冰糖雪梨のスープ

目蓋を下ろしているのに、頭の奥がぐらぐらと揺れているような感覚がする。ズキンズキンと疼く痛みと、背筋が震えるようなゾクゾクとした寒さに何が起こっているのかと目蓋を持ち上げ身体を起こそうとするが、天井がぐるりと回るような気持ち悪さを感じ、崩れるように布団に倒れ込んだ。



「ん…」

額に浮かぶ汗をそっと拭われているような感触と、優しく名を呼ぶ声にゆらりと夢現を抜け出した。目蓋を持ち上げると、どうしてか潤んでいる視界の向こう側で、緑色の髪をした人が天井を覆うようにしてこちらを覗き込んでいた。一瞬、塩崎かとも思ったが、何度か瞬きを繰り返し、よく見てみれば、それは男の人だとすぐにわかった。

「だれ・・・?」
「ミティアルだよ。喫茶店の…わかるかな」

冷たい手のひらが、そっと額に触れるのがわかり、思わず目を瞑りながら、誰かわからないその人に問いかけた。喫茶店の、と言われて、一度だけ教室に挨拶に来た彼の顔を思い出す。

「薬を持ってきたんだけど…飲めるかな」
「…はい、」

なんでミティアルがここにいるんだろ、という疑問は、この時は全く浮かんでこなかった。彼に言われるがまま返事をして、身体を起こそうとしたところで、ちょっとごめんねと、肩の下に腕を差し込むようにして強い力で上半身を抱き起こされて、彼は俺をベッドヘッドに凭れるようにして、枕を調節してくれた。

「食欲はある?」

そう聞かれて、ゆっくりと首を振る。先ほどから目を開けているのも気持ちが悪くて、物を食べられる気は欠片もしなかった。そんな俺の反応に彼は困ったように苦笑をして、仕方がないなと言いながら、口元にストローを持ってきてくれた。

「すこし水分だけでもとっておこうか」

言われるがまま、こくりとひと口飲み込む。冷たいものが身体の中を通っていくのが気持ち良い。

「はい、薬」

リカバリーガールから預かってきたから、と手のひらに乗せられた錠剤を口の中に二粒放り込んで、またストローを吸い上げると、よく出来ましたと言わんばかりに頭に手が乗せられてそっと撫でられた。俺の体調を気遣ってか、触れるか触れないかくらいの、壊れ物でも扱うかのような優しい手のひら。冷たいと感じるその温度に、ああ熱があるのかと遅れて理解をした。また身体を横たえるのを手伝ってから、彼は枕元に座り込んで、こちらを覗き込む。

「少し眠ればすぐ良くなるよ」

安心させるようにほほえんで、胸元まで布団をかけてくれるその手に、気が付けば、気怠さを押してそっと手を伸ばしていた。

「あの、」
「うん?」

力の入らない手の握力など、ないようなものだっただろうに、彼は俺のその手をそっと握り返すと、浮かせようとしていた腰をまた落ち着けるように、枕元に座り込んだ。慈しみに満ちた柔らかな視線に、つい、願望が口をつく。

「て・・・にぎってても、いいですか」
「……うん。ずっとここにいるから、ゆっくり眠りな」

熱があんまり高かったから。彼があまりにも優しかったから。
体調の悪さから来る心細さに耐えられなくなって、俺はそんな世迷い言を口にしてしまったが  彼は嫌そうな顔もせず、くすりと笑って、俺を安心させるように、優しく、殊更甘く、ここにいるよと、言ってくれた。



「鱗ーッ。生きてるかぁー?」

昼休み。
今朝突然熱を出した鱗の見舞いに、いつものメンバーから代表して円場が差し入れ片手に彼の部屋を訪れた。ブラキン先生が何とかするとは言っていたものの、初めての寮生活に風邪を引いて一人きりは可哀想だし、具合によってはそろそろ腹も減るだろう。慣れたようにノックをした後返事を待たずに扉を開けると、その先には予想だにしない人がもう一人、鱗の枕元で静かに座っていた。

「えっ」

シィー。その人は、驚いて小さく声を上げた円場の方を見ると、口元に人差し指を立てて静かにするようジェスチャーする。慌てて自分の口を押さえると、ガサリと差し入れのビニール袋が揺れた。

(なんでミティアルがここに?)

その人は、全寮制が始まるのと同時に学校の敷地内にできた、喫茶店のマスターだった。いや、ヒーローなのは知ってはいるけれど。顔だってテレビで何度も見たことがある、災害救助が得意のお天気ヒーロー。そんな彼がどうしてここにと、疑問符を多分に浮かべながら、手招かれるままそろりと寄っていって、小声で小さく問い掛けると、彼は膝の上に置いていたタブレットを床に下ろしながら、円場の様子にクスリと笑って、鱗の方をちらりと横目で確認するとベッドの上へそっと手を伸ばした。

「ブラドに頼まれたんだよ」

ミティアルが小声で簡単に説明する言葉を聞きながら、彼の動きにつられるように鱗へと視線を向けた。額に汗を浮かばせながら、浅い呼吸を繰り返す姿は見るからに熱が高そうで、けれど、ミティアルにそれを拭われるとふっと表情を緩めたように見えた。こうして面倒を見てくれる人がいて良かったと安堵の息を漏らす。そのままなんとなしにミティアルの手の動きを視線で追っていると、彼はずっとベッドの上に置いたままだった左手の元へ右手を運び、そこをよく見てみると、枕元、鱗の手がミティアルの左手を掴んでいた事に気が付いて、円場は驚愕に普段から丸い瞳を更に丸めるように見開いた。

「円場くんが来てくれてちょうど良かった。少し外したいから、彼のこと見ててくれないかな」
「へあっ!・・・あ、はい」

驚いたまま、間抜けな返事を返した円場を気にする事なく、ミティアルは鱗の手から自分の手をそっと引き抜いて、音を立てないようにしながら部屋から出て行った。その一部始終を固まったままただ見つめていた円場を、ベッドの上から聞こえたコホ、と小さく咳き込む音が現実に引き戻す。

「…つぶらば?」
「お…おぉう鱗!大丈夫か!?」

慌てて枕元に近寄れば、鱗はわずかに頭を持ち上げてうろうろと視線を彷徨わせ、それから小さく、円場に問いかけた。

「ミティアルは、?」

その余りに率直な様子に驚きを感じながら、少し外すって言ってたよと伝えれば、鱗はそうか、と小さく呟いて目蓋を伏せた。その様があんまり心細そうで、円場はどうにかしてやれないものかと唇を噛む。少しでも元気付けられればと持ってきた差し入れを一つ一つ披露していると、カチャリと小さく音が鳴って、部屋のドアが静かに開いた。
その音に、鱗がパッと視線をそちらへ走らせる。

「ああ、鱗くん起きたんだ。体調はどうかな?」

鱗の様子を見てホッと息をついたミティアルは、湯気のたつトレーを先ほどまで自分の座っていた椅子の上に置きながら、枕元にそっと膝をついた。円場は邪魔にならないように一歩後ろへ下がった。

「熱はさっきよりは…あの、」
「うん、まだ少し熱いけど…だいぶ下がってきたね。お粥持ってきたんだけど、食べられるかな」
「はい…」

身体を起こした鱗の顔を覗き込みながら、ミティアルがその額に手のひらを当て、そのまま手の甲で目元、頬、と下がっていく。それに気持ちよさそうに瞳を細める鱗がされるがままで、何だか見てはいけないものを見ているような気になって、円場はそっと視線を逸らした。なんだか、すごくこそばゆい。鱗は体調が悪いのだし、ミティアルは看病をしているのだから何もやましいことなどないのに、どうして平静に見つめていられないんだろう。落ち着かずにうろうろと視線を彷徨わせていると、鱗にお粥を取り分けたお椀を持たせたミティアルが円場に振り返り、鱗の着替えの場所は分かるかと尋ねてきた。落ち着かなかった円場は、よっしゃやる事が出来たと言わんばかりに、たぶんこの辺だろうと適当に引き出しを漁って着替えを取り出した。そんな円場に彼は苦笑しながらありがとう、とそれを受け取っていた。
その間に、鱗は小さなお椀一杯分だけお粥を食べて、ごちそうさまでした、と呟いた。そしてトレーに残っている湯呑みに視線を落として、ミティアルの服をちょんちょん、と摘んだ。ミティアルに鱗の着替えを渡すときにその瞬間を見てしまった円場は、なんだかもういろいろとキャパオーバーで目元に手を置いて天を仰いだ。

「それ、」
「ん?ああ、これね。少し喉が痛そうだったから、梨のスープを作ってみたんだよ。飲む?」

こくり、と素直に頷いて湯呑みを受け取る鱗は、もうなんだか、小さな子供のようだった。湯呑みから香る甘い匂いにそっと鼻を近付けると、鱗はホッと息を吐き出した。

「なんか、懐かしい匂いがする…」
「ナツメとクコの実と、蜂蜜が入ってるよ。薬膳風にね」

こくりと飲み干して、ふぅ、と表情を緩める鱗の様子にミティアルも優しげに瞳を細める。何もかも甘やかされている目の前の様子に円場がもうそろそろ砂糖でも生産できそうな気がしてきたと現実逃避をしていると、ミティアルはまた苦笑をしながら、こちらへ振り向いた。

「円場くん、ごめんね。ちょっと鱗くん着替えてもらうから、お見舞いまた後でもいいかな」
「あ、はい!じゃ、じゃあ俺これ持って行っておきますよ!」
「わっ、ごめん…ありがとうね」

その言葉に、よし来たとばかりに円場はバタバタと部屋を出ようとする。ついでに食事の終わったトレーを引き受ければ、ありがとうと優しく微笑まれて、頭をポンポンと撫でられた。両手が塞がっているので抵抗もできず、カチリと固まる。いや、抵抗って、そんなものは出来てもしないだろうけれど。

「い、いえ!!ミティアルは鱗の看病お願いシャス!!鱗、お大事にな!!」

動揺を隠すように吐き出した声は、病人の前では少し大きいものだったかもしれないと後程反省したのだけれど  仕方がないではないか、円場ももう、色々と限界だったのだ。なんだあれ!!!と叫びたいのを堪えて、トレーをキッチンに戻すと円場は走った。場の空気に当てられて長居をしてしまったが、早く行かねば次の授業に遅刻してしまう。決して、あのぐすぐずに甘やかされるような空気に、鱗のことを羨ましく思った訳ではない。決して。

「あ、円場。鱗大丈夫だった?」
「・・・」
「円場?」

教室に戻ると、回原と泡瀬が円場のことを待っていた。平常心、と唱えつつ席に戻るも、当たり前に鱗のことを問われてしまえば、思い出すのはあの優しいを致死量くらい詰め込んだミティアルの様子と、それに存分に頼って甘えていた、普段見せることのない鱗の様子で。

「ミティアルに、めちゃくちゃ甘やかされてた…!」
「は、?」
「ミティアル?」
「やべぇ…俺も風邪引きたい…」
「何言ってんの円場、大丈夫?」
「風邪もらってきたか?」

最後のあの、頭ポンポンをうっかり思い出してしまい、円場は熱い顔を両手で覆うと机に突っ伏して、次の授業の先生が来るまで周りのことも忘れて一人唸っていた。



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