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壱の話


 この国には名家と呼ばれる家が複数存在していて、彼らは古くから国の政に深く関わっていたりそうした人々との関わりを重んじていたり、あるいはそれらとは関係なく純粋に財を成していたりと、その活躍は様々だ。久世と呼ばれる一族もいわゆる名家に名を連ねており、その家は偶然、僕の生まれた家だった。
 父は婿養子だ。母には一人、嫡子となる兄がいたが、事故で亡くしたという話は僕がまだ幼い頃に聞いた記憶がある。跡取りとして迎えられた父を見るに名家の名は相当重いらしく、特にことお祖父様と同席しているときなどは常に浮かない顔をしていた。そんな父を見て育ち、僕もいずれはああなるのだろうかとか、家柄とは関係のない普通の、幸せな家庭を築きたいとか、そんなことを考えるようになったのは、確か中学生に上がる前だったと思う。僕は子供の頃から体が弱く、ついでにアレルギー体質もあってほとんど外に出ることはなかったから、多分、外の世界がどれほど無情であるかを知らなかったのだろう。冬の寒い日の朝、話があるからとお祖父様が僕の部屋を訪ねてきた。還暦を過ぎたお祖父様は夜着に半纏を羽織っただけの姿で背筋を真っ直ぐ伸ばしているというのに、僕はと言えば毛布をそのままコートにしたような厚手の上着の前を手繰り寄せ、どうにか冷たい風の忍び込む隙間を最小限にしようと肩を縮こませている始末だ。子供は風の子というがあれは嘘だ。室内だというのに吐き出す息が白く煙る中、重苦しい暗い顔をしたお祖父様が低く唸るような声で告げた「久世のために死んではくれぬか」という言葉を、きっと僕は生涯忘れることはないだろう。自分の呼気で視界が白くぼける。悲しいとか悔しいだとかいう感情はなかった。何故、という疑問と、やっぱり、という確信が僕の胸の内にはあった。お祖父様は何よりこの久世家の繁栄を望み、そのために生き、そしてそれをお祖父様よりも前の代の当主たちにも望まれてきた責任を負う人だ。黒い噂だって絶えることがなかった。そんな人からすれば体も弱く世間知らずで役に立ちそうにない僕が嫡子では困るのだろうし、僕よりも健康で賢く堅実的な判断をする弟を嫡子にしたがる素振りはかねてより理解していたことだったので驚きはしなかったが、それでもいざ自分にその矛先が向いたとき、真冬の寒さとは違う、体の奥にある臓物からすっと血の気が引いていくような寒さを感じたのは間違いなかった。身の凍る質問に対し何と答えたか僕自身の記憶も朧げなので定かではないが、恐らく僕は、はいと答えたのだろう。それからお祖父様はこの話を二度としなかった。僕のことも、まるで最初からこの世には生まれていないかのような無関心に振る舞った。そうして高校を卒業してから二年が経った頃、久世の家に一人の男が現れた。黒い髪に黒い瞳、黒いスーツを纏って黒いネクタイを締めた、まるで葬儀にでも参列するかのような黒づくめの男は、僕が二十歳になった五月五日、心臓から溢れる血のように赤く燃える夕陽を背負って僕の部屋の前に立っていた。瞳には感情がない。道端に落ちる石ころに向けて何気なく視線を落としたのと同じ、関心のない眼差しで僕を見下ろしていた。
 冬と春の狭間、寒暖の差に体調を崩した僕は二日前から熱を出し、その日はようやく高熱から微熱へと落ち着いた頃だった。五月だというのに気温は秋と変わらず低い。障子の向こうから差し込むぼんやりとした灯りが火事のように赤いのは夕陽が沈もうとしているからだろう。このままではせっかく下がった熱がまたぶり返しそうだと頭の片隅で思う。音もなく開いた障子戸に気付いたのは多分偶然だ。熱で浮かされ今の今まで寝続けていたというのにすっかり疲弊し体も起こせない僕の目には、不意に現れた男がまるで死神のようにも、太陽の化身のようにも見えた。開いた時と同様に静かに戸が閉められて、黒づくめの男が横たわる僕の隣に膝をつく。障子の向こうに透けて見える夕陽が男の髪を染める様子が、幼い頃に家族で囲んだ焚き火のように見えた。すごく綺麗だ。熱のせいで恐怖や不信感などは感じなかった。そもそも警備の厳しいこの家に家主の許可なく人が忍び込めるはずもないのだから、彼は誰かが招き、誰かに言われて僕の部屋に来たのだろうと思った。それが誰で目的が何かなど今更考えるまでもなく、浅黒く骨の太い手が僕の喉元へ伸びるのを黙って見つめていた。首筋に硬い皮膚の感触が触れる。こうして誰かの体温を感じるのは随分と久しぶりな気がする。父と母はいつも多忙で顔を合わせる機会は多くなかったし、昔はずっと一緒にいてくれた弟の陽翔もお祖父様の目を気にしているのか、ここ数年はめっきり距離が開いてしまった。それは少しだけ寂しいと思う。外気温のせいか少しひやりと冷たい手は熱にうなされていた僕の体温よりもずっと低く、思わず「あ……気持ちいい……」と、掠れた声が漏れた。男の手が僅かに弾んで動きが止まる。今なら熱のおかげで苦痛を感じにくいだろうから、その手で首を絞めるのであれば今一思いにやってほしい。地に足のつかないような、ふわふわとした夢見心地のまま首に触れる男の手が、僕の体温を確かめるように顎の下や頬に触れる。気持ちいいけどくすぐったい。身をよじる体力もないので微かに頭を傾けるに留まり、僕はそのうちまた眠りに落ちた。

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