黒猫と革紐。 | ナノ



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(……それに)

来る途中の馬車の中で少女に異国の言葉は幾つ出来るかと聞かれ、素直に二つと答えた途端に朱肉を指に押し付けられて紙へとそれが着地を決めたのも小さくない驚きだった。


『あなたに是非とも受けて頂きたいお仕事があるんです』

『……そういうのは普通拇印を押させる前に説明して下さい……』

『あら、私としたことが』


少しもそうは思っていない口調で少女はにこやかに微笑むと、同時進行で拇印の済んだ書類を隣に座っている使用人らしきオーバル型眼鏡で短髪の青年に渡した。
青年が書類を受け取ると、彼は少々申し訳なさそうに軽く頭を下げる。
───何だか似たような波長を感じるな、と思ったところで、金髪の少女は自らの名をシャロン=レインズワースと名乗った。


『レインズワース家のお嬢さん……?』

『ええ。こちらに母の古い友人がいらして。……ちょうど私達も祖国でごたごたが起こっていた所だったので、この国にお世話になることになりましたの。幸い大使館にその御友人がお勤めでしたし』

『そのお嬢さんが、ボクなんかに一体何を……あの、ボクは本当にただの一般市民で』

『いえいえ、貴方にしか出来ないお仕事ですの。……失礼、お名前を聞いていませんでしたわ』

『えっと……ギルバート、です』

『ギルバートさんとおっしゃいますの?───それではギルバートさん、貴方にお頼みしたいお仕事というのは姉の世話役ですの』

『お姉さんの?』


聞き返すと、こくりと少女は頷いた。
あれだけ奇抜な前置きがあった後だったのでどんな仕事だか内心不安になっていたが、案外普通な仕事内容で思わず拍子抜けした。
良家の子女は女学校へ通うのが一般的であるが、確かにこの少女のように異人であれば普通の黒髪の少女達と共に学ぶということは難しいのかもしれない。世話役は教養のある人間がなることによって家庭教師の代わりにもなるのだ。

しかし、一応自分も学校は出ている身だったが、

(あまり勉強できなくて……良い思い出は無い、よね…)

自分は、日本人の父と異人の母の間に出来た子供だったらしい。
髪色だけは父親から継いだものの、金の目や周りに比べて少し高い上背、色の白い肌など明らかに母親の血を濃く受け継いだ所為で、五つにもならない頃から随分周りに気味悪がられた。
しかも両親が若くして死んでからは親族の誰もが自分を鬼───異形の子と呼んで引き取るのをためらい、結果的に一人で働くしか道が無かったのだ。
無論、働くと言ってもこんな自分がそうそうまともな仕事に有り付けるはずがなく。

一度といわず地面に頭を擦り付けるような仕事ばかりが、日々の少ない糧を得る唯一の手段だった。
人に話す気はさらさら無いが、犯罪の下請けのような仕事でも回ってくるものは何でもやって生きてきたのだ。

黒い髪、化け物のような金の瞳の鬼の子が住む場所を持つようになる頃には、訪ねてくるもの全てが汚い泥にまみれた黒い鴉共だった。

(………それでボクも…)

けれど、たった一度だけ見えた光もあるにはあった。
それは自分の瞳を映したような濃い金の髪で、新緑のような翡翠色の瞳をした───



「……ギルバートさん?」

「あ、すみません」

隣に佇む少女に声を掛けられ、ふっと意識が今に戻った。
気が付けばいつの間にか屋敷の中に入っていて、入り口の広間の真ん中にぽつんと立っている。


「どうかなさいました? ぼうっとされて……お疲れならお茶でもいかがです」

「いえ、本当に何でもないので……」

「では参りましょう」


うふ、と少女は微笑んで屋敷の奥へと進んでいく。馬車に乗り合わせていた短髪の青年とはすでに別れた後のようで、案内は彼女のみだ。


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