愛しき旦那の話
「結婚してくれないか」
情けないことに、かけられた言葉を反芻し、理解するまで幾何かの時間を要した。
年齢だとか、身分だとか、いろいろ問題があるのではと的違いなことを問えば、目の前の他称堅物機械人間は「今すぐどうこうと言う話ではない。あくまで未来の話をしている」と答えた。おそらくこういう時の言葉がとっさに思い付かなかったのだろう。近代文学と古典と科学や物理関係の文庫本が愛読書の彼らしいといえばそれまで。
にしても、色々な過程をすっ飛ばしているのではないかと考えた。非常に喜ばしいことではあるが、何とも、
「つきあってくれ、て、ことで、いい...?」
「不満か」
「まあ、私、その」
「言いたいことがあるのなら簡潔に纏めろ」
「......いいの? 天下の風紀委員長さんがさ、私なんかと」
それほどでもないと自負してはいるが、褒められた経歴を持っているわけではない。まぁ、それを更生したのが彼であるのだが。
金髪パーマに長スカート。ケンカとサボりは日常茶飯事という、本の数ヵ月前まで不良のはしくれだった私を執念深く追い回しがなりたて、懇切丁寧に世話してくれたのが彼だった。その点に関しては感謝してもしきれない。
だが、だからと言って、こんなうまい話があろうか?
「お前だからこそ、このようなことを言っている」
「う......。」
「嫌ならはっきりと言え」
「急かさないでくれないかな!」
こっちは心臓やらいろいろ喧しくてまともに考えることすらできないんだ。逸らしていた視線を目の前の人物に合わせる。顔色一つ変えずに先ほどまでの言葉すべてを言っていたのかと思うと何ともたまらない。どうすればいい。どうこたえるのが正解だ?
「要素が、さ...その、ないと思うんだけど」
「?」
「そう言ってもらえるような要素が、私にあるのかなってだって、最初、印象とか最悪だったんじゃないかなって」
うだうだうだうだ、たいへん見苦しいのは百も承知だが仕方のないことだと思う。それでも生真面目に「そうだな、」と言葉にしようとしている。
顎に当てていた手を離し、ようやくまとまったのか口を開く。
頬を撫でる指先が、なんとも暖かかった。
* * *
「......寝坊だ」
懐かしい夢を見た。目の前にはあの時よりも幾らか老けた彼の顔。まあ時が経てば変わるよなと考えながらベッドを降りる。未だにすうすうと寝息を立てる彼と同じ布団、というのは何とも気恥ずかしいものだが大好きな匂いと温かさが近くにあるのだからそれ以上に幸せだ。
もさもさした髪を撫でつけてキッチンに向かう。いつもより遅く目が覚めてしまった。ああもう時間が惜しいっ
お弁当の食材たちと、ほうれん草と卵とコーヒーの粉かっこドリップ用かっことじを出して朝食の準備、彼とそういう関係になったその日から母親に頼み込んで修業した甲斐あってかもう手慣れたものだ。
「おはよう」
「ん、おはよう」
寝室のドアが開いて彼が眠たげな口を開く。少し跳ねた髪が可笑しくて少しだけ笑えば鋭い眼光が私に向けられた。
「ふふ、髪が跳ねてるよー 顔洗って櫛通しておいで」
つけたテレビが占いコーナーを高らかに開始している。今日は6位か。ど真ん中だな。
幾分かさっぱりした彼が戻ってきて、席に着いた。目玉焼きはあきらめてほうれん草の入ったスクランブルエッグ。これ地味においしいよね。
見た目としてもいいのでは? と買ったトースターにパンを入れてセット。火力は熟知済みなので焦げるということはない。同時にコーヒーの準備もする。
「今日は遅くなる?」
「いや、おそらくは早く帰る」
「珍しい。じゃあ今日は久々に普通にご飯が食べられそうだね」
頷きテーブルに置かれた朝刊に手を伸ばす。ご飯を食べる際には閉じてくれるから問題はない。
「そういえば、少し昔の夢を見たよ。あなたが高校生という身分にも拘らず唐突にプロポーズをかましてきたあの日の」
寄る眉間の皺。彼にとっても少しは黒歴史らしい。
こっそり笑いながら冷凍のから揚げをチン。前にお母さんに作ってるとこ見られて冷凍食品かーふぅううん? と言われて以来少し罪悪感を抱えるようになってしまった。でも朝から油用意したりしてたら片付けも大変じゃないか。仕方ないと割り切ってください。
「どこに惚れる要素があったのかってところで目が覚めちゃったんだけどねー はいおまちどう」
パタパタ閉じられる新聞。寄った皺は中々標準値に戻ってくれない。きれいに手を合わせてのいただきます。何とも清々しい気持ちになるからうれしいものだ。
よくある3つに分かれたお弁当の2つに卵焼きとから揚げ、あとさっきのスクランブルエッグと昨日の晩御飯の残りであるさつま芋の煮物を詰めて、ご飯用の筒に雑穀ご飯を入れていく。栄養バランスとかはあまり分からないままここまで来てしまった。だいずはやさしいとか言ってたっけ? おぼろげにも程がある。一応緑と黄色と赤があるのがいいという小学生時代の記憶を引っ張り出しての弁当作りだ。
「よしできたっ」
飲み物は彼の自由ということで、弁当袋に入れてカバンの中に入れる。おおうなんだこの太い書類ファイル。昔呼び出しやらで散々見た職員室の奥においてある固めのフィルが入っている。それなりに偉い位置にいると聞いたことがあるが。
シンクに入れられたお皿。お粗末様。着替えのため部屋に引っ込むのを見送りながら私の朝ごはん。コーヒーが飲めないために私はホットミルク。
そのうちピッチリとスーツを着こなし髪の毛もいつもの形になった彼が戻ってくる。にやけるな。恥ずかしがるな。結婚して何か月目だ私は。
鞄を持っての見送りで玄関まで行って、革靴の先でこんこんと玄関の床を叩く彼に鞄を渡す。よくある新婚夫婦の光景を真似してやり始めたものだが。まぁ、気恥ずかしくはある。
「............」
「? どうした?」
「...いや、何でもない」
「?...そっか、じゃ、いってらっしゃい文則 今日も頑張っておいでー」
「ああ、いってくる」
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