五段重とほうじ茶

寮が出来たのと同じくして、この一軒家が出来たことを知ってはいた。知ってはいたけれど、訪れたことは今日まで一度もなかった。此処がカフェであるということと、そういうきらきらしい場所は自分の訪れるべき場所ではないということと、そういう色々が相まって、今日まで近寄って来なかったのだ。だというのにも関わらず。

『雄英になんや茶店できたやろ。そこのヤツ知り合いでなあ。明日そこ寄ってから来てや〜!日和に話は通しとく!』

そんなことをファットガム  インターン先に昨日電話で捲し立てられて、仕方なく行くことになってしまった。日和とは誰だ、とか、あそこにいるのはお天気ヒーロー・ミティアルではないのか、とか、ミティアルは本名は日和というのだろうかとか、親しいのかとか、疑問は尽きない。そもそも初対面というのかまずハードルが高いのに、ファットは俺のことを分かっているようでまるで分かっていないのかもしれない。幸いまだ朝も早い時間だからか、人は殆んどいなかった。良かった、これで混み合ってでもいたら諦めて帰るところだった。コーヒーのテイクアウトカップを片手に生徒が一人出てきたタイミングで、早足で店の中へ滑り込んだ。

カラン、と鳴った音に、カウンターの中の背中がこちらへ振り向いた。緑の長髪を横に流して編み込んでいるその人は、俺の姿を認めるとゆるりと視線を和らげた。

「おはよう。此処で飲んでいく?それともテイクアウトが良いかな」
「あ、あ、あ、あの、俺は・・・」

その眩しさたるや。そしてコーヒーを飲みに来た訳ではない俺は咄嗟の受け答えも出来ず、吃りながらくるりと背中を向けてしまう。なんと言ったら良いものか、話を通しておくと言ったのに、だから嫌だったんだ…などと頭の中をぐるぐるとしていた俺の隣に、いつの間にかカウンターの向こうにいたはずの彼は立っていた。

「ごめんね、君が環くんかな。ファットガムのおつかいで来てくれたんだよね、ありがとう。これが頼まれてたやつだから、面倒だと思うけどよろしく頼むね」

そう言ってこちらを軽く覗き込むようにしてそう言った彼は、俺の不躾な態度に眉根を寄せるでもなく、優しげな表情を崩さなかった。渡された四角い縦長の風呂敷包を受け取って、俺はサッと視線を逸らしてコクリと頷いた。

「環くんも、良かったらまた来てね。お礼に何かご馳走するから」

そう言って黙ったままの俺を店先まで送ってくれた彼は、こんな俺にもその柔らかな微笑みを注いでくれる、春の日差しのような人だと思った。



「環ィ!!おつかいありがとうな〜〜!!」

ファットに彼から受け取った包みを渡すと、いそいそと目の前で風呂敷を解いて中身を広げ始めたので、俺は何となくそれをそのまま見守った。中身は予想していた通りに重箱だったらしく、5段分のそれは色とりどりの野菜が使われた惣菜が詰め込まれている。そのうち1段は、稲荷寿司と俵型のおにぎりになっていた。

「いっただっきまーす」

酷く上機嫌のファットが、たこ焼き以外を食べているところを久方ぶりに見た気がする。いつもそのあまりの偏食具合に栄養バランスの偏りを心配している身としては、この姿は意外だし、美味しそうに食べている様子をみれば腹も減る。

「日和なんか言とった?」
「面倒だけど頼む、と言っていた」
「そんだけかいな!あの優男、猫かぶってからに・・・」

もちゃもちゃと口を動かしながら眉根を寄せるファットは、そんなことを口にしながらも箸は忙しなく動いているので、食事はとても美味しいのだろう。包みの中に一緒に入っていたらしい水筒を取り出してお茶を注ぐ。中にはほうじ茶が入っていたらしい。一口飲んで、その香ばしい香りにファットはほうっと息を吐き出した。

「日和はなあ、同期やねん。アイツも色々あるみたいやけど良いヤツやから、仲良うしたってや」

口の端に食べカスをつけながらそう言って笑ったファットに、俺は素直に頷いておいた。あの場所はさておき、あの人は眩しいけれどとても良い人で、もう一度話してみたい、と思ったのは確かだったのだから。



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