←3


センチメートルアイロニー04


 訓練用の森の中。樹から樹に飛び移り、立体機動の調子を確かめる。ガスを吹かしてスピードを調節し、巨人を模したハリボテのうなじを一息に斬り取ってから旋回した。
 手近な樹の枝に着地すると、後を追うようにしてエルヴィンがやって来る。同じく立体機動を装着したまま、俺の動きを確かめていたのだろう。
「どうだ?」
「駄目だな」
 短い問いに、俺もまた一言で返答を済ませる。
 急激な身体の変化は、すぐに目の前の男の知れる所となった。表面上は平静を装っていたようだが、顔を合わせた瞬間に数秒ばかり黙り込んだのは見逃さなかった。
 俺の身長に変化が訪れてなお、俺よりも高い位置にある目が俺の身体のあちこちを検分するように眺め、すぐに
「立体機動を試すぞ」
 と言い出してここまでやって来たのだ。
 身長だけでなく腕の長さも脚の長さも変わっていた。実際に動いてみればすぐに、普段通りにいかないことがわかる。何せ自分の身体だ。
「今までより機敏さに欠ける上に、回転時に負荷がかかりやがる。同じスピードで飛ぶのは無理だろうな」
「成程。慣れの問題ということは?」
「それもあるだろうが、今より多少は言うことをきくようになったところで前ほどは無理だ。筋力面で言やあ、前より少しばかり力が出せそうだが」
 それでも機動性を犠牲にしてまで手に入れるべきものかといえば答えは否だろう。対巨人に関して言えば、どれだけ思い通りに飛び回れるかがものを言う。
「それなら継続して投与する必要もなさそうだな」
「……そんなこと企んでやがったのか」
「人聞きの悪い。お前が自発的にそんな姿で現れたんだろう。有用かどうかを試しただけだ」
「有用だったら口から例の薬を流し込みやがりそうだ」
「俺をどういう男だと思っているんだお前は」
 軽口を叩き合うが、結果として俺はこの薬を飲み続けるわけにはいかないということだ。壁外調査の際に使い物にならないのでは話にならないし、それに何よりも。
「彼女は何と言っているんだ? 今の姿でなくては嫌だと言うだろうか」
「……言いやしねぇよ、あいつは」
 彼女、とはリンのことだろう。含みを持たせた言い方をしているが、エルヴィンもどんな女か知っている筈で、リンがそんなことを言う筈もないことをどうせわかっている。
「今朝見かけた時に、いつもより元気が無いようだったが」
「オイあいつにちょっかい出したのか」
「出さない。見かけただけだ」
 エルヴィンの呆れた様子が見てとれるが、呆れられようが構うものか。どうせどれ程惚れているかなんてこいつだけでなく何人にも知られている。肝心のリン本人がどれだけわかっているのかは別として。

 一通り試すと、本部へ戻ろうとする俺にエルヴィンが声をかける。
「リヴァイ。お前がその姿になったから言うわけじゃないんだが」
「何だ」
「彼女の癖には気付いているか?」
「……あん?」
 癖とはなんだ。俺の知らないリンの癖? そんなものを何故こいつが知っている。
「俺やミケ……ハンジ辺りは微妙だが、おそらく気付いているとは思うぞ」
 聞き捨てならない。
 どういうことだと詰め寄る俺に、エルヴィンはわざとらしく肩をすくめて口を開く。


   ***


 エルヴィンを問い詰めて、本部に戻った。
 ひとまず職務をこなさなくてはならず、執務机に積み上げられた書類に目を通し、俺が自由になったのは日も傾いてからだった。
 兵団本部には夕日が射し込み、廊下をオレンジ色に染める。
 俺にとって都合のいいことに、探していた後ろ姿がすぐに見つかった。階段を降りている後ろにそっと忍び寄った。いつもよりも心持ち足音を抑えて、気配も殺す。そんなことをしなくともいつもぼんやり歩いているこいつのことだ、ほとんどの場合俺が声をかけるまで気付かれないのだが、今日はもっと近づかなくてはならない。
 階段を降りきって、手を伸ばせば届きそうな程の距離になると、ようやく俺はゆっくりと口を開く。
「リン」
 俺の声に脚を止めて、すぐに振り向くリン。
 顔と身体をこちらに向けてはいるが、その視線は俺の胸元だ。
 一瞬視線をさまよわせて、それからようやく首の角度を上に向けると
「兵長」
 俺の顔を確認して、笑みを浮かべた。

『彼女の癖を知っているか?』

 振り向く時、横を見る時、いつも俺の顔がある辺りに視線をやるそうだ。
 俺が気付くわけがない。何せ張本人だからだ。
 皮肉なものだ。この身体になるまで気づきもしなかった。
「お仕事もう終わりですか? 私も終わったところなんです」
 俺を見上げるその角度は、慣れないけれどこれはこれで庇護欲を誘う。いつも頼りない身体だと感じるが、今はそれが更に強調されている気がした。ごくりと鳴りそうになる喉を誤魔化すように、俺は口をつくままに言葉を紡ぐ。
「なんだ、機嫌は直ったのか?」
 皮肉めいたことしか言えない自分を殴り飛ばしたい気分だ。頬を抑えて痛がったら、きっとリンは心配するに違いない。そんなろくでもないことを考えていたら、目の前のリンは俯いて恥入った。
「……あれはその、兵長が、意地の悪いことを言うから……」
「そうだな。あれは俺が良くなかった」
 一転して今度はするりと素直な言葉が口からこぼれ落ちる。おそらく恥ずかしがる顔を見て気分がいいからだ。我ながらどうしようもない。
「でも、あの態度は駄目だなって私……反省して」
「別に構いやしねぇよ」
 拗ねるくらいいくらでも拗ねたらいい。それが俺のせいなら尚更だ。拗ねて甘えて我が侭を言ってみせてくれ。後半はとても口にはできなかった。
「急に伸びたりしなければ、私だってここまでびっくりしなかったと思うんですよ」
「一日にどれくらいだ? 1センチなら許容範囲か」
「一年で1センチくらいなら」
「二十年かかるじゃねえか」
 気の長い話にも程がある。
「それを見守る私は、二十年一緒にいられます」
 思わず言葉に詰まる。こいつは不意にこんなことを言うから困る。頬を染めて照れている癖に、言われた方が赤面しそうだ。
「駄目ですか?」
「……構わない」
 構わないどころの騒ぎではないが、今の俺に口にできるのはこれが限界だ。それでもリンはやけに嬉しそうな顔をしているし、これで勘弁してもらうしかない。
 俺の言葉に安心したのか、リンは傍らの階段に目をやると、そっと足を乗せる。そのまま一段上に乗ると、先程よりも視線の高さが合う。袖を引かれるまま距離を縮めれば、リンは俺の両肩に手を乗せて瞳を覗き込んできた。
「ふふふ」
 何が嬉しいのか、先程よりも更に表情を緩ませて。
「どうした」
 それを問う俺の声も甘ったるい。こんな声を出して聞いてやると、いつもそれ以上にとろけそうな答えがかえってくると知っていた。
「今朝はちょっとだけ違う人みたいって思ってたんですけど……やっぱり目は一緒ですね。優しいまま」
 ――いつもの大好きな兵長と同じです。
 人通りがないとはいえ、ここは本部の廊下だとか、今更だが距離が近くはないかとか、そういった言葉がいくつも頭を素通りしていく。
 いますぐこいつをこの腕に抱くにはどうしたらいい。
 俺のその望みが叶うには、少しばかりの時間が必要だ。
 腕を掴み廊下を急ぎ、俺の部屋に閉じこめるまでの、数分間が。


 ***


 暖かくて気持ちがいい。
 少しずつ覚醒する意識の中、私が最初に感じたのはそれだった。
 まだ目を閉じていたいのに、部屋の中はもうすっかり明るくなっていて、微睡んだままむずがるようにすぐ側の体温に寄り添った。
 ふにゃふにゃと言葉にならない声を漏らしながらすり寄ると、馴染んだ感触の手のひらが頭を撫でてくれる。それがとても心地良いのだ。
「起きたか」
「起きない……」
 なんだそれは、と呆れたような声が頭上から降ってきても、私はまだ目を閉じたままでいる。さらさらと髪の毛をかき混ぜられて、こめかみの辺りに幾度となく口づけられるに至って、ようやく私はうっすらと瞼を開けた。
「おはようございます」
 とろとろと甘い空間で、兵長は私を見つめていた。先に目を覚ましていたようだ。
「早いですね……」
「ついさっきだ」
 そのまましばらくじゃれていると、どうにか起きあがる気力も湧いてくる。暖かくてふかふかで兵長とくっついていられる至福の空間から抜け出すのは至難の業だが、このままでは一生ベッドの住人だ。
 何とかベッドから這いだして、不意に振り返って――そこで気付く。
「兵長……ちょっと」
「ん?」
 私を見つめるその顔で核心した。
 失礼します――と毛布に手を伸ばし、そのままはぎ取ると。
「やっぱり……!」
 兵長の手足も身長も、私のよく知るものに戻っていた。
「ちゃんと元に戻れるんですね」
「みてぇだな」
 たとえ戻らなくても私が兵長を愛し続けることに変わりはないけれど、やはり今までずっと馴染んできた姿だと落ち着く。
「兵長はその……あのままの方が良かったですか?」
「いや? お前がいいならどうでもいい」
「兵長……!」
 不意打ちのように告げられる言葉に、私の心臓は途端に跳ねる。私も兵長ならどっちでもいいんです大好きとしがみついて、ようやく気付いたことがある。
 ベッドの上に座る、兵長の衣服。
 それが袖も丈も全体的に余ってだぶついていて、それが。
「……かわいい……!」
 弁明するけれど、私は誓って馬鹿にする意図なんてなかった。兵長がどんな格好をしていようと、私にとっては大好きでどきどきするただ一人の男性なことに変わりはなかったし、可愛いと思ったのも兵長だからだ。
 それでも多分、私は「かわいい」を連呼しすぎた。

 ――その結果、お仕置きとして私は無防備な姿のまま兵長に抱えられた状態で、立体機動の試運転の刑に処されることになる。

「うっうっ……」
「泣くこたねぇだろ」
「危ないじゃないですかぁあ!」
 べそべそとへたりこんで泣く私と、それを見下ろす兵長。どちらも樹の上だ。酷い目にあったと文句を言いたいのに、こんな高所で装備もつけていないので一人で降りることもできない。隣に腰掛けて、私が落ちないよう支えてくれているらしい腕から抜け出ることも叶わなかった。
「死ぬかと思いました……」
 あのスピードで落とされたら、間違いなく命は無かっただろう。
「馬鹿言え。落とすわけねぇだろう」
 立体機動の感覚が鈍っていなくて何よりだったと、兵長は恐ろしいことを言う。もし鈍っていたら、二人揃って真っさかさまだったんじゃなかろうか。
「万が一の時には一緒に死ねるぞ。良かったな」
 しれっととんでもないことを言い出す兵長に、思わず言葉を失った。
「冗談だ、真に受けるな」
 こつんと拳を額に当てて、兵長は薄く笑う。それは軽口でしかなくて、兵長にも私にもそんな気はなかったのだけれど。
「……ほんとに?」
「冗談ってことにしとけ」
「……兵長が死んじゃうとしたらずっとずっと何十年も先で、その時こそ私と一緒なんですからね」
 念を押すような私の言葉に、兵長はわかったわかったと今度こそ吹き出すように笑っていて、それが私にはどうにも嬉しいのだった。


end


兵長が160センチだから好きになったわけじゃないけれど、160センチの兵長がどうにも好きですという話
20151127


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -