黒猫と革紐。 | ナノ



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act.3 ひとりぼっちの馬車



「……あの」

「何でしょうか」

「………、いえ」


小さな窓から見える御者は手綱を緩めて馬を休ませているようだったが、それでも問い掛けには機械的に答えてくれた。
何でもないですと返し、もう一度窓へ視線を戻す。

(ヴィンス…もう見えなくなっちゃったな……)

ふわふわとした綿が詰められた外套に包まれた小さな姿はこの街の何処にでも溢れていて、付き人の手を払ってそこへと紛れていった弟の姿もすぐに雑踏に飲み込まれて見えなくなっている。
変な色のキャンディを銜えて母親に手を引かれる子供。カボチャの被り物に身を包んで歩く後ろ姿。街中できらびやかな原色が踊る様がどうしても直視できずに俯いた。

帰ればまた部屋に籠もり、埃の染み付いた本を何度も反芻する日常が待っている。毎日を泥だらけで笑いながら過ごしていた日々が崩れるのは意外と容易くて、今の自分に残されたのは灰を噛むような新しい日常と目的だけ。
自分もこの御者と同じ。毎日をそつなく過ごし、振る舞いを学び、余す事なく知識を頭にねじ込んで。

そうして出来る限りの役割を演じている割には、自分の中は酷く空っぽに思えた。
まるでこの馬車のように。



「───オズ、坊っちゃん……」

自分の中には何もない。あるのは空っぽの空間と立ち尽くす自分自身。
ぽっかりと空いたその間には誰かが居たはずなのに、今はその声すら隙間に染みてずきずきと痛む。
ぽつりと呟いて握り締めたブランケットには、自分から移ったぬくもりで暖かい空気が染み込んでいた。


早く、早く。
終わらせなければ。
あの場所はここより寒いのだろうか。時間は後どれだけ待ってくれるのだろうか。

ぬくもりに落ち着くたびそんな言葉が胸を叩いて、ひゅっと喉が音を立てる。
自分は一体何をしているのだろう。
ふとよぎった問い掛けは冷たく重く、身体は暖かいのにどこか酷く寒く感じられた。

(…早く……今日が終わる前に)


明日が終わる前に。彼を。
いつもは瞳を閉じる前に言い聞かせる言葉が、今日は早くに口を突いた。





act.4 ひだまりのうた



「ギル、ただいま…」

「あ、おかえりヴィン───」


セント、と続きそうだった言葉は、どざざざっと土砂じみた音を立てて窓から入り込む(というよりなだれ込む)大量の菓子により残念ながら打ち切りとなった。


「あ、すいませんネェ」

「ちょっと…兄さんが埋もれちゃったじゃない……」

「でも帰り際何度もお菓子を強請ったのはヴィンセント様ですヨォ?」

「ちゃんと持ってくれない方が悪いと思うよ…?」

「……あの」


被害者そっちのけで淡々と散る火花。
そんな事より早く助けて下さい、と思った所で、開いた扉からひょいと手が伸びてきて両脇を抱えられた。ほっと一息ついて目の前を見ると、そこには幾らか見知った顔。


「ブレイク…さん?」

「ハイ、こんにちはギルバート君」

「どうして……」


白い髪、紅い眼。自分をこの場所に送り込んだ上司の登場に、思わずぱちぱちと何度も瞬きした。

厚めのコートに薄いぺらぺらとしたマフラーを巻いて、ハロウィンに浮かれる通りで押しつけられたのかふざけた配色のカボチャのブローチがそこに留められている。どうやら弟を送ってきたようで、足元には先程流し込んだと思われる菓子屋の紙袋が五つほど転がっていた。
弟がこれだけ持つ事はまずありえないので全て押しつけられたのだろう。


「ギル、ごめんね。大丈夫…?」

「うん、平気だよ」

菓子箱の角は結構痛かったよ、という言葉をぐっと飲み込んで笑みを作ると、安心したのか表情が少し弛む。が、


「……いつまでギルを抱いてるの…?」

「おや、別に構わないじゃないですカ? 減るわけではありませんし」

「君が抱いてるとギルがすごく可哀想だから早く離しなよ……というかもう帰って良いよ…?」

「あ、あの」


地面から一メートル弱程浮いた場所で再び繰り広げられる会話。
原因は弟の言うように未だ自分が救出された時のままの状態である事のようだが、抱き上げている側の白い男は毛ほども離す気は無さそうだ。
しかも何だかんだで彼はいつの間にか膝裏に手を回してちゃっかり横抱きにしている。
傍目から見れば可愛い子供とスキンシップを楽しむ微笑ましい親子の光景に見えなくもなさそうだが、実際は絵に描いたように嘘臭い笑みを浮かべる上司と笑顔の筈なのに周りから幸福を奪いそうな表情の弟の間に挟まれてなんとも居心地が悪くて仕方ない。

何だか余計に寒くなったような感覚すら覚えてしまう辺りが特にポイントだ。


「えっと…あの、ブレイク…さん」

「何ですカ?」


(う………)

きょと、といかにも不思議そうな顔をしてこちらを見る上司。その顔が近づく程弟の機嫌が反比例して急降下しているのに果たして彼は気付いているのだろうか。
そんな訳でもうほとんど睨むように見上げている金髪から目を逸らしつつなんとか地面に帰還すべく口を開こうとしたのだが、


「あの、もう降ろし「そうそう、君に渡すものがあるんですヨ」

「え」


唐突に耳元で声が聞こえ、反射的に聞き返した。

渡すもの? と思わず動きを止めてしまったこちらに、どこから取り出したのか上司はふわりと何かを頭へ被せた。やわらかく手触りの良いそれはすっぽりと身体を覆って余りある程大きく、こちらからは真っ黒な光沢の無い表面だけが見える。


「? これは…」

「いやあ、案外似合わなくもないですネェ」

「……それ」

ぼそり、と眉をひそめて呟いた弟の言葉に反応して振り向くと、やっと降ろす気になったのかよいしょと息をついて腕を地面へと傾けていた男が後ろから声を掛けた。


「お兄様にぴったりでしょう?」

「………、」

「?」


とん、と地面に降りた身体を確かめるようにくるりと回ってみるとひらひらと視界の隅で黒と暗い緑の何かが揺れる。ブランケットに近い本体とは違い、こちらはてらてらとかなり光沢の強い飾りのようだ。
ほとんど脱ぐように頭からそれを外すと、それはフードのついたネルのマントだった。

黒を基調とした表面の所々に羽根を模したコサージュが取り付けられており、一見するとまるで鴉に見える。ハロウィンの仮装とはいえ、素材やデザインから見て子供が強請って買ってもらえるものでは無さそうだ。


「い、良いんですか…?」

「ええ。せっかくのお祭りですし」

これくらい良いでしょう? と笑ってみせた上司がちらりと後ろを見ると、そこには憮然とした表情でこちらを───正確には上司のみをピンポイントで睨んでいる金髪が目に入った。何らかの怪現象くらいは軽く起こせそうな視線にぎくりとする。


「………、」

「あ、あの…ヴィンス…?」

「ああ、心配しなくてもちゃんと貴方にもありますヨォ?」

「えっと…」


そういう問題じゃないだろうと思ったが、さらりと華麗に無視した男は懐から小さな包みを取り出した。いかにも高級そうな包装がなされた繊細な細工の箱だ。
男はそれを訝しげな顔をする弟の目の前まで持っていくと、開けて御覧なさいと促す。

「………、」

「あ、開けてみようよ」

「……ギルがそう言うなら…」

渋々と箱の紐に手を掛け、するりとそれを解く。
すると、


「───っ!」

「わっ?!」


ぽんっ、と。
開かれた瞬間、小さな箱からは到底あり得ないサイズの巨大なカボチャが飛び出し、見事に弟の眉間へクリーンヒットした。
こーんと余韻のように鳴り響く快音。


「〜っ」

「ヴィ、ヴィンス! 大丈夫!?」

「………、」

未だカボチャと親しく対面したまま固まった横顔が珍しく引きつったように見えたのは気のせいではないだろう。
ぴし、と掴めないはずの空気に罅が入る音が聞こえた気がした。


「あはは、悪戯も許される日でしょう? 今日は」

「ぶ、ブレイクさんっ」

あわあわと焦るこちらを余所に、白い上司はにんまりと口角を引き伸ばす。


「大丈夫、贈り物は中にちゃんと入ってますから」

「贈り物…?」

「……これ、でしょ」


ぼそり、まるで呪咀でも吐くような勢いで起伏の失せた声が割って入る。声の主はぶつかった衝撃で割れたらしいカボチャをひっくり返し、中からどさどさと零れ出す高そうな菓子を一別して静かに言った。

「お菓子……」

「君も随分暇なんだね…もしかしてお仕事やめさせられちゃったからここに来たの…?」

「いえいえ、まさか」

そんな訳ありませんよと手の平を見せた男は続ける。

「ただの偶然ですヨ」

「ふぅん…」


そう、とあまり納得していないような反応を返す金髪だったが、白い上司はごそごそと懐から時計を取り出し時刻を確かめると芝居がかった仕草でもうこんな時間と嘯いた。


「頼まれ事もあることですしそろそろ失礼しますヨ。またお会いしましょう」

ぽん、と頭に色素の薄い手の平が置かれる。きょとんとして見上げると、隣に移動していた弟も同じ顔をしていた。


「……二度と会えなくても気にしないよ…」

「もう、ヴィンス!」

「あはは、仲がよろしい様で」


白い上司はそう言いながら二人の正反対な反応を楽しむように目を細めていたが、ふと何かに気付いたように下へ屈み込んだ。
ポケットから落ちたらしく、地面に転がっていた派手なキャンディの包み紙を拾い上げるとくしゃりと握り潰す。そのまま、自然な動作でこちらにそっと口元を寄せた。

「っ!?」

ほんの一瞬だけ、僅かに頬へ唇が触れて離れていく。



「籠の外、楽しめたかイ?」

「……! ど、」


どうして、と問い掛ける前に、くるりと踵を返した男は後ろ手に手を振りながら人込みへと溶けてしまった。
贈り物のマントを握り締めてただ後ろ姿を見送る自分に、聞こえていなかったのか不思議そうに横から声が掛けられる。


「ギル、どうかしたの…?」

「う、うん…何も……」


(……籠の…外…)

そんな事は、考えなかった。
一気に押し寄せる思考に呑まれながら、このちっぽけな数十分だけは確かに外に出ていたのだと知って急に胸が苦しくなっていくのが分かった。



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