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「……Merci pour tout…」
「……え」
色々とすみませんね、と皮肉気に動いた相手の唇に、思わず声が上がってしまう。
その奥にいたのは、真っ白な雪ウサギのような人物。否、人間であることは当たり前だったのだが、
「………、」
白い肌に目が眩むような紅の瞳、一枚だけの薄い着物。
目の前で気だるそうに起き上がった人物は、どう見ても───線の細い『青年』だった。
「な………」
言い掛けて、言葉が止まった。
(………雪の、色)
後ろで緩く纏められた、雪のように純白な髪。
白い肌に落ちる紅い瞳は雪に埋もれる椿の花弁のようで、吸い込まれそうな紅から目が外すことが出来なかった。と、
「わっ!?」
「………、」
その紅はこちらにすっと腕を伸ばすと、割と軽そうに前方へ引き寄せた。ぼすっ、という感覚に続き、頬に何やらやわらかいものが触れる。
要するに、
「せっ、………うわああああっ!!」
「───姉、いえ、兄は元々病を患っておりまして……この国に来たのも、少しでも兄の状態が良くなればと思っての事でしたの。しかし、私達の国でもそうだったのですが、レインズワース家に家督となるべき男子がいると分かれば、次期当主の顔見せなど色々と面倒なことになってしまいますので……ですから、私達は外ではずっと兄の事を女子と偽ってきたのです」
「……そ、うなんですか」
大体の事情は分かった。
だが、だからどうしろというのだろうか。
どうリアクションを取っていいのか分からずにベッド端に座らされたままでいると、布団の上に座り込んだ彼女、もとい、ザークシーズ=ブレイクと呼ばれた彼は楽しそうに口を開いた。
「中々面白そうな人を捕まえて来ましたネェ? 単なる挨拶なのに」
「に、日本人はああいう触れ合いに不慣れなんですよっ」
ちなみに、自分はまだくすくすと笑う彼から解放されないでいる。
急に抱き寄せられてしかも頬に口付けられたなど、まるで小さな少女のような扱いを受けた所為で頬は未だ真っ赤に染まったままだった。
「……日本人? 君、日本人なんですか」
「そ、そう……ですけど…半分は」
「とてもそうは見えませんケド?」
慣れない日本語の所為か、彼の言葉の端々は何故か片言になる。
よしよし、と仔犬よろしく頭を撫でられたかと思うと、紅い瞳の彼はこちらの目を見て静かに微笑んだ。
「その目……君も」
「へ?」
「いえいえ。……気に入りました。これから私の所で働いてもらいましょう」
「え、あのー……」
そんなことで決めて良いんですか、と言おうとした途端に、唯一無事な本棚の近くに立っていたシャロンがぱんと手を叩いた。
───どう転んでも、自分の意見は封じられるらしい。
「やっぱりザクス兄さんの気に入ると思いましたわ! 早速部屋と必要なものの用意をしなければなりませんね」
「部屋は私の隣を片付ければなんとかなるでしょう。お願いしますネ」
「部屋って、まさか入り口の部屋ですか…っ!?」
「君の最初のお仕事は自分の部屋を作ることデス」
「そ、そんな……」
最初の仕事が決まると共に、目の前がゆっくりと暗くなっていく様子が妙にはっきりと感じ取れた。
夕暮れが夜に変わる、その一瞬。
紫が橙色を呑み込んでいく様子に目を細めていた小さな影は、不意に現れた赤い影の言葉ににっこりと口端を歪めて天を仰いだ。
「……情報は確かみたいよ? ホントに居たみたいだけど、どうする?」
「そんなの決まってるよ……」
しゃきん、と布切れが宙を舞う。
「やっと見つけた………兄さん」
くす、と笑った瞳には、血と月が競うように揺らいでいた。
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