私と大親友

「詩織、アタシだ。
見舞いに来たぞ……って、何やってんだお前は……!」

詩織が入院している病室の扉を開けた稲葉は、飛び込んできた光景に目を見開いた。
誰かが置いたのだろう松葉杖は、ベッドから少し遠いところにあった。それを取ろうと手を伸ばす詩織は、今にもベッドからずり落ちてしまいそうだ。

「あ、姫子……うわっ、ぁ!」

「!、この、っバカ!」

稲葉が来たことに安堵したのか、詩織の体が勢いよく傾いた。
稲葉は背筋がひやりとするのを感じた。それと同時に咄嗟に駆け出す。詩織の落下地点に滑り込むと、落ちてきた詩織を危機一髪のところで受け止めた。

「詩織ー!
皆でお見舞い来たよー………これ、どういう状況?」



「アクティブもほどほどにね、詩織」

「だって皆が来てくれるって聞いたから、迎えにいきたかったんだもん」

二人で床に寝転がるはめになったが、お互い怪我もなく、詩織はベッドへと戻った。背の低い詩織は、ベッドから足を出しても床からはるかに遠い。ベッドの下に布団でも敷いといてもらえ。と稲葉は乱れた髪を整えつつ毒づいた。
人見知りのクセに知らない場所はとことん探検したい詩織は、病人ということも忘れ、病院内を歩き回っていた。それについて先生からお咎めを受け、家族がわざと届かないところに松葉杖をおいたのだが、それもかえって危険であったようだ。
次からは松葉杖自体を没収されてしまうだろう。

「それにしてもよかった……って言っていいのかな。
ちゃんと仲直りできたんでしょ?
結局あたしたちには何がなんだかわからず終いだったけど。」

「あぁ、迷惑かけて悪かったな。
もう二人でちゃんと話もして、解決した。
結局、アタシが心配性だったって話だ。」

唯の言葉に、稲葉はそう言って苦笑した。
「だと思ったよ」とため息混じりに言った伊織は、持ち前の観察力でそれを見抜いていたようだ。

「伊織と太一には本当に迷惑かけたな。
悪かった。」

「仕方ないから許してあげる。
でも、この一週間は寿命が縮まるかと思ったよ……。
ね、太一。」

「あぁ。
でも、天草が無事で本当によかった……」

稲葉の謝罪に会わせて、律儀にペコリと頭を下げていた詩織は突然自分に降りかかってきた話題に、目をぱちくりとさせた。
だがその顔をすぐにしゅんとさせ、「ごめんなさい」と呟くように言う。

「太一顔真っ青だったもんなー。
俺も超焦ったけど、太一ほど青くはなかったと思うぜ。」

「今だからこそ言えるけど、正直そのまま倒れちゃうんじゃないかと思ったんだから。
事故現場を目撃したっていうから、仕方のないことなのかもしれないけど。」

「まぁ太一だからねー。
ロリコンだからねー。」

「なっ、そ、それは関係ないだろ!」

集中攻撃を受け赤面する太一。だが、多大な心配をかけたという事実はひしひしと伝わる。詩織は、もう一度皆に心配をかけたことを詫びた。

「伊織ちゃんと八重樫くんには、ケンカ中にすごく迷惑かけちゃったし……
八重樫くんのブレザーは汚しちゃうし……授業サボらせちゃったし……」

「あぁ、全部気にするな。
汚したって言っても、あんなの汚れのうちには入らないから。」

だが、その会話を聞いていた伊織と稲葉がピクリと反応した。
それに気づくことなく詩織と談笑する太一の裾をついと摘まむ。

「ブレザーって何?
初耳だけど。」

「え……あ、あぁ、それは……」

太一の反応に稲葉は目を細めた。ただ純粋に気になっただけのその話題。隠された裏の事実など、どうでもよかったのだ。やましいことは何もないと思っていたのだから。
だがこの反応、何かある。

「あのね、私が泣いちゃったから、八重樫くんのブレザー汚しちゃったの。」

「あ、ぁあ……天草……っ」

「ほー、どうして詩織が泣くと、太一のブレザーが汚れるんだ?」

「だ、だから稲葉、その……こ、これは……」

「八重樫くんがね、」

「い、言うな天草っ!」

太一の必死の制止に、詩織はきょとんとして口を閉ざした。
だが時すでに遅し。最初の言葉だけでも十分にそれは想像できる。

「女の子の弱みに漬け込んで、」

「そんなことをやったのか太一……?」

伊織と稲葉からの挟み撃ちに合い、太一は冷や汗を流した。
唯と青木に助けを求めようにも、二人は巻き込まれてなるものかと普段は見せない仲良さげな雰囲気で話に花を咲かせている。それでも若干唯の言葉にトゲがあるのは気のせいではないのだろう。

「だがまぁ、今回は許してやる。
元はといえばアタシが撒いた種だからな。
次はないと思え。」

「おお、稲葉ん心が広いっ」

腕を組んでため息混じりに言った稲葉に、パチパチと拍手を送る伊織。
ほっと安堵の息を吐いた太一は、こっちの方が寿命が縮まりそうだ。と一人静かに思った。

「あ、そうだ。
これ、詩織ちゃんの好きそうな本。あたしと伊織のフィーリングで選んできちゃったけど、よかったら暇潰しにでも読んで。
皆で考えたんだけど、食べ物じゃない方がいいって稲葉から聞いたから、こんなのしか思い浮かばなくて……。」

「わぁっ、ありがとう!」

数冊の本を唯から受け取り、詩織は嬉しそうに笑った。
検査入院であるとはいえ、数日間は入院生活をしなければならない詩織は、とにかく暇潰しの品が欲しかった。夕方になれば、必ず稲葉は来てくれるし、こうして伊織たちも顔を出してくれるが、問題は朝や昼間、そして夜だ。
昼間はまだ家族が交代で見に来てくれるからいいとしよう。しかし、朝や夜は、一人きりだ。一応同じ病室に入院している人はいるが、人見知りがゆえ話すこともできない。
だから病室を抜け出して病院内を探検していたのに、それすらも制限されてしまった。普段は本などあまり読まないのだが、これを期に詩織はいろいろな本に手を伸ばしていた。

「食べ物はダメって、ドクターストップってやつ?」

「ううん。そんなことないんだけど、事故の時に頭を強く打ったらしくて。
そのせいでこの辺がちょっと気持ち悪いの。
だからあんまり食べたくない気分なんだ。」

そう言って、詩織は胸の辺りを擦った。
詩織自身、車にぶつかった記憶はないという。だが、事故現場を見た太一は道路にあった赤黒い染みを、忘れることはできなかった。恐らく、頭を打ったときに出た血だろう。
それだけ強く頭を打ったのだ。そう思うと顔を歪めずにはいられなかった。

「そっか……。
今も気持ち悪いの?」

「うーん……うん。
でも、今こうやって話してるのは平気なんだよ!
皆と話してるときの方が、気持ち悪いの忘れちゃえるからいいの。」

その言葉に安心して、伊織たちは時計を見た稲葉が声をかけるまで、その後数十分ほど病室で詩織との会話を楽しんだ。

「もうこんな時間か。
そろそろ帰るね。
体に負担かけちゃ悪いし。
あたしたちももう帰らなきゃいけない時間だし。」

「うん。
よかったらまた来てね。
姫子はまだいる?」

「あぁ。
お前の親に夜まで頼むって言われてるしな。」

「じゃあおんぶ。」

「意味がわからん。」

ギプスで固められた足を引きずりながら、ベッドに腰かける体制まで移動した詩織は突然稲葉におんぶをせがんだ。両手を広げ、「おんぶっ」と繰り返す。
そんな詩織に、稲葉は面倒くさそうに頭を掻いた。

「車イスでいいだろ
アタシが押してやるから。」

「おんぶ。」

「子供だと思われるぞ。
いいのか?」

「おんぶ。」

「お前はアタシを潰す気か?」

「おんぶ。」

「ったく……」そう呟いて、渋々稲葉は詩織に背中を向けてしゃがんだ。
パッと笑った詩織は、稲葉の首に腕を巻き付けその背中に全体重をかける。小柄な詩織は当然のこと軽い。軽々と立ち上がった稲葉は、一度詩織を背負い直してから歩き出した。

「何つっ立ってんだ。
出口まで見送りにいくためにこんなことになってるんだから、お前らも一緒に来るんだぞ。」

「……、やっぱり、稲葉んと詩織はこうでなくっちゃね。」

「そうだな。」

先々歩いていく稲葉に追い付くため、伊織たちは歩調を早めた。
稲葉も、稲葉に背負われた詩織も、ちゃんと本当の笑顔を見せている。
一件落着だ。と伊織たちも気兼ねなく笑うことができた。

「ばいばーい!」

「男どもはちゃんと伊織と唯を家まで送れよ!」

伊織たちを見えなくなるまで見送り、稲葉は踵を返した。
ずり落ちてくる詩織を背負い直し、病院内を歩いていると、姉妹だと思われるのだろう。看護師さんや患者の人たちから、「仲良しね」とにこやかに声をかけられた。
その度に稲葉は苦笑し、詩織は恥ずかしそうに稲葉の肩に顔を埋めたが、どこか満更でもない気持ちであることも確かだった。

「姫子、」

「何だ?」

「……なんでもない」

「なんだそりゃ。
気になるだろ。」

詩織はこの一週間の寂しさを埋め合わせるように、ぴったりと稲葉にくっついた。
稲葉も、久々に感じるそれが心地よくて、何も言わず、詩織の好きにさせている。

「姫子の匂いだ……」

「お前それ、ちょっと変態っぽいぞ」

「姫子、」

「何だ?」

「……なんでもない」

「だから気になるだろうが!」

稲葉の耳元で、詩織がクスクスと笑った。
どんなに抱きついても、触れても、話しかけても、稲葉はちゃんと応えてくれる。それが嬉しかった。
おんぶのまま階段というのは辛いものがあったので、エレベーターに乗った。目的の階について、もう少しで病室に着くという時、もう一度詩織が稲葉を呼んだ。

「何だ」

「……」

「また『なんでもない』か?」

「……大好きっ」

「!」

稲葉は何故か、目頭が熱くなるのを感じた。きゅっと抱きついてくる詩織に、自分も抱き返してやれないのが悔しい。
自分にとって、本当に詩織は大切な存在だ。恋にも似たこの感情に、今は流されてもいい気がした。
今のこの関係が、幸せだと思った。離れるのは、少しずつでいいのだと思った。これから先、大学もあるし、就職もある。恋人もできるだろうし、結婚だってするだろう。いつまでも、一緒にいるわけにはいかないのだ。だからせめて、今だけは、こうしていたいと思った。

「アタシも、大好きだ。」




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ありがとうございました。
これにて第二部も終了です。
まだ続きます。次は第三部!
恐らくそれで最後かと思われます。
よろしければお付き合いください。
次は夢小説の醍醐味、
恋愛に入っていけたらいいな。と思ってます。
お楽しみにっ








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