黒猫と革紐。 | ナノ



V


「ギルバート君」

「あ、悪い。……行くか」

「………、そうしましょう」

ちょうど見たいDVDがあるから早くと促され、なんとなく後ろ髪を引かれる感覚を引きずりながらも店の出口に向かっていく。ランチタイムは過ぎたはずなのに相変わらず店の中は混んでいて外に出ることも容易ではない。
淡い金髪はこちらに顔を向けないまま、人の海へと消えてしまった。

外に出ると、少し肌寒い乾いた風が店内の熱気に火照った肌を撫でていく。ちらりと携帯のディスプレイを確認した後、ドアから離れるように相手の靴先が浮いた。

「ふう……」

「…ねえ、ギルバート君」

店のドアから少し離れた歩道の上で一息着くと、ちらりとこちらに向けた紅い目を細めながら隣に立つ男が声を掛けて軽く腕を引いた。
恋人のするようなその所作に少し面食らいながらも振り返った目と目が合い、にやりと笑いながら開かれる薄い唇に僅かに心臓が跳ねる。

「な、何だ急に」

「やっぱり、この後すぐ家に来ません? 取り貯めした番組があるの思い出したんですヨ」

「え? ……ああ…」


別に構わないが、と開き掛けた口。
だが、急に開いた店のドアとそこから出てきた誰かの手が肩を掴む感触に、それはキャンセルさせられた。


「…ギ…ル……っ!」

「ヴィンセント…?!」

「ちっ」



開いたドアから零れる熱気。
見慣れた金髪が、そこに居た。



「さ、がした、のに……もう出てるなんて……ッ」

「おい、大丈夫かお前!?」


ホラー映画のメインシーンよろしく髪を乱して肩を掴んでいる様は正直ちょっと怖い。
だが基礎体力が無い彼にとってはあの程度の混雑でも十分辛かったらしく、普段は色の白い頬がほんのりと色付いていた。
ぜえはあと落ち着かない呼吸をなんとか整えた後、金の髪の弟は言う。


「まさか出て行っちゃうなんて思わなかったんだ……」

「それで探しに来たのか?」

「うん。だって…ギルが怒ったのは僕のせいでしょう…? ごめんね……」

珍しくうなだれ、風にそよぐ金髪。
思えば幼い頃からこの弟はどこか大人びているところがあるかと思えば反対に酷く不安定な面もあった。今ではだいぶその傾向は薄らいできたが、今回はそれが戻ってきてしまったらしい。
間を置いた後、しかられる事を恐れる小さな子供を思わせるその頭にくすりと笑って手を置いた。それはまだ自分らが小さな頃、出掛けた先ではぐれてしまった時を思い出させる。

「……ギルバート…?」




『───ギルバート…?』

『ヴィンセント、どこに行ってたの? 探したんだから……心配させないで…!』


広い百貨店に行った時の事だった。

迷子センターに呼び出された名前に血相を変えて向かった託児所で、目を真っ赤に泣き腫らしている弟を見て、自分は彼を叱った。
一つ歳が違うだけの子供が母親のように振る舞うのは傍目から見れば異質なものだっただろう。けれど、自分以外に保護者が居ないような状況で彼を迎えに行くのはいつも自分の役目だったのだ。
その後、安心して泣いてしまったことを今でもはっきりと覚えている。結局一緒に来ていた三つ編みと黒髪の青年が来るまで、どちらが迷子だったか分からなくなる程ただ二人で手を握って泣いていたのだ。

今も、唐突な行動にきょとんとしてぱっちりと目を開いた様子が本当にあの時のまま幼子のように見える。


「もう怒ってないから、気にするな」

「そう…?」

「ああ。……少しオレも大人げなかったな」

「ギル……」


ありがとう、とあの時と同じ小さく笑った笑顔に先程とは違う安心感のような感覚を覚えた。
少しくすぐったい、心の中にあった小さな刺が溶けていく感覚だ。が、


「───ちょっと、いつまでくっついてるんですカ」

「は? ああ、居たんだ君…」

「あの程度の人込みで息切れするような溝鼠に言われたくないんですけど。ざまあないですネェ」

「………、」

ずい、と横からかなり不機嫌そうな顔が覗く。いわずもがな、蚊帳の外扱いだったブレイクだ。
彼は静電気のたまった風船のようにピリピリと危うい雰囲気を醸し出しながらにっこりと、そう、不自然なほどにっこりと笑って、

「約束は反古じゃあないんですからギルバート君はもらいますヨ。ほら、謝ったんならさっさと帰ったらどうです」

「君こそ早く帰れば。もう兄さんが家に居づらい理由もないんだからさ……」

「そんな昔のことはどうでもいいんです。今ギルバート君は私と一緒に居るんですヨ」

「僕と一緒、の間違いでしょ」

「おやおや、とうとう視覚まで疲れでどうかなってしまったんですカァ? 体力も残念なのに本格的に人間として終わってきましたねえ」

「それは鏡に向かって言えば…? その歳で友達も一人しか居ないような君こそ駄目なんじゃない……」

「………、おい」


さっきまでの温かい雰囲気は一転、一気に絶対零度顔負けの冷たい風にさらされた気がした。
知り合った当時からそうなのだが何故だかこの知人を見ると弟は毛を逆立てる。一方ブレイクもブレイクで普段は飄々としているくせに顔を合わせた途端急に不機嫌になるので始末が悪い。
そして間に挟まれる自分はというと大抵とばっちりを受けて散々な目に遭わされるのがパターンだ。

それはどうやら、今回も例外ではないらしく。


「……ねえ、ギルはどうしたいの……」

「えっ?」

「大体今回の原因も君じゃないですか。君がはっきりすれば丸く収まるんです」

「う……」

───今までどちらかに決めて丸く収まったことなどあっただろうか。
大抵その後弟には気が済むまできっちり付き合わされて(何に、とは言えない)寝不足になるし、知人の場合は理不尽なワガママに強制的に応えさせられてまた弟の機嫌が悪くなるという悪循環に巻き込まれるのが常だというのに。

「ねえ、どうなの…?」

「ほらほら、さっさと決めたらどうなんデス」

「…ちょっと黙りなよ。兄さんが考えられなくなるじゃない」

「それは貴方の方じゃないですか? 自分の事を棚に上げるとはよく言ったものですネェ」

「君ね……」

「………、」

考えろと言っておきながらしっかりいがみ合っている二名に何だか軽く頭痛がしてきた。けれど、これは放っておけば確実に泥沼化するに違いない。

「〜ったく……!」

───必死で考えた次の瞬間、両手で睨み合うそれぞれの手をぎゅっと握った。


「ギルバート君?」

「兄さん…?」

離れないように、体温の違う二つの手を自分の手を通して繋ぐ。


「……三人でどっか買い物でも行くぞ」

「「は?」」

「オレが決めて良いんだろ。ならついて来い!」


ぐいぐいと状況が良く飲み込めていない二人の大きな子供を引っ張って人目のある道の真ん中を突っ切っていく。
まるで小さな頃の自分にもう一人手の掛かる弟が増えたように感じ、握る指先に均等に力を込めた。


「…ついて来て下さい、でしょう」

「仕方ないなあ……」



風を切る身体がまっすぐに前へと向かっていく。

実はその先には店ではなく閑静な住宅街が広がっているのみだったのだが、手を引かれる二人は黙って笑うとその頼りない背中を追い掛けた。



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