なにやら周りの声のトーンが急にあがった。なにごとかと机に突っ伏していた体を起こす。

「水野はどうなの。なんかないの恋バナ」
「そういや、きいたことねえな」

 かすむ目に最初にうつった彼は笑ってしまうくらい不機嫌そうだった。片肘をついて、顎を手の甲の乗せ、はなしかけてきたやつを睨むように見据えている。でも、これに気づいてるやつはたぶんいない。不機嫌顔を標準装備している水野の表情は読みにくい。

「ねえよ」

 きれいな顔にいつもとはちがう不機嫌をのせて、水野はぎゅっと眉間に皺をよせた。

「わりい、ちょっと気分わるいわ」

 ゆっくりと立ちあがった水野は、ちいさな笑みをうかべて教室をでていった。

「だいじょうぶかな、水野」

 しずかになった教室。みんな互いに顔をみあわせて、眉をさげている。

「様子みてくるわ」

 へらりと笑って、立ちあがる。水野がでていった扉にのったりと向かうと、背中に頼むわ、という複数の声がかかった。教室をでて、扉をしめると廊下はすっとしずかになった。教室との温度差に鳥肌が立つ。くすんだ窓ガラスからは夏の日ざしが容赦なくさしこむ。光は床や壁にあたりはね帰る。その一部分が制服の黒いズボン、髪にはらまれていく。逃げ場をなくした熱が澱む。さて、どこへいったものか。

「牧」

 窓をあけてまわっていると、うしろから声をかけられた。窓枠に手をかけたままふりむけば、おなじようなポーズをとった水野がいた。

「暑すぎて、寒気がするわ」

 この教室クーラーつかないでやんの、とすこし口角をあげた水野は、まだあいていなかった横の窓をあけた。それにならって、自分の横の窓をあける。すると前から後ろへと一陣、おおきなかたまりとなった風が吹きぬけていった。

「きもちいい、」

 空気の流れにひっぱられるように、また水野の方を向いた。風が水野のやわらかい茶髪をくしけずる。

「なあ、牧」

 夏の風のにおいをかぐように顎をあげ、ふんわりと微笑んだ水野の手招きにさそわれ、
教室へとはいる。たまの授業にしか使われないあき教室だった。
 水野は机に腰かけて、腕で額の汗をぬぐっていた。がたがたしない椅子をみつくろって、そのちかくに座る。

「なんかあったか」

 かるい感じで水を向ける。水野はあまりひとの名前を呼ばない。呼ばれたときはしっかりと話をきいてやる。いつの間にかそうするようになった。

「相手がバイで、しかも俺のきもちに気づいてるってのが質がわるい」

 完全にもてあそばれてんだよね、水野はがつがつと俺の座っている椅子の脚を蹴りながらいう。苦しそうに、でも愛おしそうに。あーあー、なんて顔だろうね。

「でも、すきなんだろ」

 きけば、すっと目をそらされた。でも、うすくあいた口からはため息のような肯定のことばがこぼれてくる。
 いつからこんなに信頼されるようになったのかね。なんで俺にカミングアウトしたのかね。いま、水野の目線の先には壁があり、廊下があり、もう一枚壁を隔てて、食堂がある。机に座る水野からは食堂がみえるのだろう。椅子に座る俺からは壁が邪魔でみえない。でも、水野のまなざしをおってみる。

「俺にしたらいいのに」

 いってみたら、鼻で笑われた。水野の目がこっちにもどってくる。

「お前はストレートだろうがよ」
「でろでろにあまやかす自信はあるけど」

 俺をか、そういうと水野は愉快そうに肩をゆらした。

「だきしめてあげようか、水野」

 両手をひろげてへらりと笑ってみせれば、水野はすこしこわい顔になった。かとおもったら、なさけない顔になった。

「でっかいなあ、水野は」
「うっせ、だまれ」

 倒れこむように、広げた腕に入ってきた水野をぎゅっとかきだいてみた。水野も俺の首にまわした手に負けじと力をいれてくる。だきしめてあげるといったものの、水野の方が身長があるためだきしめられている風になった。
 なんだか愉快になってきたので、おおげさに体をゆすって笑ってみる。水野のちいさなふるえに気づかないように、おおげさに体をゆすって笑ってみる。

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