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センチメートルアイロニー03


 下心があったことは認めよう。
 俺の全てが好きだとにこやかに繰り返す恋人が、もっと惚れてくれるんじゃないか。そんな風に考えてしまったことを白状しなくてはならない。
 全長160センチメートル。それが俺だ。
 恋人との身長差もさほど無く、見下ろすには段差が不可欠で、それでも不満はない筈だった。
 だがしかし。

 ――身長に影響するんです。

 俺はそんな甘言に、まんまと乗せられてしまう。
 薬学研究棟で手渡された飲み薬。ベッドに入る前に一瓶飲み干しはしたが、実際の所効果については半信半疑だった。
 こんなもので人の身長がそうやすやすと変わってたまるか。自慢じゃないが何年身長に変化がないと思っている。そんな、本当に自慢にならないことを思いながら眠りについて、翌朝。
 まさか本当に効くとは思わなかった。
 それに。

「あなた誰ですかー!?」

 起き抜けの恋人に泣かれるとも思わなかったんだ。


   ***


「落ち着け」
「どうやって!?」
 目の前のリヴァイ兵長はいつも通りの落ち着きようで、いつも通りに私を諭す。

 数十分前。ふかふかでぬくぬくの布団にくるまれて、ゆっくりと目を開けるとそこには愛しい恋人の姿。とろとろにとろけそうな幸福感を味わいつつ、ゆっくりと脚を絡ませた――のだが。
 兵長の足先に触れるはずの私の爪先の感覚がおかしくて、脳のどこかがが警鐘を鳴らす。いつもとなんだか、様子が違う。
「……ん」
「!!」
 目の前で身じろぐと同時に小さく漏らされる声は、私のよく知るもののはず。多分。何だかおそろしいものを目にしそうで、そちらに視線を向けられない。俯いたまま縮こまって黙っていると、頭の上から声が降ってきた。
「なんだ、起きたのか」
 寝起きだからか少しばかり掠れた声と共に、さらさらと髪の毛をかき混ぜる手も、いつもと同じようでいて、どこか決定的な違和感が。そう、例えば手のひらの大きさとか。
「どうした? まだ眠いか」
 そろそろ起きて朝飯を――そんな風に囁く口調は私のよく知るもののはず。そうだ。私がちょっと寝ぼけてしまっているからに違いない。私とこうやって眠るのなんて、兵長以外に居るはずが――

 そうして顔を上げた私が、悲鳴を上げて逃げようとして捕まって泣いて宥められて――落ち着くまでには数十分が必要だった。

「なんでそんなものを飲んじゃうんですか……!」
「それは、」
「何ですか」
 珍しく言葉に詰まる兵長の顔を、じっと見つめる。私の視線から露骨に逸らされる視線。何かがあったと言っているようなものなのに、兵長は口を開こうとしない。
 少し背が伸びただけ、なんて。
 20センチは少しじゃないし、よく見れば腕だって脚だって身体に合わせて伸びている。手のひらの大きさも足の大きさも違うだろうし、顔つきも少しばかり違って見えるような……
「本当に兵長ですよね?」
「お前の知らない場所にあるお前のほくろを教えてやれるが、それで証明になるか?」
「しなくていいです信じます!」
 こんなこと、兵長しか言ってこない。
 疑う余地もなく兵長だった。
 薬学研究棟の実験台に、なんて普段の兵長だったら一蹴しそうなものなのに、どうして今回に限って受け入れてしまったのか、小さくため息をつくものの、ここでこうしていても仕方がない。
「いつもの兵服は無理そうですよね。支給品の予備を取ってきます」
「ああ、頼んだ」
 兵長の格好――袖も丈も足りていない部屋着姿では、部屋の外には出られないだろう。着替えの都合がつきそうだとわかると、さっさとシャツを脱ぎ捨ててしまう。うっかりいつもと違う姿を見つめてしまっていると、兵長が面白そうな表情を浮かべて言った。
「随分熱心に見つめてるが、風邪を引く前に頼む」
「……! いってきます!」
 染まった頬を隠したいと無駄な努力をしつつ、私は部屋を飛び出した。

「サイズはどうですか?」
「ああ、こんなもんだろう」
 私の用意した兵服一式を身につけた兵長は、やはり私よりだいぶ背が高い。首元のスカーフだけは自分のものを巻き付けて、鏡を覗き込んでいた。兵長を見上げる形になるのが慣れなくて、思わず数歩後ろに下がった。うん。これなら首の角度を変えなくたって兵長のことを見ていられる。
「ひっ」
「何だその声は」
 私が一人頷いているのがお気に召さなかったのか、兵長がずいと近寄ってきた。思わず間抜けな声をあげてしまったのは、やはり慣れないからだった。距離感にも、身体つきにも、少し遠くなってしまったその顔にも。
「そう露骨に怯えられると堪える」
「怯えてる、わけでは」
 ないと思う。
 ただちょっと、どうしても慣れないだけで。
「時間をとらせたな。そろそろ行くか」
「そうですね」
 身支度を整えて一息つくと、そろそろ互いの業務につかなくてはならない時間だ。朝食は手早く済ませるとして、今日一日のことを思ってため息をついた。「兵長に何があった」と質問責めになることは間違いない。
 部屋から出る直前に、思わず立ち止まってちらりと背後の兵長に目をやった。
 振り向いただけではいつもと勝手が違って、少しばかり首の角度の調整が必要だったけれど、兵長は普段と同じ表情で私を見ている。
 普段ならば、こんな時には口づけをねだっていたなと思う。別に毎日「いってらっしゃいのキスを」「でなければ仕事に行かない」なんて言ったりはしない。本当にしない。
 それでも部屋を出がけに掠めるように触れる兵長の口唇で、その日一日の活力になるのなら、結構なことだと思うのだ。
 今の姿の兵長を見慣れていないし、触れ慣れていないから違和感があるのだ。きっとそうだ。
 つつ、と近寄り、物欲しそうに兵長を見つめる。いつものように首を傾けて――そこからどうすることもできない。
「どうした」
 そんな楽しそうな顔で見つめなくても。
 いつもだったらすぐ側にある筈の兵長の顔は、今は私の頭上だ。背伸びをしたらいいのか、はたまた屈んでもらうのか。こういった身長差には馴染みがなくて、どう言ったらいいかもわからない。
「……どうもしないです」
 結果として、私は拗ねて部屋を出た。
 待てとかからかって悪かったとか、そんな言葉が聞こえたような気もするけれど、多分私の空耳だろうから。


   ***


 質問責めを覚悟していたけれど、同僚達は私の「察して」の一言で大体理解してくれたらしい。付き合いが長いとこういう時に助かる。
 兵長の身長が急激に伸びたと兵団内ではそれなりに騒がれていたようだが、私はといえば書庫に籠もって黙々と作業に従事していた。そのおかげで無用な騒ぎに巻き込まれることがなかったのは良かったのか悪かったのか。
 傷んでいた文献を黙々と修復する作業に没頭していると、気付けば午前が終わっていた。慌ただしく朝食を済ませただけだった私のお腹は空腹を訴えていたけれど、食堂に顔を出して物言いたげな視線に晒されるのも気まずい。自分の部屋に戻れば何かしら口にできるものがあるだろう――と腰を上げたところで、書庫に意外な来客があった。
「――やあ」
 いつも以上ににこやかに、つとめて明るい空気を醸し出すような声の正体は。
「ハンジさん……」

「たまには一緒に昼食でもどうかと思ってね」
 そんな珍しい申し出に、私は大人しく頷いた。
 ハンジさんの掲げた紙袋の中身は想像した通り二人分のサンドイッチやらベイクドポテトやらが入っていて、まずは食事を済ませようとのハンジさんの提案に勿論私は賛成した。
 食事中の会話も、どこか上滑りしていたことは否めない。
 お互い何か言いたいことがあるのは薄々気付いていて、サンドイッチの最後の一口を飲み込んだハンジさんは、静かに息を吐いた。
「……見たよね? 当然」
 何を、とは言われずともわかる。この場合誰を、と言うべきだろうか。
 兵長がああなってしまったことの理由の一端を、ハンジさんが担っていることには薄々気づいていた。だからこそ、こうして私の元を訪ねて来てくれたのだということも。
「ということはバレてる?」
「大まかなことは予想してます」
 ハンジさんの説明というか弁明というか、それは大体私の想像していた通りだった。私の予想から外れていたことといえば、薬学研究棟に兵長が自ら赴き、薬を所望したということくらいだ。私にはその理由は思いつかず、ハンジさんに聞いてみてもはぐらかされてしまう。兵長本人に聞けと、そういうことなのだろう。
「これでもね、焚き付けちゃった責任を感じてるんだよ。リヴァイはともかく、あなたにね」
「単純な好奇心だったという事実は?」
「それは否めない」
 面白いことになりそうだと興味があった。ハンジさんはきっぱりと清々しく、何の衒いもなく言い切った。
「……だからね、恨み言を聞こうかと」
「恨み言だなんて、そんな」
 兵長に薬の存在を知らせたのがハンジさんだとしても、実際薬を飲む決断をしたのは兵長本人だ。どういう経緯でそんなことをしようと思ったのかは、本人に聞かないとわからないけれど。
「今は仕事仲間としてじゃなく、友人という立場で文句を聞こうじゃないか」
 さあ、とハンジさんは手のひらを上に向け、私に促してきた。
「では遠慮なく」
「どうぞ」
 思い切り息を吸い込んで、私は。

「うわあああああああん!」

 盛大に大声をあげた。
「いやほんと、こんなことになると思ってなくてさ」
「ううう……」
 ほろほろと涙をこぼす私を、ハンジさんは焦りつつも宥めていた。
「ああいうリヴァイは、リン的にはお気に召さない?」
「……そういうわけじゃ、ないんです」
 身長が伸びようと縮もうと、私の兵長は兵長だ。別に、外見だけで好きになったわけじゃない。
「そりゃあ兵長はかっこいいですし、凛々しいですし、立ってても歩いてても座ってても、何をしてても素敵で見てるだけでどきどきするんですけど」
「え?」
「え?」
「リヴァイの話だよね?」
「そうですよ?」
「…………うん、ごめん続けて?」
 人にはそれぞれ好みがあるもんねとハンジさんは何やら口ごもっていたけれど、続けてと言われたのでお言葉に甘えることにした。
「とにかくその、兵長って見てるだけでうっとりする程素敵な男性ではあるんですけど、見た目だけが好きってわけじゃないんです」
「うっとり……? いや何でもないよ、うん」
「だからその、兵長がああして大きくなってしまっても、それで嫌いになるとか、そういうことはないんです。中身が優しい兵長のままなら、私は」
「……優しいの?」
「すごく」
 つい日頃の兵長を思い出してだらしなく頬をゆるめてしまう私に、ハンジさんは変わった生き物でも眺めるような視線を寄越す。
「……だから、同じ兵長なんだってわかってるのに、私……」
 突然のことに驚いて、慌てて逃げようとしたりしてしまった。目の前のこの人は兵長だと、頭ではわかっていた筈だ。
 それでもどこか知らない人みたいだし、顔はいつもより遠くなるし。
 20センチの差だけど、その分だけ兵長が遠いところに行ってしまったように感じた。
「それで今朝酷い別れ方をしてしまったので……」
 そこまで話して、言葉に詰まる。
 兵長に次会う時に、どんな顔をしていたらいいのか。
 嫌われちゃったらどうしよう。
 沈みこむ私を見て、ハンジさんは苦笑混じりに
「大丈夫大丈夫」
 そう言って私の背中を叩いた。

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20151127


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