黒猫と革紐。 | ナノ



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「……随分と長く、手間を掛けさせてくれたものよな」


豪奢な部屋、大量の本で埋められた中央の玉座に腰掛ける柘榴の赤い髪。
城の中にまでやって来ても、未だ自分がどうしてこんな場所に居るのかがふわふわとして掴みづらかった。

言われた通りに城へ言葉を伝えただけだった。たったそれだけの事で半刻もしないうちに潰れ掛けた娼館へ一つの軍隊が現われ、兵は青年の首に縄を掛けた。
娼館に残された者達はあらかじめ彼の素性を知っていたのだろう、特に娼館の女主人である車椅子の老女は彼の事を皇子と呼び、最後まで考え直すように止めていた。しかし、そんな老女に彼は逃げ出した時に持ち出した物なのか、軽く見た程度では到底値が付けられないほどの高価な宝石や金を全て渡して首を振ったのだ。


『これをお金に替えて、早くこの国から逃げてください』

『でも貴方は……』

『ありがとうございました。オレみたいな厄介者を今まで匿ってくれて……だけど、貴方達にもう迷惑は掛けられないから』


最後にもう一度だけありがとうと呟いて、青年は片方の耳に小さな金のイヤーカフスをはめた。金地に繊細な紋様が刻まれた耳飾りは彼の金の瞳とよく合い、波打つ髪に隠れることなくほのかに輝く。

───そしてそれは、支配者の前に突き出された今でも変わらずに繊細な光を返していた。

玉座に座る赤い髪の男は縛られた皇子を嘲るように端正な口端を引き伸ばすと、手にした扇を軽く振る。



「……どこから聞こうか。汝の生き残った理由を。まずは愚かにも国を渡さずに戦いを避けた父や母を見捨てて、城から逃げ出したところから始まるのか?」

「………、」

値踏みをするように、見透かすように笑った目元がすうっと細くなる。
その奥で光る暗い瞳は彼の性格を如実に表しているのか、研ぎ澄まされた刃のように鋭い威圧感を見た者に与えていた。しかし護衛の兵卒ですらたじろぐようなその冷たい笑みを向けられながら怯むことなく、青年は国の支配者の顔を睨み付ける。
すう、と自身を落ち着かせるように息を吸い込むと、まるで始めから対等だと宣言するように芯の通った強い声が玉座に響いた。


「オレの事は好きに言って構わない。だが、彼らを裏切った貴方が父母を愚弄する資格なんて無い筈です」

「……言うようになったな、綺麗事しか知らぬ姫君が」


不服そうな言葉とは反対にくつくつと嘲笑に肩を震わせた男がゆっくりと立ち上がり、すっと扇の先で顎を掬う。
突然の行動に戸惑う衛兵を無視して零れた声は、ただ楽しそうに手に入れた玩具をせせら笑った。

「その綺麗な顔で、生き延びる為に何をしてきた? 色街に隠れていたらしいが、さぞ客がついただろうよ」

「……欲に溺れた頭の軽い連中の方が余程貴方より聡明でしたけどね。逃亡者なんて素性の知れない者には手を出さなかったんですから」


噛み締めた唇の端が白くなる程の感情を押さえ付けたまま、青年は返すように妖艶に笑う。
その姿には恐れや不安がちらつく様子などどこにも見当たらず、本物の娼婦にすらひけを取らないような妖しさを纏わせている。
───だが、

(………、手が…)

控えさせられた扉の端からでも分かる程、後ろ手にされた白い指先は汗に濡れていた。下手をすれば気を失って倒れてしまいそうな張り詰めた緊張感の中、それでも彼はにやりと笑っているのだ。

「足りない死体を見つけるのに十年は少し長すぎますね」

「ぬかせ。我がくだらぬ亡国の生き残りにばかりかまけていたと思うか」

「その割には随分焦っていたようですが?」

「……何が言いたい」


たら、とこめかみに汗が伝う。
見ているこちらでさえ背筋が寒くなるような冷えた空気はチリチリと肌を差し、頼まれた簡単な事柄すら頭から飛んでしまいそうな気がする。
この城に来る前、まだ捕らえられる前の彼から受け取ったもう一つのもの。それは手の中でじんわりと汗に滲んでいた。

(まだ……合図が来ない)


───『間合いを詰められたら合図をしますから、こちらに来てくださいね』


そう言って渡された銀のナイフ。表面に薄く油を塗ったそれを手渡され、頼まれた事は単純。
『彼』は兵に捕まる前、どこで手に入れたのか小さな色硝子と髪染の薬を使って半刻程で化けてみせたのだ。

亡国の、黒髪の皇子の姿に。



「別に……偽物と本物の区別すらつかない間抜けな城主なら、大したコトないかなーって思っただけですヨォ?」

「な、に……?」



(……今…!)

ざわ、と周囲が一気に騒ついた瞬間に、身代わりの青年の白い指がちょいちょいと手招きしたように見えた。それを合図と受け取り、懐に入れておいた小さなナイフを取り出して器用に立ち上がった彼の元へ走る。
纏っていた砂避けの旅装束を目くらましに城主の胸に向けてそのナイフを投げ付けながら、彼───白い髪を黒く染め上げた、紅い隻眼の旅商人に向かって。



「……謀りおったな」


縄を切った先で、城主の端正な顔立ちは怒りで歪んでいた。
均整の取れた眉が不快そうに寄せられ、鉄の扇を握る白い手が流れてきた赤にべっとりと染まる。胸を庇ったその腕には、曲がった切っ先の小さなナイフが深く突き刺さっていた。


「お返しします。その刀は、十年前に貴方がオレに傷と一緒に刻んだ物だ」

「ふん、戯言を…やはりあの時殺しておけば良かったか……」

「城主様!」


ガキィ!! と金属のぶつかり合う音が空気を震わせた。
扇を落とし腕を押さえた城主とそれを見つめる自分の背後で、駆け付けた衛兵の剣と隻眼の商人が忍ばせていた小刀が正面からぶつかり擦れる音だ。


「ブレイクさん!」

「あはは、そろそろお暇した方が良いみたいですネェ」

「っ…賊風情が………、?!」

瞬間、赤い髪の城主の細い体がぐらりと揺れた。
まるで質の悪い酒でも飲んだように足元からバランスを失って、彼は膝から折れて豪奢な絨毯に伏せる。


「く……っ!?」

「あまり動くと毒が回りますよ。……もっとも、貴方がまだ動ければの話ですが」


カシャンと窓を割る音が聞こえる。
いくら下が砂しかない砂漠だとはいえこの高さから飛び降りるつもりなのかと一瞬迷ったが、構わずに商人が待っているだろう音の方向へ駆け出した。

最後に、一度だけ後ろを振り返って。


「さようなら。オレが過ごしてきたこの十年間、確かに貴方に返しましたから」

「………、」


ばたんと扉が閉まる。
広間から抜けた廊下の奥には、たった一夜で見慣れてしまった紅い瞳の商人が手招きしていた。


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