「えっ・・・・・チカ、ちゃん?」
「だあぁ〜っ!!ちゃん付けで呼ぶなよっ!!」
「…うっそだあ」
ヒクッと依の口の端が引きつった。だって・・・まさか、こんな・・・
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「・・・小田原に西海の鬼でござるかっ?!」
「「静かにっ!!」」
その一報を聞いた幸村は驚きから思わず大きな声を上げた。しかし報せてきた二人はそれを慌てたように押さえ込む。普段の声が大きい彼に、静かにとは些か無理な相談である。
「…依様には少しでも知られるのを遅くしたいんだよ」
「姉上であればもう知ってるやもしれぬが・・・」
「「はっ・・・!!!」」
「才蔵っ!!早く依様の見張りっ!!」
「承知したッ」
いつにも増して慌てる二人に幸村はイマイチ状況が呑み込めない。
「何故姉上に知られたくないのだ?」
「・・・真田の旦那、覚えてないの?依様が初めて家出した時のこと」
姉の初めての家出。
はて・・・それはいつのことだったか。姉の外出は今に始まった事ではなく、幸村が元服してからは何日も帰らないこともザラ。それを家出と呼ぶならば、?果たしてどれの事を“初めての”と言うのかと幸村は頭を悩ませた。
「ほら、昌幸様と大喧嘩して十日も帰らなかった時があったろ。旦那、大泣きして大変だったじゃん。才蔵が態々迎えに行ってさあ・・・」
「ああ!!」
あの時のことかと合点がいく。父との喧嘩の原因は姉の縁談話で、断っても断っても話を持ってくる父に我慢ならなくなった姉が高飛びして(彼女がやると文字通りの意味になる)確か、西海に行って暫く厄介になっていたとか。
「・・・では、西海の鬼には姉上がお世話になったということか!お礼を申さねばならんな!!」
「あ〜・・・やっぱり覚えてないか、」
ポリポリと頬を掻く佐助に、何をだ?と首を傾げると彼は言いにくそうにしながらも答える。
「西海でお世話になった子が、強くなったら依様を娶りに迎えに来るーってはな・・・っおい!旦那?!」
「許さん」
話終わる前に徐に立ち上がり、背に炎を纏う幸村を佐助は焦って追いかけた。
「おいっ、旦那ってば!」
「姉上を某から遠ざけようとは、西海の鬼、許すまじ・・・ッ」
「まだ“その子”が西海の鬼だと決まったわけじゃないからね?!」
早まらないで!!と止めようとする佐助を、幸村は一睨みで制した。
「態々、縁のない武田領まで西海を治める者が出向いておるのだぞ。姉上と関係無い訳がなかろう」
いつもの、御館様一筋ッ!!の幸村は何処へやら・・・自分できっちり判断して、サクッと決断する幸村に佐助は内心舌を巻いた。
「…いっつもこの判断力があるといいんだけどねえ」
「幸村様ッ!!!」
「む、どうした才蔵!」
「まさか・・・」
いつも冷静で彼女の前以外では表情すら浮かべない才蔵が、青い顔をして(それが忍としてどうなのかという話はこの際置いておく)走ってくる。佐助は彼の二言目が容易に想像できて息を呑んだ。
「依様が何処にもおりませんッ!!恐らくは、既に小田原へ向かわれたものと思われますッ!!」
「何ぃッ?!」
「やっぱりか…」
風の声を聞く彼女に、隠し事など敵うわけが無いのだ。
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文字通り風の如く移動出来る彼女の速度に、追いつく事は不可能だ。馬で急ぎ小田原に向かう幸村には才蔵をつけ、佐助は己の婆娑羅で闇に沈んだ。依の瞬速には劣るが、佐助の移動も一瞬である。
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その頃、小田原の海では西海からの客人と依が向かい合っていた。彼女の傍には小太郎が控え、ジリジリと近寄る元親を威嚇する。
「依っ!俺だって!なんでわかんねぇんだよ?!」
「・・・私のチカちゃんはもっと可愛かった」
「だからチカちゃん言うなって!!」
だぁ!!っと焦れた元親は徐々に詰めていた距離をさらに縮めるべく依に手を伸ばした。すかさず止めに入ろうとした小太郎を制して、彼女は元親の目の前に躍り出る。
「はあ、冗談ですよ元親。・・・立派になりましたね」
「依ッ!!」
「わっ、」
昔よりだいぶ高くなっ(てしまっ)た彼の顔を見上げて微笑めば、感極まったのか微かに涙目の元親に抱き締められる。その余りの巨体に驚くも、依はポンポンと彼の背を叩いた。
「チカ、苦しいですよ」
「っあぁ、悪ィ・・・」
元親は改めて彼女の顔をじっくりと見た。数年ぶりの彼女はあの頃よりさらに美しさに磨きをかけていた。自分よりも二つ歳が上の彼女は、今、まさに女の盛りとも言える年齢だろう。
「依・・・綺麗になったな」
「んなっ!!・・・チカはなんでいつもそういうことを恥ずかし気も無くっ、」
「本当にそう思ってるんだから、しょうがねェだろ?」
そう言ってにやにやと笑う元親に、依の頬は赤くなる。
「…チカは随分と男らしくなりましたね。あんなに可愛かったのに・・・」
「可愛い言うなって。それ、俺の黒歴史だから」
「おや、そうなんですか?ふふふー、チカの弱味ゲットですね」
今度は彼女の方がにまにまと笑う番だった。わなわな震える元親の頭を撫でる依。西海の鬼も形無しである。
お互い懐かしい人物との再会に和やかな空気が流れる。元親の船は沖に停めてあり、甲板には此方を仰ぎ見る男達が見えるが、小田原の地に上陸するつもりは無いようだ。それもこの再会が他意の無いものであると依に印象づけていた。
「…ていうか俺、迎えに来たつもりなんだが。どうする、依?」
そう、真剣な瞳で改まって言われると、依にもどうしていいのかわからない。長曾我部元親の話は風の噂に聞いていた。
あの頃約束した“強くなる”という事が漠然としている為何を指すのかは定かではないが、四国を統一した元親はあの頃に比べれば随分と“強く”なったのだろう。
「…チカは戦に出るようになったのですね」
「ん?・・・ああ、流れてくる民草達と、俺の下についてくれる荒くれ者達、それから四国を護るって腹括ったんだ。いつまでも引き込もっていられねぇだろ?」
ニッと笑う元親は随分と頼り甲斐のある男になったらしい。きっと四国でも随分と慕われているのだろう。
「・・・俺は、胸張ってお前に会いに行けるまでは会わないって決めてた。ここまで漕ぎ着けるの、大変だったんだぜ?」
「ふふ、そうですか。私も会いたかったですよ元親」
「依っ…!」
「・・・でも、まだ大人しくお嫁に行く事は出来ないんです。それに、私を連れて帰るにはたぶん、幾つかの関門が、ぉわっ、」
「はーい、そこまでー」
「なんだオメェっ!」
ゆらりと二人の足下、闇の中から現れた佐助が、元親の腕の中から依を掻っ攫う。ぎゅう、と包み込んだ腕に力を込めて、佐助はキッと元親を睨んだ。
「真田の忍だけど。・・・依様はあげないからね」
「なんだと?!」
バチバチと睨み合う両者に依は佐助の胸からプハッと顔を上げた。
「佐助!喧嘩しないの!」
「依様は黙ってなさいっ!」
またムギュッと佐助の胸に顔を押し当てられる。第一関門、真田十勇士の長・猿飛佐助の登場に依は苦笑を溢した。
佐助が依を胸に抱き込んだままだったのでお互い手を出せず、口撃のみが依の頭上で交わされる。最初は口を挟んだり止めようとしてみたのだが、何方も遠慮の無い様子に依彼女は疲れ果て、佐助の腕の中で大人しくしていることに甘んじる。
とそこに、馬の蹄の音が響いた。
「某は真田源次郎幸村!!姉上を狙う不届き者は成敗致すッ!!」
「・・・ぅおっ!!」
佐助と元親の間を馬に乗ったまま割くように通り抜けた幸村は、素早く飛び降りて元親にニ槍を繰り出す。受け止める元親も碇のような大槍で、ガキン、ガキィンと刃の交わる音が聞こえる。
「ゆき、っん?!」
流石に止めなければと開いた口は佐助に塞がれる。
「ダメだよ依様。これは男の戦いなんだから」
「?」
何のことやらと首を傾ける依に佐助は苦笑し、才蔵が参戦してニ対一となって疲れた元親が音を上げるまで、その戦いは続いた。
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「お疲れ様、チカちゃん」
「何だよあれ・・・お前の弟と忍、面倒くさすぎるだろ」
「ふふ。愛されてますからね、私」
微笑みながら歩いてきた依は、ハアと疲れた溜息を吐く元親の傍にしゃがみ込む。
「…諦めちゃいます?」
「んなワケ無ぇだろ!!」
首を傾けて問えば、即座に否定されるソレ。依は嬉しそうに笑って彼の頬に軽く口付けをすると、固まる元親を置いて幸村達のところへ戻って行った。
「〜ッッッ!!!」
何をされたのか遅れて理解した元親が、顔を真っ赤に染め上げるまであと少し。