ひらけるその先

藤が高校を卒業した年、結局、小十郎は政宗のいる私立の学校に転勤した。記憶のないままでも、それでも政宗の側に居るのが自然なのだと吹っ切れたように語ったその様子はどこか晴々としていて、何だか羨ましく思ったものだ。そんな彼に藤が向こうでも剣道部の顧問をするのかと問えば、それはこちらの学校に申し訳が立たないからしないと言う。変なところで律儀な男、その性質はやはり中々変わりはしないのだろう。



さて、高校に入ってから幾人かのかつての馴染みと再会した訳だが、どんな運命の悪戯なのか、大学に進学すると、これまた知った顔が増えた。学部は違えど、銀髪の大男や赤髪の寡黙な男は同学年なようで、何度か学内で見かけたりもした。彼方から話しかけて来る様子は今のところ無いので、記憶があるのかどうかは分からない。学生以外では、越後の軍神と甲斐の虎が教授としてこの大学に勤めていた。信玄の事は高校時代から良くしてもらっていたので知っていたが、軍神までもが此処に居るということには驚いた。どうやら面白そうだからという理由で信玄はわざと藤や佐助には言わないでいたらしい。かすがもその思惑に乗って黙っていたのだから全く酷い話である。聞かれなかったから、とは歳に似合わずいつまでも悪戯好きな虎の言い訳であった。後は、

「北条先生」
「おお、藤か。いま茶を淹れるからのぅ」

彼女が進学先をこの大学に決めた一番の理由。それは、知り合いだった信玄が居るからということでは無く、このひとが此処に居る事を知ったからだった。かつてから父のように、祖父のように慕っていたひと。北条氏政、歴史学の世界では名の知れた学者であった。

「丁度、饅頭を貰ってのう。食べていくぢゃろ?」
「はい、頂きます」

この人は、彼女にとても良くしてくれる。それは、単に彼女がこの人を慕っているから。今も昔も変わらずに、尊敬できる人だと思っているから。だから、氏政が記憶を持っているのかいないのか、藤にとってそれはもう、どちらでも良いことだった。そんな風に考えられるようになったのは、高校でのことがあったからだろうし、それを支えてくれた人が居たからだろう。藤の心が、持って生まれた記憶相応に成長したというのもあるのかもしれない。どうしたって、どれほど遥か昔の記憶を持ったとしても、彼女の器はまだ二十にも満たない若者なのだ。そりゃあ、若者らしく、悩んだりもするのだろう。それが、彼女にはどこか可笑しく、面白くて。受け入れたと思っていた今生を、本当に受け入れられたのだと、気がついたのは最近だ。

「美味しい、」
「そうぢゃろ?ここのかりんとう饅頭が好きでのう。儂がこれが好きだと知っている者が、いつも買ってきてくれるんぢゃ」

にょほにょほと笑みを漏らす目の前のひとに、ただ胸が温かくなる。それは以前と同じようでいて、また違う関係だった。だって藤は、北条先生にとっては学生の一人に過ぎない。可愛がってもらっている自覚はあるが、それまで。大学教授にとって、藤一個人の存在など、流れてゆく時間の中で見てみれば通り過ぎてゆく中の一つでしかないだろう。けれども、それ以上を求める気などなかった。今のこの状態が、心地よいから。



「藤」

とある日の午後のこと。学食で席を取っていた藤は、目の前まで近寄ってきた人影に顔を上げると、そこには高校の同級生が立っていて。そしてその更に隣には、いつかの記憶の中にいた懐かしい銀髪が立っていた。

「ここ良いか?」
「ああ、どうぞ」

朗らかに微笑む男に倣うまでもなく、彼女も似たような笑顔を返して、目の前の席を勧めた。彼は、どちらなのだろう。目の前にいるさやかの様子からは判別がつきにくいが、これは、恐らく――

「久しぶりだな、元親」
「おう」

そうだな、とニカッと太陽のような笑みを見せた目の前の男が、嬉しそうに彼女を見返す。ただの男と女となった今、元親とは本当に、良い友人になれそうな気がすると感じた。この男の人柄が、藤にはいつでも気持ち良く見えた。その後、別の授業で遅れていた佐助もやって来て、"西海の鬼!"と思わず声を漏らし、元親とさやかに笑われていた。

「・・・なんかオメェ、柔らかくなったか?」

昼食後、授業があるというさやかと別れて、三人で学内を歩いていた時のこと。

「うん?」
「猿飛もそう思わねェか?」
「うーん・・・」

見下ろす元親に首を傾けて、藤は佐助を伺う。自分では自分の変化には気がつけないもの。でも佐助も首を傾けたので、まあ、それもそうかもなと頷いた。

「ずっと一緒にいるからな」
「ずっと一緒にいるからねぇ」
「ぶふっ、」

口にした言葉は見事に佐助とハモり、元親は可笑しくて堪らないというように吹き出した。



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