09


依には最近、悩んでいる事がある。

「・・・私の風は、何処まで行けるんですかねえ」
「姉上?」
「依様?」

いつものように弁丸と佐助とのんびりしている時(才蔵は依が一人の時以外はあんまり出て来てくれない)。そよそよと流れる風を撫でながら、ポロリと、そんな疑問が口から漏れた。
思えば、京より南には行ったことが無かった。初めての遠出の時以外、風に誘われて何処へゆくのか分からないまま出掛ける事はなかったから。ここの辺りへ、と思ったところへ飛んでいくようになっていたから。
そう、気付いてしまったら、今のこの、鍛錬した自分の風を操る力で・・・何処まで行けるのか気になってしょうがなくなっていた。もしも遠出して力を使い果たして倒れてしまったら困る・・・でも、その辺りの境目も含めて知っておいて損は無いような・・・いやでも…

「姉上?」
「、はっ・・・ボーッとしていました、すみません弁丸」
「お疲れなのですか?弁の膝をお貸ししますぞ!」
「ふふ・・・大丈夫ですよ。今は眠くないので、夜に一緒に寝てくれた方が嬉しいです」
「あっ、姉上!!弁はもう9つになりましたのに!!」
「いいじゃありませんか。私にはいつまで経っても可愛い弟なのですから」

よしよし、と少し頬を染めて恥ずかしがる弁丸の頭を撫でる。傍の佐助が何とも言えない顔をしていたので、そちらも構うことにした。

「おや、佐助も一緒に寝たいですか?」
「んなっ!誰もそんなこと言ってないでしょーがっ!俺様、依様と同じ年ですからね?!」

突然矛先が向いて慌てる佐助に笑えば、赤くなった顔のまま睨まれる。この子も随分“我”が出るようになって、弁丸の前にもたくさん姿を現してくれるようになった。・・・というか、その方が弁丸の面倒を見やすいと気が付いた、とでも言うべきか。
何れにしても、こうやって佐助らしいところが見られる事は依にとっても喜ばしいことだ。

「ふふ、遠慮しなくてもいいのに」
「いやいや、謹んでご遠慮しますよ!!」





「・・・。父上、だからこういう話を持ってこないでくださいと何度申し上げれば…」
「いや、だがな依・・・」

この日、依は父に呼ばれていた。
自分の前に差し出される書状に目を通せば、もう何度目の事であろうか・・・縁談の申し込みである。毎回毎回断わっているのに、何度言えば分かってくれるのかとここ最近、この手の話を出されるとつい父が相手とはいえ喧嘩腰になってしまう。

「私が嫁ぐのは泰平の世になってからだと何度も申しておりますれば!!」
「そうは言ってもお主は女子なのだから!!」

何故、父は分かってくれないのだろう。
確かに世の女子は殆どが自分程の年齢で嫁いでいるけれど・・・別に、それだけが幸せの形では無いだろう。今しかできないことはまだ他に山のようにあるし・・・だいたい、見ず知らずの男の下へ嫁に出したいと考える父の心情が、依にはこれっぽっちも理解出来そうにない。

「女子だから何です!!だいたい、顔も知らない相手のところへ嫁げなどと!!!それが女の幸せですか?!・・・私の幸せを、勝手に決めてくださいますな!!」
「なっ、依ッ!!!」

バッと立ち上がって部屋を後にする。
何度言っても分かってくれない父は、そこまで自分を嫁に出したいのか。

「・・・そんなに私を真田から追い出したいのであれば、出て行きます」

依が部屋を出る際にポツリと呟いた言葉は、昌幸には聞こえなかった。





スパンッ

依は自室の襖を勢い良く開け放って、ズカズカと部屋へ入ると鉄扇と番傘を手にとった。

「依様!!!早まりまするな!!」

その背後へ、スッと降りてきたのは先程の会話も全て聞いていたであろう己の忍。

「才蔵、ちょっと出掛けるだけですから」
「しかし・・・」
「大丈夫です。いつもと同じですよ」

にこりと微笑んで、そう言われてしまえば才蔵にはもう彼女を止めることはできない。目を閉じて風を集める依の横に、静かに控えていた。
・・・だが、様子がおかしかった。
何時もよりも、もっと風を集める彼女。ここ最近で見た力以上を溜め込む彼女へ、一体何をする気なのかと焦りが生まれる。

「依様?!」

カッ!!!と開かれた瞳は黄金色。
やはり、いつもと同じでは無いではないかと、止めに入ろうとした才蔵の身体は風に押し返されて彼女まで届かない。

「すみません才蔵。ちょっと、今の自分が何処まで行けるのか知りたかったから。・・・何処へ行くかわかりません。まあ、飛んだ先で貴方へ文を書きますので」

それでは。

ヒュオォッ!!

彼女が初めて戦へ出た時の、その時よりももっと強力な風。
ここまで力を操れるようになっていたのかと驚愕すると共に、高く飛んで行ってしまった彼女のこと、どうすれば良いのかと頭を抱えた。

バタバタバタ…

「才蔵っ!!何があった?!」

突然の強風に、何があったのかと昌幸、弁丸、佐助を筆頭に真田の家臣達がぞろぞろと中庭へ集まってきた。呆然と空を見上げたままでいた娘の付き忍の何時もと違った様子に、昌幸はハッと気が付いて顔を青くした。

「まさか・・・」
「・・・・・依様が、家出されました」

ハハッ、と珍しくも力無く嘲笑を漏らした才蔵に、顔を真っ青にする昌幸に、その原因とことの重大さを理解した家臣達は、関係の良い近隣諸国へ連絡を取るべく慌ただしく動き出したのだった。



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