どうして今更
次の日、私は立華さんと植物園に来ていた。昨日つれてきてもらったここは、すごく綺麗に花が咲いていて、これをすべて立華さんが世話をしているというから驚きだ。せっかくだから私もお手伝いを、ということで今日も帽子や軍手を借りて、慣れないながらも動いていた。あと暑い。
「疲れた?」
「大丈夫。」
立華さんはケロリとしていて、私を気遣ってくれる。暑さなんか屁でもないようだ。さすがだな。感心しながらも、手は動かした。手伝うなんて言ったのに、役に立たないなんて嫌だ。
「そんなとこで何してんだ?」
その時、突然聞こえた声に私と立華さんは振り返った。そこには音無君がいて、こっちを見ている。立華さんは私と顔を見合せた後、ゆっくりと立ち上がって手の中にいた蝶を放ってから「草むしりとか、いろいろ」と手短に答えてくれた。
「詩織は?」
「手伝い。」
「立華のか?」
頷けば、音無君は何故か視線をあたふたとうろつかせた後、「そうか」と曖昧に返事をした。そういえば私が立華さんと友達になったこと言ってないんだった。それに驚いたのかな。
「、そうだ!
お前らも来いよ!」
「え?」
私と立華さんは再び顔を見合せた。なんでも今から川釣りに行くらしい。またどうしてそんなことをしに行くのだろうか。
校則違反だと渋る立華さんに音無君は「やぶってやれ」とにこやかに言う。端から見れば結構危ない光景だが、なんとかなるだろう。保証はないけれど。
「詩織はどうだ?」
「あ、」
2人の目が私に向けられた。軍手をはめた手をぎゅっと握る。実のところ、本音を言うと行きたかった。でも立華さんが行かないと言うなら行かない。手伝いを途中で放り出すわけにもいかないし。うぁぁ、でも……
「ちょっと……、いき、たい。」
小さく言えば、ふっと笑った音無君が、私と立華さんの手を掴んで走り出した。帽子が落ちてしまったが、構わず走り続けた。嬉しさからか、胸が高鳴った。
「お前何てヤツ連れてくんだよ!」
「天草さんまで!
なんで音無を止めなかったんだよ!」
「いいじゃないか。
まぜてやろうぜ。」
案の定、というのかわからないが、薄々そんな感じはしていた。立華さんの姿を見た戦線メンバーはゆりさんの後ろに隠れていた。しかもかなりの距離がある。怖がっているのだろう。あまり歓迎されていないのがわかった。
もはや鎌しか見えていない野田君や藤巻君の必死の訴えに、音無君も負けじと説得しようとするが、なかなか頷いてもらえない。
「あの、」
堪えきれずに私は声を荒げた。皆の視線を一斉に受け、少し後ずさってしまったが、何とか持ちこたえて前を見据える。皆を突き放そうと必死だった時はこんなにドキドキしなかったのに。口調とか、前の私と素の私との違いにビックリしてないかな。
実は私かなり引っ込み思案なんです。
「立華さんは、」
心の中で暴露しながら、だけどやっぱり声のボリュームは大幅に下がり、なんだか悲しいことになったが、もうあたって砕けろだ。砕けちゃダメだけど。
「立華さんは、私の友達だから。」
言ってしまった。これだけでもう気を失えそうだ。でもこのままでは悔しかった。立華さんはいい人なのに、それをわかってもらえないままなんて。
しばらくの沈黙のあと、日向君が小さく「どうすんだよゆりっぺ。」とゆりさんに尋ねた。
「天草さんの友達と言われちゃあね。
もう生徒会長でもないし、いいんじゃない?」
ゆりさんと目が合い、私はコクコクと何度もうなずいた。皆からは驚きの声があがったが、なんとか立華さんも一緒に行けるようだ。よかった。ほっと息を吐き出すと、くいと裾をひかれ、視線を立華さんに向けた。
「ありがとう。」
「、ううん。
行こう。」
今度は私が立華さんの手を取って、ゆりさんたちを追いかけた。なんだか、今ならなんでも出来そうな気がする。単純だな私。
そういえば音無君を置いてきてしまった。怒っていないだろうか。少し不安になった時、後ろから歩いてきた音無君が、すれ違いざまに私の頭に手をおいた。
顔に熱が集まるのがわかった。さっきとは違うドキドキが私の胸を支配して、私は胸を抑えて首を傾げた。
「詩織?」
「な、んでもない。」
下から覗き込んできた立華さんに、赤い顔を見られないように手で顔をおおいながら、何とかそれだけを言った。立華さんは僅かに首を傾げたが、気にしないでいてくれるようだ。
それにしても、川釣りなんて初めてやるな。釣り自体やったことないけど、なんとかなるのだろうか。そう思いながらゆりさん達に着いていくと、川にたどり着いた。釣り道具は斉藤さんという人がわざわざあの地下から持ってきてくれるのだそうだ。後でお礼を言っておかないと。
「天草先輩は釣りしたことありますか?」
ぴょこぴょこと髪を跳ねさせながら近づいてきたユイさんに、私は首を振った。ついでにチラと立華さんを見ると、音無君に竿をもらったようだ。少し複雑な気持ちなのはなぜだろう。
私の否定を見たユイさんは、嬉しそうに瞳を輝かせたので、初心者仲間を見つけて喜んでいるのかと思っていたのだが、
「私が教えてさしあげましょう!」
どうやら違うらしい。元気よく言ってのけた後、竿を2本持ってきていろいろとやってくれているが、それは絡まっているんじゃないだろうか。わからないから黙っておこう。
「バーカ。
お前何もできないくせに知ったかぶってんじゃねーよ。絡まってんだろー。」
「あー!」
やっぱり絡まっていたようだ。呆れ顔の日向君に竿を取り上げられ、ユイさんは不満そうに声をあげ、唇を尖らせた。相変わらず仲が良さそうだ。
結局私も音無君から竿をもらった。とりあえずみよう見まねで川に糸の先を放り込んでみたが、これでいいのだろうか。隣では立華さんが日向君を引っ掻けたり竹山君を吹っ飛ばしたりしている。すごい力だな。少し羨ましい。
「案外難しいのね、釣りって。」
「うん。
私もずっと待ってるけど、全然釣れないよ。」
「詩織、結構長い間待ってるよな。
一回上げてみたらどうだ?」
音無君に言われ、私は竿を上げてみた。ぷらんぷらん揺れる糸を掴んで止めてから音無君に見せると、彼は苦笑して糸の先を指差した。
「お前、えさ付けたか?」
「……忘れてた。」
「そりゃ、いくら頑張っても釣れねぇよ。」
「案外抜けてんだな。」と笑われ、私は視線をそらした。私ってそんなおっちょこちょいかな。否、そんなことはない。川に放り投げることに集中しすぎていただけだ。きっと。
「フッ、お前も脳無しだな。魚一匹にも劣るとは。」
肩をすくめ、バカにしたような顔で私を見る直井。なんか、コイツに言われると腹立つな。ビンタだけじゃ足りなかったか。
「魚一匹にも勝てない私に負けるお前はゴミクズだなははは。」
「あ、ちょっやめろ!」
竿の先に帽子をひっかけて高く持ち上げると、直井はぴょんぴょん飛びはねながら抗議した。高笑いしてやりたいところだが、生憎そんなキャラじゃないからな。棒読み笑いで我慢してやろう。竿を上げたり下げたりすると、面白いほど反応する直井は実に滑稽だ。
「ははははは、はぁ……疲れたから早く取ってよ。」
「なら竿を下ろせ!」
「それが人にものを頼む態度ですか。」
「っこの……っ、音無さぁぁあんっ!」
人に頼るなそれでも男か。
仕方なく竿を下ろして、隣にいる音無君を見上げると、彼は何かに堪えるような、そんな表情をしていた。でもそれは一瞬で、私と目が合うといつもの笑顔に戻り、私の頭に手をおいた。素直に反応することが出来なかった。
「詩織」
トントンと肩を叩かれ私は立華さんに振り返った。「何か引いてる。」と言う立華さんの竿の先を見れば、確かにしなっている。すごいな。さっそくヒットしたのか。ところがそれを見た斉藤さんの目がキラリと光った。何でも立華さんの竿にかかったのは川の主らしい。すごい力の持ち主なのか、僅かに川の方に引きずられる立華さんを見て、慌てて彼女にしがみついた。
続いて音無君、斉藤さん、日向君と、皆で列になって引っ張りあげる。
「立華さん…っ、大丈夫っ?」
「えぇ。多分、大丈夫」
多分てなんだ。少し不安になったが、斉藤さんの「今だ!」と言う声を聞いた立華さんが私達共々飛び上がり川の主を釣り上げた。さすがだな。これもちょっとした空の旅だと思えば楽しいさ。だが、少しの感動の後、私達は顔を青くした。落ちる先で、川の主が口を開けて待っていたのだ。
「詩織っ!」
ごうごうと風をきる音を耳元で聞きながら、なんとか聞き取った音無君の声。目を向けると彼は私の方に手を伸ばしていた。
「手を掴めっ!」
「っ、」
私は無意識のうちにその手を掴んでいた。その途端にぐいと引き寄せられ、音無君の胸板に頭を押し付ける形になってしまう。これは、いったいどういう状態なのだろうか。落ちる衝撃から守ろうとしてくれているのか、私を抱え込むように腕を回し、手は頭に添えられる。男の人に抱きしめられるのは初めてだ。なんて、今はそんな場合じゃない。
「助けなきゃ」
視界は真っ暗、耳も風と音無君の腕であまり聞こえない中、立華さんのそんな声が聞こえた気がした。何が起こっているのか、見えるのは暗闇だけ。ただわかったのは、私達が落ちた場所は主の胃の中ではなく地面だったと言うことだ。
やっと見られたと思ったら川の主は立華さんによって無惨に切り刻まれていた。それにしても馬鹿でかいな。こんなの食べられるのだろうか。案の定、保存出来ないため一般生徒にも配るのだそうだ。
さっそく準備が行われた。私が野菜を切って、立華さんがそれを鍋に入れる。音無君は何故か私達を微笑ましそうに見ていた。
「なぁ、立華。
下の名前で呼んでいいか?」
音無君の申し出に、私と立華さんは彼に振り返った。だけど、私には関係ないことだ。視線を戻し、再び手を動かす。どうして反応してしまったのかよくわからなかった。ただもやもやとした気持ちが胸を支配する。感じたことのない、苦しさだった。
「俺の名前は結弦。
『弦を結ぶ』と書いて結弦。そう呼んでくれ。
詩織も、」
「ごめん、私名前呼び慣れてないから。
ちょっと、用事行ってくる。」
「あ、おいっ」
音無君の声を背に、私は走ってその場を後にした。
なんだ。なんなんだこれは。立華さんに友達が出来るのはいいこと。いいことなのに、どうしてこんな気持ちになるんだよ。
立華さんを取られたとでも思ったのか?違う。じゃあこの気持ちはなんだ。
思い当たる仮定が1つあった。だけど、そんなのあってはいけない。私なんかがそんな…っ
「詩織」
「っ!」
肩が震えた。私を呼んだ立華さんは、静かに「どうしたの?」と尋ねる。私は何も言えなかった。振り返ることも出来なかった。
今立華さんと話したら、この気持ちを認めてしまいそうで怖かった。
「詩織」
「ごめん。
なんでもないから。」
1人にしてくれないかな。
やっと絞り出すように言った言葉。嫌われてしまうかもしれないと思った。嫌われたくないと思った。
でも認めたくなかった。
立華さんに嫉妬したことを。
(どうして今さら)
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