情けない顔

それから僕達は一言も話さなかった。通り雨だと思ったのに、天気は相変わらず荒れている。
夜になると外は暗くなり、より一層雷の存在を強くした。
シオリが黙々と部屋を片付けていくのを、ベッドに腰掛けながら眺めた。
回復力が並外れていたとはいえ、まだ完治していない怪我が痛むのか、足を引きずり始めたために作業は思うように進んでいないようだった。
もう今日は片付けなくてもいいと、声をかけようとした時だった。

「っ!」

ガシャァァァアアン!と凄い音がした。雷がどこかに落ちたらしい。
同時に、部屋の電気がプツリと消えた。真っ暗な部屋。すぐに回復するだろうか。恐らく、もうしばらくすれば、エコーあたりがろうそくを持ってくるだろう。

「……」

まだ目が暗闇に慣れない。何も見えない状態で、突然、カシャンカシャンと乾いた音がした。
何かが落ち、割れる音のように聞こえた。さっきまでシオリがいた方だ。

「目が慣れないうちは無闇に動かない方がいい。
じきにエコーが来るから、それまでそこを動いちゃダメだよ。」

話しかけたというのに、返事は何も聞こえない。

「シオリ……?」

不思議に思い耳をすますと、小さく、荒い息遣いが聞こえた。不規則な呼吸。過呼吸のような息遣いにも聞こえた。
慣れてきた目をこらし、ゆっくりと腰を上げる。

「シオリ?どうしたの?」

少しずつ近づけば、ぼんやりと彼女の姿が見えた。小さく蹲っているように見える。雷が怖いのだろうか。
否、それならさっきからずっと鳴っていたが、シオリは怖がる様子を見せなかった。
それならば何故。

「シオリ、」

シオリの傍にたどり着き、そっと膝をついた。蹲る彼女の肩に手を乗せれば、びくりと跳ねる。
ひっ、と小さな悲鳴が聞こえ、思わず手を引いた。

「ぁ、な、なんでも……ない、っ」

その後、震える声でそう伝えられたが、なんでもないなんてことはないはずだ。そうだ。シオリは電気が消えるまではいつも通りだった。
まさか、暗闇が怖いのだろうか。ピカリと、また雷が光った。一瞬見えたシオリは、蹲り、小刻みにカタカタと震えている。

「ろうそくを、……取ってくるよ。」

この怯え方は異様だ。下手にまた例の力を暴走させられても厄介だし、何より少し──心配、になった。その自分の感情に気づき、目線を足下に落とす。
否、今はこんなことをうじうじと考えるのはやめよう。
エコーを待っているより、自分で蝋燭を取りに行った方がはやいかもしれない。ただそれだけだ。そう思い立ち上がろうとしたのだが、それはシオリによって阻まれた。

「シオリ?」

「ぃ、ぃ、か、ないで……っ」

「!」

「ひっ、1人に、しない、で……っ」

ぎゅうっと、痛いほどに手を掴まれている。その手さえ、カタカタと震えていた。震えが伝わる。
目が、大分暗闇に慣れてきた中で、近くにいるシオリを見るのは容易だった。
立ち上がろうとする僕の手を掴んでいるシオリは、助けを求めるように、僕を見上げていた。
その目からは、あとからあとから、涙がこぼれ落ちている。痛々しい姿だった。
その姿が、幼い頃の自分と重なった気がした。

「大丈夫。ここにいるよ。」

立ち上がろうと立てていた足を折り、シオリの肩に触れる。
掴まれている手を握り、そっと自分の方に引けば、シオリは簡単に僕の方にもたれかかった。
耳元で、荒い息遣いが聞こえる。ひゅっひゅっと吐き出される細い息を安定させるため、片方の手を背中にまわし、一定のリズムでポンポンと叩いた。

「はっ…ハッ、ハァっ…」

シオリも落ち着きたいのだろう。
リズムに合わせて、呼吸を整えようとしているのがわかる。

「っ、はっ、ご、め……っ」

「……いいよ。」

しかしまだ荒い息のまま、苦しそうに謝った。まただ。また、僕はシオリのために動いている。小さく天を仰ぎ、バレないようにふぅ、吐息を吐き出した。
放っておいたって、いいはずなんだ。それでも僕は、それが出来ない。その理由は、いろいろ、あるけれど──。

「!」

その時、コンコンコンと扉が叩かれた。
返事をすれば、外からはエコーの声が聞こえる。

「ヴィンセント様、灯りをお持ちしました。」

「入っていいよ。」

静かに扉が開き、ろうそくを持ったエコーが入ってきた。
僕らを見たエコーは、わずかに目を見開く。

「ろうそく、ここに置いておいて。」

「わかりました。」

だがそれも一瞬で、エコーはすぐに調子を取り戻し、言われた通り、僕のすぐそばに灯りを置いた。
そのまま何も言わずに部屋から出ていく。
必要の無いことは聞かない。よく出来た従者だと思った。

「ほらシオリ、これで少しは平気になった?」

僕の肩口に顔を埋めたシオリが、コクリと小さく頷いた。
徐々に呼吸が落ち着いてくる。震えもほとんどなくなっていた。

「暗いのが怖いの?」

コクリと頷く。

「今まで寝るときは暗くしてたけど、あれは?」

「消えるって、わかってたから……我慢、した……」

「……そっか。
今日はびっくりしたんだね。」

言えば、シオリは黙ってぎゅっと握っていた僕の手に力を込めた。縋り付くような手。その手を、何度伸ばしたことだろう。僕にはギルがいたけれど、もしかしたら彼女には、そんな初めての相手が僕、なのかもしれない。
握りあっていた手をほどき、指を絡めた繋ぎ方へと変える。握り返せば、シオリは、ふぅーと長い息を吐き出し、深呼吸をするように呼吸を整えはじめた。
もう一度、ポンポンと背中を叩く。
そうすれば、シオリは甘えるように僕の肩に額を擦り付け、

「あたた、かい……」

と小さく呟いた。そしてそのまま、ズシリと重さを増す。
どうやら眠ってしまったらしい。規則正しい呼吸が、耳元で聞こえる。

「……はぁ……」

深く息を吐き出した。握った手が、顔が、体が、異様に熱い。
まだしばらく電気は普及しないだろう。今が暗くてよかったと思った。
自分が今どんな顔をしているのか、わからない。でも間違いなく、情けない顔をしているのだろう。







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