黒猫と革紐。 | ナノ



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act.1 アンニュイ・ハッピーデイ



「───ハロウィン?」

「そう。今日はレベイユにカーニバルが来てるんだって……」


冬の一歩前、少し乾いた風が窓を叩く日中。
だから行かない? と笑って差し出された弟の手を、少し迷ってから取った。

別段ハロウィンの仮装に参加するつもりも菓子を求めて手の平を差し出す気もないのに外に出てみたいと思ったのは、慣れない籠の中の生活にいい加減身体が限界を感じていたからなのかもしれない。百八十度変わってしまった周囲の態度、注がれる好奇の目。一日くらいそんな事に気を遣わずに過ごしてみたいと思ったのは確かに本音だった。
けれど、許しを得て出た外はずっと見ていた部屋のアイボリーとは違ってきらきらと派手な色彩で溢れていて。

詰まる息。不規則に早くなる鼓動。胸に込み上げる奇妙な圧迫感は、自分だけが煌びやかなそれらに拒絶されているような気が頭をもたげるのに十分だった。


「………、」

「あ、着いたよ」

開かれた馬車の窓から吹き込む冷たい風に頬を撫でられる。生ぬるい馬車の空気と混ざったそれは思ったよりも乾いていて、同時に届いたふんわりと甘い匂いは不思議と心地良かった。


「大丈夫? ギル」

「え? ……あ、うん」

ほっと息を吐くと先刻から気分が優れない様子に気付いたのか金髪がそっと頬に触れ、ふわりとブランケットが掛けられた。肌ざわりの良いそれは深いチョコレート色をしていて、覗き込む金の瞳をより鮮やかに見せている。
無理をさせたと思ったのか、整った顔立ちは普段よりも表情が陰っているようだ。

「ごめんね、ギル…我儘言ったから……」

「ううん、平気だよ。ちょっと馬車に酔っちゃっただけだから……ヴィンスはお店見て来て。きれいなお菓子がたくさんあるって、馬車から見てたでしょ?」

「でも……」


揺れる金髪と揃いの瞳が陰る。
自分が行ってしまえば残る御者と二人きりになってしまうのを気にしてか、珍しく濁された言葉。

「ありがとう、ヴィンセント」

「ギル、すぐに帰ってくるから……」

「うん。待ってるよ。ボクの分もお菓子見てきてね」


馬車の中と、冷たい外。

貴族を意味する豪奢な装飾の窓から僅かに指先を出しながら、そう答えるといくらか弟の表情は晴れたように思えた。たくさん選んでくると言い残した弟の後ろ姿は少しうなだれているようには見えたがやはり年相応に期待に弾んでいる。

同じ籠の中に居ながら、楽しげに。





act.2 ハロウィンズランドスケープ



「……おや」


ふと目についた、淡い金の髪。
ふわふわとした外套に包まったままきょろきょろと大通りを見回すその姿にはいくらか見覚えがあった。

両で色の違うオッドアイに淡い色合いの首元で揃えた髪。すっぽりと人混みに埋まってしまっている姿は確か、とある少年を送り出した先に居た彼の片割れの筈だ。
街中に溢れるオレンジの装飾に気配を紛れ込ませつつもこんな所で一体何をしているんだと見ていたが、彼は一向に動く気配が無い上にあろうことかトタトタとこちらに向かって歩いてきた。
予期せずにぱちりと合う視線。
同じ血を分けられている筈の兄とは違って内部の製造課程に何かしらあったのだろう───相変わらず可愛げがない。


「ねえ」

「…ハイ?」

くい、と引っ張られる袖。ほとんどゼロ距離で佇むその姿は、やはり彼の弟だった。


「こんな所で何をしてるの?」

「貴方こそ何をしてるんデス」

「………、」

「………、」

ほぼ同時に同じ事を言い合って、また同時に黙り込む。
祭りの最中にこんな行動を取る二人組はあまり見当たらないのだろう、通り過ぎる人々はこちらを見ては不思議そうに首を傾げた。
こちらに言わせれば魔女だの猫だのジャック・オ・ランタンだのと奇怪な化け物の仮装をした彼らの方が気に掛かるのだが、それはそれ。何せ今日は死霊溢れるハロウィンだ。
もしかしたら一人くらい本物が混ざり込んでいるかもしれない。


「……今日はお兄様が見当たらないようですが。どうしたんですカ?」

「兄さんは気分が悪くて馬車で休んでるよ」

「それはお気の毒」


せっかくのお祭りなのに、と一人ごちると、そうだねとこれまた機械的に返事が返ってくる。
見れば彼は従者も連れずにここまで来たようで、小遣いだけは貰っていたのか手にはオレンジの丸い風船とキャンディ、玩具みたいなロリポップが握られていた。どこかで引っ掛けられたのか、よく観察すると淡い金髪には蜘蛛の巣を型取った飾りが乗っている。


「…ま、存分に楽しんでおられるようで」

「君はお休みを貰ったの?」

「ええ、まあそんな所ですヨ」


ふうん、と息を吐いた金髪の上でひらりひらりと紫の蜘蛛の巣が揺れ、風が出てきたと分かった。
ピイピイと変な音色の笛に交じってやたらと甘い匂いが漂い、紫やオレンジのストライプで囲まれたランタンが弾んで駆けていく。
そんな中しばらく言葉を発さず賑やかな喧騒に身を任せていたが、不意に相手の唇が動いた。


「…今日はもう居ない人達が還ってくる日なんだって……」

「家族の方を訪ねたりするそうですネ」

「それって、本当なのかな…?」

薄ら笑いを口端に引っ掛けたままの、冗談とも本気とも取れる問い掛け。


「……どうしてそんな事を私に聞くんです」

「君だったら教えてくれそうだから、かな。もしもそうだったら…ギルはね、きっと喜ぶと思うんだ……」

「…へえ」


───意外な言葉だった。
いくらあのアヴィスに堕とされたとはいえ、あの空間は黄泉ではない。言ってしまえばそこより大分性質の悪い所だと言える。
まさかあの少年の主人が今日この日に身体を半分透けさせてわざわざ戯れになど来ないだろう。

そんな事を考えていると、ふとどっさりと菓子を抱えた金髪の少年がおどろおどろしいハロウィンの異形共を引き連れて従者を訪ねる様が思い浮かんで失笑を誘った。
おそらく彼の帰る時には行列に一人、黒髪に金眼の可愛らしい化け物が増えているに違いない。


「…どうしたの?」

「いえ…まさか、ね」


何でもないですよと笑うと、目の前の金髪がまたふわりと風に揺れた。冷えてしまいますよと帰りを促すが返事が返ってこない。
代わりに聞こえる、小さな独り言のような声。


「もし…還ってきたら……」

「?」

「……どうしたら向こうに送り返せるのかな…?」

「………、」


だってそうでしょ? と相変わらず可愛げのない笑みを浮かべた子供に、もしかしたら黄泉から還ってくるのは違うモノなのかもしれないと漂ってくる甘い匂いの中で考えた。



「───ところで、帰らないんですカ?」

「…さっきから帰ろうとしてるよ?」

「あー、ハイハイ。お送りしましょうか」



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