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───猫可愛がり、なんていう言葉があるじゃないですか。
いえ、猫を可愛がるんじゃなくて、何かをむやみやたらと可愛い可愛いというような事らしいんですけど。
それって、やってる方とやられている方ですごく解釈が違うと思いませんか。
「……ほらギルバート君、襟立ってますってば。それに髪もちょっと跳ねてますし…」
「自分で出来ますから! 叔父さんはちゃんと朝ご飯食べてて下さいっ!」
「でもそのままで外に出るというのも……というか今日は本当に一人で大丈夫ですカ? 五時にはちゃんと家に……いや、やっぱり私が一緒に…」
「校外学習に保護者連れてくる生徒がどこに居るんですか?! たかが近所の博物館くらい一人で行けますよ! 活動もグループですから心配しないで下さい!」
「グループって…それってもっと危ないじゃないですカ? もし君に何かあったら…」
「何もありませんからっ! グループに一体何を想像してるんです?!」
例えば、こんな感じ。
超猫可愛がりというか過保護というか心配性というか甥コンプレックスというか───とにかく、そんな人とボクは毎日暮らしてます。
「……じゃあ行ってきます。本っ当に平気ですからこの前みたいに後ろからついて来ないで下さいね!?」
少し大袈裟に、しかしこの人間に限ってはまだ足りないと思える程度に念には念を押して本日二回目の忠告をする。玄関先で靴に足を押し込んだギルバートがそう言って振り返るとそこには不機嫌そうな顔で見送りに立っている叔父の姿が見え、思わず吹き出しそうになった。
残念そうに口を尖らせ、口の端には朝食に用意したトーストの欠片。こんな状態でも整った顔立ちは少しも霞まず、むしろ新しい魅力を引き出している所は相変わらず称賛したいくらいだが、その顔の意図する所は大体読めている。
そんな顔をしても駄目ですからね、と三度目の注意をすると雨の日の仔犬ライクであった潤んだ瞳から一瞬にして水分が蒸発した(ように見えた)。
「……チッ」
「今舌打ちしたでしょう叔父さん」
「いえいえ。そんな事はありませんヨ多分」
(多分って言った……)
予想を裏切らず、とんとんと爪先を床に打って靴の調子を確かめる瞬間にぼそっと付け加えられた言葉を耳は聞き逃さなかった。
「…まあ要するに君と他の子にバレないようについて行けば良いんでしょう」
「そういう問題じゃありませんっ!」
「おや、聞こえましたか」
「聞こえますよっ!」
キッと噛み付くと短気は健康に良くないですよとどこ吹く風といった調子で返される。
まるで反抗期の子供のようだが、これでも叔父───ザークシーズ=ブレイクはれっきとした、そしてかなりいい歳の大人だった。
将来の不安の薄い公職に就き、この不景気になかなかの給料をかっさらい、そして家には数々の表彰状をずらりと並べるその人生は傍から見れば羨ましいの一言に尽きるが、こちら側から見ればその姿はただの甥っ子にべったりな叔父だ。
社会的地位のある大人が終始これで良いのだろうかと考えていると、何かに気付いたように叔父はちょいっと顔を近付けた。
「あ、肩に糸が」
「え?」
ふに、と肩に気を取られた一瞬で頬に降りたやわらかい感触。
散々止めてほしいと頼んでいた叔父流の挨拶にぼんと顔が熱くなり、慌てて鞄で思い切り寄ってくる叔父をブロックした。
「はい、いってらっしゃい」
「〜っ、それ止めて下さいって言ってるじゃないですか!」
「えー、可愛い甥との挨拶じゃないですカ。そんなに照れなくても…」
「行ってきますッ!!」
バン! と普段の三割増しの力で閉めたドアにもたれ掛かりながら、ギルバートは朝から何度目になるか分からない眩暈とため息に眉間を押さえた。
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