日付が変わったら一番最初におめでとうと言われたい。
 つまりはそういうことだった。

 だから無理矢理にでも連れて帰ってきたのだと、珍しく兵長の方が頬を染めて告げてきた。
 その瞬間の私の心境を、どう言葉にしたら良かったのだろう。
 持てる力の限りで飛びついて、抱きついて、抱きしめて。
 返ってくる腕の力に身を任せ、そうしてベッドになだれこんで、あとはもう。


 暖かな温度に包まれて、ぼんやりと少しずつ覚醒する。
 目を開けると、私の身体はシーツと毛布と兵長にくるまれていた。
「おはようございます……?」
「まだ夜だ」
 寝ていていいぞと髪をかき混ぜられ、うっとりと目を瞑り――あることに気付いてカッと目を開ける。
「うお」
 その勢いに兵長が珍しく怯んだ。
「びっくりするじゃねぇか」
「兵長! 今何時ですか!」
 慌てて腕の中でもごもごとうごめく私を、兵長は片腕で拘束したまま身を起こして時間を確認する。
「二時だ。真夜中のな」
 真夜中なのは辺りの暗さでそれは理解できた。先程兵長がまだ寝ていていいと言った訳も。だがしかし。
「とっくに日付かわっちゃってるじゃないですか……!」
 二十五日を迎えて、早くも二時間が経過していた。つまり、兵長の誕生日を迎えてから。
「起こしてくれても良かったのに」
 抱き合った後に睡魔に襲われ、心地良く眠り込んでしまっていたのだった。
「俺も寝てたんだ」
「本当に?」
「ああ」
 怪しいところだった。
 たまに私が寝ているのを眺めて面白がっているし。
「別に面白がって見ちゃいねえ」
「じゃあどうして」
「……」
 黙殺された。
 腕の力を強めて頭を撫でたら、私がすぐほだされると思ったら大間違いなのに。
「そうなのか?」
「嘘ですほだされます」
 だからもっと撫でてほしいと、すぐに白状した。
 兵長は呆れたのか言葉を失ったのか、とにかく喉の奥で小さく笑って、私の望みを叶えてくれた。
「……私がしてもらってばっかり」
「そんなことはねぇと思うが」
「ね……」
 甘えたような声を出す。二人きりの時にしか、響かせられない。
「おめでとうございます、大好き」
 今年もちゃんと告げられて良かった。
「……大人げねぇ真似をした甲斐があったな」
「なんですか?」
「なんでもねぇよ」
 兵長はよくわからないことばかりを言う。
 それでもこうして二人、シーツにくるまっているのはとても幸せだ。
 そのまま私達は、夜明けまで互いの欲しい物を分け合って抱きしめ合うのだった。


end


兵長お誕生日おめでとうございます
実は去年の今頃に前半部分まで書いて、そのまま仕上げられずにいたものを一年越しで終わりまで書きました
20151225


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