なむし、ちょうとなる

「宗三兄様・・・!」

お小夜の声。
悲しいのを我慢するような、苦しいのを誤魔化すような、そんな声に目を覚まさなければと意識を持ち上げる。泣かないで、傷付かないで、隠さないで。そして、僕を守ったりなんてしないでほしい  眠りの淵から戻った場所は、今までの空気とはまるで別の、酷く息のし易い場所だった。

「兄様、」

すぐそばで膝をつく小夜へ視線をやると、彼はほっと安堵の息を吐き出して、浮かしかけていた腰を下ろした。ちょこりと正座をして座るその身の傷が治っている。朦朧としながらも感じていたこの霊力の主に手入れをされたのだろうその様子と、少し離れた背後に控える存在を視界に収め、なるほどこの清らかさは彼女のものかと納得をする。小夜が害されないのであれば、宗三にとって大抵のことは二の次だった。ホッと息を吐き出せば、彼女はこちらへ視線を向けた後、静かに腰を上げた。

「何か必要なものがあったらまた声を掛けて。あと、厨に握り飯と汁物があるから、食べれそうだったら食べると良いよ」

それじゃあ、と惜しむ間も無く出て行ってしまった彼女を追いかけるように、ハッと席を立った小夜が駆け出す。

「あの、ありがとうッ」

彼には珍しい、その少し腹に力を入れたような声に、彼女が微笑ましげに笑う声が聞こえた。彼女が笑うその気配を、空気を、どこか懐かしく思うのは。

「まさか  数百の時を超えて、前の主にまた見える機会があるなんて、思わないじゃないですか、」

あの日あの場所で焼けて終わったはずだった宗三左文字を、掬い上げた手のひら。天下人の証だと大事に仕舞い込むだけの他の持ち主達とは毛色の違った、敬服するべき上人を確かに懐かしんでいた、慈しむような瞳。忘れるはずのない、銘をなぞる優しい指先の感覚を、時を越えて再びまざまざと目の前に突きつけられて、惹かれるなという方がきっと無理な話だと、宗三はその悩ましげな口元から思わず溜息を溢した。



「お小夜はなぜ、あのひとを信用しようと思ったんです」

傷が癒え、動けるようになってからも部屋から出る事をしない宗三に、小夜は特に何かを言う事はなく、身の回りの世話を甲斐甲斐しく焼いてくれていた。ぼんやりと部屋の中から、小夜が開けていくようになった障子戸に切り取られた額縁の外を見やる。徐々に彩りを増していく景色の中に、時折うっすらと、あのひとの霊力の流れを感じる。時折聞こえる粟田口の楽しげな声。風に乗って、腹の底が切なくなるような香りが漂って来る日もある。それらに誘われても良いものか悩む心を、宗三はここ数日持て余していた。
そんな彼の口から突然飛び出た言葉に、小夜はあまり驚いた顔もせずに、暫く考えてから口を開いた。

「……最初は、薬研藤四郎を宥めていたあのひとを見て、懐刀としての在り方を思い出して、あのひとに興味を持ったんだ」

ポツポツと、小夜は少しずつ、考えながら言葉を落とす。

「粟田口が手入れを受けたのを見て、あのひとの行動を観察するようになって  ねぇ、兄様はあの、蔵のことを知ってる?」

  蔵。
それはこの本丸において、恐ろしいものの象徴でもあった。この本丸の審神者は、幾つかある蔵の一つ、あまり使っていない一番奥に、気に入らない刀剣を閉じ込めては放置したり、"躾"と称して痛め付けたり、時には  そこで、物言わぬようにされたものらは、決して少なくない。お小夜だって  このお小夜は、一体何振り目の、待て、小夜が、蔵に  

「兄様!」

ハッ
揺すり起こされるようにして顔を上げると、心配そうな顔をした小夜がすぐそばに立っていた。

「お小夜・・・」

そっとその小さな身体を抱き寄せると、小夜は宗三に身を任せて腕の中に収まった。

「あそこはね、もう怖いところじゃないんだ。あのひとが、そうしてくれた  

そうして、彼はまたポツポツと語り出した。

あのひと、たまに何かに気がついたように顔を上げて、茂みの中だとか、空部屋の押入れの隅だとかで何か拾うんだ。大事そうに抱えるから、一体何をするのかと思って、後をつけた。奥の蔵に入っていくのが見えて、恐ろしかったけど  穢れがすっきりなくなっていたから、もしかしてと思って、そっと覗いてみた。蔵の中、信じられないほど綺麗になってて、奥の棚に、きちんとそれぞれ箱に収められるようにして、折れた刀剣が並べられていた。

投げ捨てられ、放置され、見失ってしまった欠片達を、そうやって見つける度にそっと拾い上げて、丁寧にそれぞれ分けられて。弔うように、悼むように、偲ぶように視線を伏せるその後ろ姿を見て、それでもう、あのひとに対する不安は全部無くなってしまった。そう言って、小夜は宗三の背に回した腕にぎゅっと力を込めた。

「お小夜が良いなら、僕は、あのひとを  

そう言って宗三が続けた言葉に、小夜は小さく頷いてみせた。



それから、宗三は小夜に手を引かれながら、随分と久しぶりに部屋の外へ足を踏み出した。
彼女の清い霊力の満ちた空気が身体全部を包み込み、心地良さにあんなに重かった足取りも軽くなっていく。恐怖と絶望の象徴だった奥の蔵へも、思ったよりも簡単に足を踏み入れることができたのは、その場所がかつてとは明らかに空気も何もかもが違っていたからだろうか。綺麗に整えられた蔵の中、棺のように並ぶ箱の中から、馴染みの気配を探り出して  折れてしまった「小夜左文字」へ、二人揃ってそっと手を合わせた。嗚呼漸く、あのこを弔ってあげることができた。
そうして暫く目を閉じてから、もういいのと伺う小夜へと微笑んで、それから今度は、宗三の方が小夜の手を引くようにして、そうして二人は彼女の元を訪れた。

「宗三左文字と言います。貴方も、天下人の象徴を侍らせたいのですか……?」
「僕は小夜左文字。あなたは……誰かに復習を望むのか……?」

部屋へやってくるなり、特に説明も無しに口上を述べた二人を前に、彼女はきょとりと瞳を丸めたあと、柔らかに微笑んだ。

「私は天下獲りも復讐も、もう済ませてしまっているけれど・・・お前達が望むことなら、助力は惜しまない。よろしく頼むよ」

そのカラッとした、けれど何もかもをも包み込んでしまうような態度に、形は違えどやはりその魂は変わらないのだと、宗三は契約が成って繋がりの深くなったその身で理解する。

「僕はお小夜が害されないのであれば何の文句もありません。そのためならば貴方に侍るのも悪くはないですが…傍に居たくて堪らないものが既にいるみたいですし、必要な時に呼んでくれたらいいですよ」

視界の隅にちらちらと映る水色へ視線を流しながらそう言えば、目の前の彼女はその色彩を同じように横目に捉えながら、楽しげにくすくすと喉を震わせた。ずっと鬱々として、絶望した顔ばかりを浮かべてきた彼ですら、彼女の前ではこうなってしまうのだ。それがどれほど凄いことなのか、目の前のこの人は真に理解してはいないだろう。そのままでいて欲しいような気もする。

「小夜にはいつもよく助けてもらっているよ。畑がだいぶ整ったのも、粟田口の短刀達と小夜が率先して手伝ってくれたから。最近は食事の品数も増えてきただろう?」
「そうですね。ぼくもそろそろ、籠の鳥はやめて雑事を手伝う事にします」
「助かるよ、ありがとう。小夜も、いつもありがとうな」
「……やりたくてやってるから、」

小夜が刺々しさの欠片もなく、目の前のひとに気を許していること。関わり合いを疎むことなくそれを受け入れられ、不器用ながらも楽しそうにしていること。それらがあるのであれば、宗三にとって、他は瑣末な事。
  あとは昔馴染みのおかしな方向に傾倒する堅物が、この目の前のひとを早く受け入れられるようになれば、ほんとうに、宗三にもう心配事は一つもないのに。



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