死神と太閤様

「秀吉殿、出掛けられるのですか?」
「・・・ああ、幸村か」

朝の日課である鍛錬を終えて歩いていると、普段の城にいる時の着物ではない、戦の時のような甲冑と袴を身に付けた彼女に出会った。何かあったのかと声をかけたのだが、彼女はそんなに深刻そうな様子でもなく、ふっと頬を緩めた。

「少し知り合いに会いに行くんだ。厄介な奴もいるから、一応装備をと思ってね」
「厄介な奴、でござるか・・・?」

余程刃を交えるのが好きな人物にでも会うのだろうか。丸腰でもそこいらの兵卒では相手にならないほどの強さを有する彼女が、きちんと武装して会いに行く人物とは。些か興味が湧いてうずうずとする幸村に気が付いた彼女は、供についてきても構わないと誘ってくれたのだが。

「ッ、どういうこと太閤サン」
「・・・っ、明智、光秀?!」
「おや、虎若子とその忍をお連れなのですか」
「いま預かってるんだよ」

見紛う事無き白く不気味なその人は、かの本能寺の地で倒した筈の人物であった。狼狽する幸村と佐助に構うことなく武器を構える二人は、言葉を交わしながらその刃を交えている。

「なんで明智光秀が生きてるんだ?!」
「ククク・・・貴女、説明しないで連れて来たのですか」
「ああ。その方が面白いだろう?」
「意地悪な方だ・・・」

本当に困った女だと、光秀は何時もなら彼女を見るだけで高ぶる加虐心と被虐心を潜め、鎌を背負い直した。

「もう良いのか?」
「興が冷めました」

きょとん、とした表情の彼女に光秀が近づくと、背後の二人がぴくりと動く。警戒心を剥き出しにして今にも主に仇為すものに飛び掛からんとする忠犬のように、ギラギラとした瞳で此方を見つめている。それに思わず再び擡げそうになった興奮を目聡く彼女に見咎められて、手を握り引き止められてしまった。そんな彼女の様子に二匹の犬は狼狽えており、これはこれで愉快だと光秀は表情を緩めた。





「…、おーい。生きてるか?」
「・・・」

小十郎から受けた刀傷と、本能寺に放たれた炎による火傷とで上手く動かない身体。このまま放置していれば死に至るだろう。むしろ、まだ息があった事が奇跡であると、光秀は横たわりながら呑気な声に意識を上げた。信長も討たれたであろう今、倒したいと昂ぶる相手も居らず、このまま死んでも構わないと考えていたところに、落ちたその声。無視を決め込んでいたかったのに、ぺしぺしと頬を叩く手のひらが鬱陶しくて眉根を寄せれば、「お、生きてるな」と言われてしまった。

「よっ・・・と、」

生きているかと問う割に、扱いはかなり雑であった。俵担ぎのように肩に担がれる格好に、腹が抉られる心地がする。

「流石に二人は、重いなあ・・・」

ぽつりと呟かれた声に、興味を持って果てしなく重い瞼を持ち上げた。するとなんということか。反対側の肩には、昨晩光秀が求めて止まなかった信長が担がれているではないか。

「・・・っ、ふふ、…ッ」

笑いが止まらない。だが、腹を震わせるたびに身体中に痛みが走る。途轍もなく愉快で、可笑しくて堪らないのに、笑うと痛いなんて。嗚呼、本当に、なんて、滑稽な。

「なんだ、起きたのか?笑う元気があるなら、自分で歩いてくんない?」
「それは・・・無理、ですね」
「そっか。じゃあ良い子にしてな」

先程は気が付かなかったが、声色と背丈からして、二人を運んでいるのはどうやら女のようである。身長が足りないのか、大きな身体の信長の脚などはズルズルと引き摺られているような状況であるが、それでも彼女の歩みは前へと進む。とんだ馬鹿力だと、考えているのが分かったのか呆れたような台詞が吐かれた。だが、自分で歩ける程の気力はやはり残っていないので、断れば存外優しげな声が返ってきて、それ以上二の句を継げなくなった。



どうやらまた気を失っていたようで、再び目覚めた時には硬い褥に寝かせられていた。様子を窺ってみると何処かの寺か何かのようで、かなりオンボロであったが辛うじて最低限のものはあるようだった。眠っている間から治療がされていたらしく、近くに先の女が膝をついていた。

「起きたのか」

手当ての手が止まり、顔を覗き込まれる。視界に入ったのは普通の細い女で、これの何処に二人の男を運ぶ力があったのかとぼんやりと考えた。見かけによらな過ぎると考えている光秀に、唐突に爆弾が落とされる。

「・・・お前さあ、意識が戻ったなら婆娑羅出してくんない?その方が回復早いだろ?」
「は、?」

目を覚ましたのだからと遠慮なく光秀の顔を冷たい手拭いでぬぐいながら(やはり少し雑である)、彼女は投げやりにもそんな風に言うので、声帯を震わせる事すら億劫だった光秀も流石に声を発した。何を言っているのか、この女は。

「私はすぐ回復できるからさ、私から吸いなよ」
「な、にを・・・?」
「ああ、安心しろよ。お前のダイスキな信長も、それから濃も市も生きてる。蘭丸は片倉に逃がされたようだったから此処には居ないけど、どっかで生きている筈だ」
「は・・・っ、?」

そんなこと何も思案していないのに、安心させるように髪を梳く指先に、紡がれる言葉。その後も彼女は、女二人はもう目を覚ましているだとか、信長の世話は濃がするって言って聞かないから任せただとか、市が引っ付いて離れないから仕事をさせているのだとか、聞いていないのに言葉を連ねて。幼子を宥めるような声色に、優しげに細められた瞳。戦や血や屍の中に生を見出し、他人を虐げること、他人を欺くことでこの戦国を生きて生き抜いてきた光秀とは果てしなく程遠い、真反対に位置するような女だと思った。どろりと腹の底で沸いたのは、殺意。

「おっと。・・・わたしを殺したいのなら、もう少し回復してからにしなよ。今のお前じゃ、とても相手にならない」

喉元を絞められるように、抑え付けられた体制から身動きが取れない。光秀が殺意を向けた途端、手のひらを返すというよりも余程明確に、先とは一転した強い眼力を見せつける。己の一挙一動を見逃さんと爛々と輝いて牙を剥く獣。威圧だけで他人の動きを止められる者を、光秀は信長以外に初めて見た。

心が震える。
嗚呼、この女を殺したい。

「早く回復させることだね」
「・・・わかりました」

さっきまでの殺意とは違う、興味と好奇心と欲望に塗れた殺意を抱きながら、では遠慮なくと溢れ出させる闇の力。側に座す彼女に張り巡らせ、その装いを塗り潰すように闇を絡みつかせて。回復していく傷に、軽くなっていく身体。こんなに吸い取っては倒れてしまうかもしれないのに、止める事も逃げる事もしないから、彼女の強さを見極める意味も込めて無遠慮に傷を癒した。殆んど死にかけだった傷は塞がって、痛みも無くなったところで発動を止めた。

「うん、これくらいなら、後は安静にしてれば良いな」
「・・・貴女、化け物ですか」

本当に、遠慮せずに吸ったのだ。並みの人間ならそれこそ死んでもおかしくないくらい。なのに彼女はぴんぴんしていて、光秀の塞がった傷口を眺める始末。

「ふふ、そんなことないよ。人間だ・・・はあー疲れた、お前、ほんとに遠慮しないんだもんなあ。ちょっと寝る。お前もまだ休まないと駄目だよ」

だがやはり疲れはあったようで、光秀の褥の横に寝転んだ彼女は、瞬く間に眠りに落ちた。なんて無防備な、無警戒な様だろうか。ここにいるのは他人から忌み嫌われ、死神と呼ばれる狂った男であると云うのに。静かに寝息を立てる彼女を覗きこむと、額には汗が浮かんでおり、指先は冷え切っていた。やはり、あれだけの生気を吸われて平気なはずは無かったようだ。それでも光秀の傷が治ったか確認したのは、彼女の意地か。

「…ほんとうに、おかしなひとですね」

つい先ほど、信長に相対した時並みの殺意を彼女に抱いたというのに、それはすっかりと形を顰めて。こんなに無防備な女を殺したところで面白くもなんともないと、言い訳を口にして光秀も彼女の隣で横になった。



「信長は隠居するって話だけど、お前はどうすんの」

あれから数日経っていた。彼女の生気を鱈腹吸った光秀はもうすっかり傷も癒えていたけれど、何となくこの場に留まっていたのは彼を現世に結び付けるものが此処にあるからだったのだが。信長は、もう、魔王でなくなってしまった。
独眼竜と甲斐の虎若子に敗れたこと、そして彼女に命を救われてしまったこと、信長が密やかに大切に守っていた、濃や蘭丸、市も守られたこと、そして彼女の意思と志に、好きにしてみるが良いと委ねたこと。魔王は既に魔王に非ず、光秀の殺したかった絶対的な強さももうそこには無い。気の抜けてしまうのも、仕方のないことだろう。

「光秀、わたしと殺し合いをしようか」
「・・・貴女と、?」

細腕には不釣り合いの大剣が振り下ろされる。すれすれを通り過ぎた刀に、光秀の頬が僅かに斬れる。それは刀先が掠めたのではなく、風圧による刃だった。強者の威圧を発しながら、彼女は不敵に微笑んだ。

「まだ名乗っていなかったね。・・・我が名は豊臣秀吉。この戦国を終わらせる女だ。かかって来い、お前の求めるものをくれてやる」

静まり返っていた心の蔵が震え、血が煮えたぎる。高揚感が光秀を包み込み、昂ぶる興奮のまま背負った鎌を振りかぶった。

「いいでしょう、貴女は私が殺します」

くすり、と笑った彼女に、そうしてこれから戯れのように、何度も何度も挑むこととなる。





偶に訪れる彼女と、刃を交えて遊ぶのが光秀の愉しみとなった。挑む度に返り討ちにされ、背後も寝込みも襲ってみたが勝てた試しはない。けれどそれが楽しくて愉しくて堪らないのだ。普段は信長や濃、蘭丸を揶揄いながら割合い穏やかにに過ごしていながらも、その狂気だけは前のまま・・・いや、変わらずというのは嘘か。少し、丸くなったかもしれないが。

「光秀、最近小早川へ行って遊んでいるそうだな」
「なんのことでしょう?私はいつも此処にいますが」
「・・・別に良いけど、ほどほどにしておけよ。あまり度が過ぎると、お仕置きしなくちゃならなくなる」
「お仕置き・・・それは、甘美な響きですね」
「お前へのお仕置きは、遊んであげなくなるとかそんなものになるけどね」
「・・・そうですか。それは、少し控えた方がよさそうです」

彼女に手を引かれたまま、屋敷の奥へと進んで行く。後ろに狼狽えたまま付いてくる虎若子とその忍の気配があって、光秀がにんまりと笑って振り向くと気持ち悪いと言わんばかりの表情で返された。嗚呼、愉快だ。

「幸村、佐助。此処から先のものを見ても、驚いて大きな声を出さないでくれよ」
「承知・・・致した、」
「だからどういうこと太閤サン、あ、ちょっと!」

辿り着いた部屋の前、ひとの気配を感じるその間の襖を開ける前に、彼女は二人に釘を刺す。いまいち理解出来ていないことは分かっておろうに、気にすることなく開いたその中には。

「や。元気か信長」
「山猿か・・・特に変わらぬ」
「秀吉、わざわざその変態を連れて来なくても良いのよ」

信長と濃姫。片方は幸村自身が倒した筈のそのひとが、過去幸村が知る姿とは一線を画した平凡さでそこへ居た。

20170914修正



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