半兵衛に非常に惜しまれながらも大阪を発ち無事に躑躅ヶ崎館へと戻った満時は、幸村に飛び付かれ、信玄にぐりぐりと撫で回され、才蔵にこっ酷く叱られて、そしてどこから聞きつけたのか現れたかすがに抱擁されては窒息死しかけた後、漸く自室に落ち着いた。
「佐助殿」
「・・・なんですか」
静かな夜の闇の中に囁くように名を呼べば、当たり前のようにストン、と降りてきた忍に満時は微笑んで、自分の直ぐ横に酒を注いだ杯を置いた。
「一杯いかがでしょう」
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「佐助殿は、俺が嫌いなんだと思っていた」
満時に誘われた杯を受け取って、彼の傍でそれを傾けながらも互いに無言を貫いていたその場に、ぽそりと落とされた言葉に佐助は瞳を見開いた。
「いつも不愉快そうに眉を寄せているし、俺と話す時はかなり言葉が硬くなるだろう?だからあまり好かれていないのだろうなと」
だから、佐助殿が迎えに来てくれた時は驚いた。しかも中々に必至そうな顔で、俺に跨る半兵衛殿を睨みつけたりして。
「思ったより嫌われていないのかもとか、もしかしてその逆なのではとか思ってな」
こんがらがった糸が解れるように、全てが繋がるような心地がした。そう言ってクスクスと笑う満時に、佐助はみるみる頬に熱が上るのを杯を煽って誤魔化す。何か言わねばと思うけれど、何を言ってもこの頭の切れる男に敵いそうがないどころか墓穴を掘りそうで口にできない。
「ね。どうなの、佐助殿」
「っ、」
少しだけ目を離した、そんな一瞬の間に間合いに入り込み、佐助を覗き込んで悪戯気に微笑む満時。やられたと思うのと、向けられたその貌に思考が停止するのは同時で。
「いつも見てるのに、冷たいのはどうして?」
「っ、」
その瞳が、佐助だけを見ている。
「俺が才蔵や幸村様ばかり構うとその場から居なくなるのは何故?」
「なっ、」
なんで知ってるのと、口を突きそうになる言葉を辛うじてグッと呑み込んで、嗚呼ダメだ、この人と目を合わせたまま話すなんて無謀だと顔を背けようとすれば、それは許されず白く細い指に頬を包まれた。気が付けば、満時は縁側から足を投げ出して座る佐助の目の前に立っていて、ぐいと顔を上に向けられる。
「ねえ。俺のこと、嫌い?」
そう尋ねる彼の人の声が、言葉とは裏腹に蕩けるように甘い。向けられる細められた瞳がぐずぐずに解けるようで、触れる指先が壊れものを扱うかのように丁寧で。
「っぁ、」
声にならない声が漏れて、じわじわと熱くなる目元、綺麗な眸に、囚われる。満時の張った蜘蛛の糸の上、既に佐助は身動きなど一切とれない。
「ね、佐助殿は、」
俺のことが、好きでしょう。
唇が触れ合ってしまいそうな距離で、疑問では無く、断定して囁かれる。眩暈を覚えて、情けなくも視界が濡れる。触れ合う部分がみんな冷たく感じるのは、それほど自分の身体が熱を持っているからなのだろう。
「さすけ」
「っ、」
ほら言ってごらんと、再び離れた唇が紡ぐ。隠さず話せばご褒美をあげる。色を使った拷問の常套句を、彼の人はこともなげに告げて。物欲しげに離れたものを追っている自覚がありながら、けれど最早彼の手の内から逃げられない。
「す、き」
「・・・よく、出来ました」
そうして佐助の唇は塞がれた。