黒猫と革紐。 | ナノ



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act.2 Crazy world's end(狂ったのは世界か僕か)


世界が赤く見える。
赤い赤い赤い───

だが、ふと赤いのは世界ではなく自分であると気が付いた。視界が赤いのだ。

何故、と思った瞬間に後ろから名前を呼ばれた。
よく知った巻き毛が愛らしい少女の姿。高い声で問い掛けられ、答えようとすると彼女が黒く平たい箱に腰掛けていることに気が付いた。

それは、棺だった。

棺に刻まれた名前。少女の父、母。それだけではなく、もう三つ余計に黒い箱が並んでいる。
一番手前の箱には、レインズワース家の令嬢の名があった。その隣には眼鏡の友人の名。
真っ赤な視界のまま、震える手で最後の箱の蓋をずらす。

中には一人の黒髪の青年の死体が静かに横たわっていた。
変わらないウェーブがかった髪。引き結んだ口元。血化粧を纏っている訳でもないのに、それは一目で死体と分かった。
もう生きていないのだと。


『ケビンのせいよ』


貴方が関わると、皆こうなるの。
無感動に平たく少女は言って、その場に崩れ落ちたブレイクを見つめた。
蔑むでもなく、哀れむでもなく、見下ろすようにしてただ見ていた。

ブレイクが耐え切れず狂いだすのを待つように、相変わらず真っ赤な世界の中で。




act.3 それでも前に、前に


ザークシーズ=ブレイクという男は酷く脆い人間だと思う。
彼を守る幾重の強さの盾の向こう、ブレイクという人間を形作る小さな核。もう既にそこには罅が入っていて、傷から血が流れて固まるように今の彼は瘡蓋で固めた核を必死で抱き抱えて生きている。
いつか暴発し命を落すと分かっていても今生き長らえる為に銃を手放せないように、受けた多くの傷で罅がどこにあるかすら分からなくなっても、確かに罅が存在するという『事実』が彼を縛り止まる事を許さない。
それでも、なまじ彼自身が力を持つ故に今まではそれが出来ていた。だが、もしも───たとえ万に一つでも、傷ついた脚が限界を越えてしまったら。
その時はもう、坂を転がり落ちる石の末路を辿るしかない。
止まれず、戻れず、地面を前に石は砕け散り砂となる。そうなれば速度を緩める雑草にすらなれなかった自分に果たして何が出来るのだろうか。

見ているだけで記憶の無い父を、母を、友を重ねてきた後ろ姿。
自分は十年もの間彼を内側から侵食する黒い染みを見ていただけ。

別に、それに対してブレイク自身が何をしろと言った訳ではない。
けれど今までただ指を銜えて見ていただけの自分が彼を見下ろした瞬間に鏡映しにされたようで、無力感に膝を着きそうだった。


『───いつまで上司を転がしておくんですか』


嘘だと思った。

手を貸そうとした瞬間にそんな訳無いでしょうと起き上がりざま頭突きを食らわされるかと思っていた。無論そんな事が出来ていれば逃げた獲物を追っていただろうに、甘ったれた幻想にギルバートは一瞬でも全力で縋りついていた。実際は利き腕も使えず、肩を貸して引きずれば進行方向をこちらに委ねるのが精一杯の状態だったというのに。
だが、いつも自分に見せない筈の焦燥しきった『ザークシーズ=ブレイク』の顔が傷の向こうに覗いていたことが、それまで抱いていた幻想を粉々に打ち砕いた。

この男は誰だろう。
今にも泣きだしそうな顔で、ギルバートが手を貸さなければ歩く事すらままならない男。酷く傷ついた男。
彼が一人の人間であることを忘れ、勝手に作り上げていた虚像が音を立てて壊れた瞬間だった。

(……どうしようもない馬鹿だ、オレは)

十年もの間、自分は一体何をしてきたのだろう。与えられるばかりで相手を見もせずに過ごしてきただけだ。

今更何をと言われても仕方ない。
けれど、ブレイクという一人の人間の為に何かをしたくて、ギルバートは目的の部屋に足を踏み入れた。


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