黒猫と革紐。 | ナノ



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───扉の外で忙しくノックの音がして、ふと我に帰った。

何をしていたのか。
ここは自分に与えられた部屋で、自分は少し前から休んでいて、

(ああ、)

思い出した。
つい、作業に夢中になっていた。
外からノックの主の高い声が急かす。


『アーネスト? なあ、アーネスト!』

『待て、エリー。今開けるから』


急いで、移動させた家具に見苦しくないよう布を掛けた。ドア横のクローゼットにも途中の物を入れておく。
思いの外華奢な脚だったので折れているのだ。まだ幼い弟に見せて手を出されても困る。綺麗な手が汚れたりしては事だ。

『アーネスト! なんでカギかけるんだよ!』

開けて早々、元気な声が飛び込んできた。


『家具を直していたんだ。木の欠片が散らばっているからどこかのおチビさんが入ってきて怪我でもしたら困るだろ』

『オレはチビじゃないっ!』

『おっ、自覚があるのか? 流石だな』


入ってきた弟の頭をわしわしと撫でてやると自分似の、正確に言うと母親似の顔を盛大にしかめ、可愛らしく頬をぷくっと膨らませる。
ヴァネッサやクロードは父親似だが自分とエリオットは儚げな母親の血を濃く受け継いでいる。性格はともかく、奇妙にも見事に別れた家族の外見はこうしていると自分とよく似ている人間同士を引き寄せているように思えて仕方なかった。
かなり年が離れているため幼いエリオットが可愛くて仕方がないというのも事実だが、どうも自分はこの弟に甘いようだ。

『それで、何か用事か?』

聞くと、エリオットは当初の目的を思い出したらしく部屋をきょろきょろと見回した。

『ギルバートみなかったか?』

『……あいつがどうした?』

『どこにもいないんだ。昼からヴィンセントとずっとさがしてるのに……』

『わざわざ気に掛けなくてもその内出てくるだろ。気にするだけ無駄だ』


でも、と言い掛ける小さな頭に手を置く。ため息と同時のそれは負の感情によるもの。
置かれた当人は例の使用人上がりが余程気になるのかまだ何か言いたげな顔をしていたが、僅かに不服そうにしただけに終わった。
エリオットもこれ以上粘っても自分が、否、エリオット以外の家の者がまともにその人間について取り合わない理由を知っているのだろう。名義上では家族の一員に迎えられたものの、今まで兄妹達が食事や談話でそれと同じ席に着くことはほとんど無かった。何を意味するかは、子供でも容易に分かることだ。

それでも諦めきれないのか、手を外すとエリオットはむっつりと唇を尖らせたまま呟く。


『クロードにもきいてみる』

『……エリオット』

『それがおわったらちゃんと部屋にもどる!』

『あ、おいエリー!』

ドアに向けて駆けていこうとする小さな後ろ姿を追おうとして───

───がたん。

不意に、布を掛けた家具の辺りから音が聞こえた。


『え?』

『………、』


それ程大きくない、何かがずり落ちたような音だ。けれどそれは小さな子供の大きな好奇心を揺らすには十分で、当然のごとく彼の注意は部屋の隅の白い布と散らばった工具に向いた。

『なあ、あれなんだ?』

『だから直す途中だったって言っただろ? お前がつまらない事で騒ぐから止めかけの部品が落ちたんじゃないか?』

言ってやると弟はかっと頬を紅潮させて、

『そんなにさわいでない!』

『お? 良いのか、言っている事と行動が矛盾してるぞ?』

『うっ……』


喉に小骨が刺さったように詰まる姿は中々可愛いものだったが、あまり苛めるとその内完全に拗ねてアーネストの馬鹿と罵られそうなのでここまでにしてやった。

真っ直ぐ目を合わせるように屈んで、ぽんと薄い両肩に手を置く。


『ナイトレイの人間なら、如何なる状況でも落ち着いて事に臨め。お前はいずれあの黒い剣を受け継ぐ男だ』

『………、』

『返事は?』


───間を置いて、わかった、と呟きが返ってきた。


『よし、それでこそ我が弟だ。……クロードなら今書斎に居るだろうから、行くなら行ってこい』

『…いいのか?』

『ああ、それでも見つからなかったら大人しく部屋に戻るんだぞ』


ぱっと大きな碧眼が輝き、続いて子供らしい元気な返事が続いた。

はち切れんばかりの声で礼を言われ、兄として何とも言えないくすぐったさを覚える。家風に似合わず快活で純粋な弟の姿はこれからのナイトレイを背負う者にふさわしい気がした。
無論、家を継ぐ継がないはそれとは別の話になるが、それでもエリオットは自分ら兄姉の誰とも違う考え方でこの家を支える柱になってくれるのだろう。
長い間抑圧された光の差さない場所。裏切り者とさえ謗られる、黒い剣を継いでいく家。
そんな暗い百年来の印象を掻き消し、またどの家にも引けない地位へ舞い戻る為の。
あまり行儀が良いとは言い難い走りでパタパタと駆けていく弟の背中にまだ見えない未来を重ねながら、元の通り扉に鍵を掛けた。

ガチャン、と重く錠が落ちる。



『……良かったな。弟以外に気に掛けてくれる奴が居て』

ドアに向いたまま零した声は、部屋の空気を低く割った。

期待を抱けどエリオットはまだ幼い。いくらナイトレイを背負えと言われても無理な年齢だ。
何かと渡り合う経験など皆無に等しく人を疑うことも知らない。結果的に、安易に誘導に乗せられてしまった。余り好まない言い方だが、巧くあしらわれた訳だ。
だから、後少しもしない内に弟は大人しく自室に戻る事になるだろう。
求めた捜し物を見つけられないまま、あの可愛らしい唇を尖らせて。

ドアノブを回して施錠を確認してから、部屋の隅に置いた工具を片付けた。もう必要ない物だ。
代わりに死角となる白い布を掛けた下から引っ張りだしたのは、形を作っていた椅子と上に乗った手紙の封に使う使いかけの蝋。先程の音はうっかりそのままにしていた蝋に付いたままだった印が落ちた音だった。
そして、

『見られたくないなら足元に置けば良い。……そうだろ?』

ドアの真横に置いてあったクローゼットの扉を蹴って、中に入っていたものを床に引き倒した。
呻き声と鈍い反響。


『エリオットが何故お前を気にするのか疑問だな』

『………、』

『父上もどうしてお前達兄弟を養子に迎えたのか。一体お前のような下賎な使用人上がりにどんな価値があるというんだ? なあ』


問い掛けて、また靴の角で転がったものを蹴った。
黒い髪、金の目。さっきまで弟が必死で探していたそれは折れた足を必死で庇いながら、血が滲む程唇を噛み締めて悲鳴を抑えていた。
折檻を始めたきっかけなどとうに忘れた。ただ、気に入らなかった。
ベザリウスの人間に使えていた者がナイトレイに、しかも使用人ではなく公爵家の養子として入ってきた事が。それだけでなく、事あるごとにこの記憶を失くした兄弟に対していつも何かを含んだような父の物言いが。どこで生まれたのかもどうやって暮らしていたのかも分からない人間が、公爵家の地位と恩恵を身に受ける。そんな事がどうして許せるものか。

何もかもが気に入らない。
この小さな少年に何があるというのか。


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