ガタン、ガタン。と、重たい音と共に揺れる列車内で、優雅な旅を楽しむわけもなく、シエルとダリアの手には教科書。
「『イッヒフロイエミッヒジーーーーケネンつれるねん(はじめまして)』」
「全然ダメです。アクセントがメチャクチャですよ」
二人の向かいに座るセバスチャンは、伺うように上目に見つめる二人に遠慮なく切り捨てた。
「イッヒ…あ〜もーダメだ酔ってきた!」
『列車で文字なんかやめてよ…』
「だらしがありませんねぇ」
座席に倒れこむシエルと、教科書を投げ捨てるダリアにセバスチャンは眉尻を下げて困り顔でため息するしかない。
「ドイツ語の発音は苦手なんだ。読めるんだからいいだろう」
『お前がいるんだから、話す必要ないでしょ』
「おや。私に頼られるという事ですか?」
『……なんか、それは凄く…物凄く、癪…っ』
「お前なぁ…まあ気持ちはわかるが」
これでもかと顔をしかめて教科書と睨めっこするダリアに呆れながらも、シエルも教科書を開いていた。
こうして一生懸命にドイツ語を覚えるのも、列車で他国へと出向いているのも、女王の番犬としての仕事。
ーーーー遡ること、一週間前。
「ドイツ?」
シエルとダリアが揃った執務室に、セバスチャンの不思議そうな声が響いた。
「…ですか?」
丸くさせた目を瞬かせるセバスチャンの手には、本日のスイーツであるコーヒーとウォールナッツのケーキが。
『ええ。ドイツで起こった不可解な死亡事件。それを調査せよ…と、女王陛下のお達しよ』
「「女王の番犬」自ら出向けと?」
二人の前にスイーツの乗ったお皿と紅茶が入ったカップを用意したセバスチャンは、納得のいかない怪訝そうな顔をする。
「我が一族(ファントムハイヴ)は英国裏社会を管理するのが役目。なのに何故ドイツまで派遣されなきゃいけないんだ!?」
頬杖をつくシエルはむくれた顔で苛立たしそうに語尾を荒げると、手にしていた手紙を机に投げやる。乱雑にやられた手紙をセバスチャンは広げて目を通した。
可愛いぼうや スモール・レディへ
ドイツ南部で不審な死が相次いでいます
なんでも健康だった者がある日突然
異形の姿へ変わりそのまま絶命するとか
ドイツは今は亡き夫と母の故郷
私の家族が数多くいます
疫病であるなら
すぐに医療支援をしたいのですが
皇帝からもドイツ政府からも
はっきりした返答を得られません
とても心配です
「ドイツ側から返答がないとなると、公に使者を送るわけにもいかず、お二人にそのお役目が回ってきた…と」
「事件を追って国外まで足を延ばしたことは1度だけあるが、今回はわざわざ僕らを行かせる理由がわからない」
もぐもぐとスイーツを咀嚼させながら、シエルは眉間にシワを寄せる。
「もっと明確な理由をお伺いしてみては?」
『無理よ。どうせ、はぐらかされて終わるわ』
「犬の仕事は骨を投げられたら喜び勇んで走り出すことだろう?」
『…まあ、ファントムハイヴ家がヨーロッパからアジアにかけて張り巡らせている、裏社会の情報網。それをアテにしているという事も考えられるけど…』
「特にドイツには先代から引き継いだアイツがいるしな」
シエルとダリアはそのアイツを脳裏に思い浮かべる。
「奴の所にクラウスを向かわせよう。連絡を」
「御意」
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