降谷さんが嫉妬

その日、いつものように千歳の部屋に帰ってきた降谷は、どことなくある違和感にまず、首を傾けた。

「おかえりなさい、零さん」
「ただいま千歳くん・・・?」

いつもの通り、玄関で出迎えてくれる彼は降谷の手から鞄を取り上げてリビングのソファの横に置く。部屋の奥、壁際のすっからかんだった棚には物が並んでいて、下部には本が詰め込まれている。物置になっていたテレビボードは、漸くその役目を果たしたらしかった。

「あれ、段ボール片付けたのか」
「ああ、そうそう。今日ね…」

そう、彼が言いかけた時、カーテンに僅かに残る香りが降谷の鼻に引っかかった。特徴的な、煙草の香り。千歳は、煙草は吸わない。嗅いだことのある、これは、

「赤井・・・?」
「真純ちゃんと秀一さんが来てね、」

千歳がそう続けたのと、降谷が答えを弾き出したのとは同時だった。二人で顔を見合わせて、相手の言葉に瞳を見開く。

「“秀一さん”・・・?!」

聞きなれない呼び名に、降谷が狼狽える。千歳は首を傾けるばかりで、何がおかしいのかと分かっていない様子であった。

「あか、赤井とは、どういう?!」
「え、お隣さん、だけど…」
「何故“只の”お隣さんを名前呼びなんだ?!」
「え、だって兄妹だし、どっちも赤井さんになっちゃうから…」

困惑気味の千歳に、配慮できる余裕は降谷には無かった。goddamnガッデム!!頭を抱えんばかりの心境である。あの兄妹は家の事情で苗字が違う。それをきちんと教えていればあの男の名前を彼が呼ぶ事も無かっただろうに。察するに、最初から名前呼びだったのだろう。降谷ですら、随分と親しくなってから彼に下の名前で呼んでほしいとお願いして呼び名を改めてもらったのに!!

「・・・零さん、?」

頭を抱えてソファに座り込んでしまった降谷は、それきり何やらブツブツと独り言を繰り返すだけで反応が無くなってしまった。何か嫌な事があって、疲れているのだろうか。千歳は彼の隣に腰を下ろすと、俯き加減のサラサラの髪を撫でた。金に近い茶髪は、光の当たり加減で琥珀のような深味を見せたり、透けるように煌めいたりする。一緒に眠る事も、買い物に行く事も何度かあった中で、太陽の下でいつも違う輝きを見せる彼の髪が千歳は一等好きだった。

「えい」
「・・・っ?!」

我を忘れるほど疲れているのなら、お風呂やご飯の前に少しゆっくりしたら良い。ころん、と彼の身体を横に倒して、自分の膝に頭を乗せてしまう。独り言が止んで、驚いて固まっている降谷にくすくすと笑う。

「零さん、おつかれさま」

顔にかかった髪を払って、見開いたまま見上げてくる瞳に微笑んだ。ああもう、どうして彼はこんなに庇護欲を擽るのだろうか。

「〜っっっ、」

茫然としていた降谷が、小さく口を開いたと思ったら声にはならない声が漏れ、いきなり顔を真っ赤にして起き上がる。そして勢いよく此方に振り返った。

「もうっ!!なんで千歳くんはそんなに優しいんですか?!僕じゃなくても勘違いしますよ?!」

口調が敬語に戻ってしまっている。彼は焦ったり不意を突かれたりするとよく敬語になるのだ。言葉を捲し立てる時は特に。普段のクールな様子は形を顰め、面立ちに合った幼さが全面に出てくる。そんな様子は、もう慣れてしまった千歳には可愛らしいとしか映らない。
勘違いする、と彼は言ったが。何を勘違いするのだろうか。優しくされると…?ということは、千歳が降谷のことを大切に思っているように勘違いする、ということか。けれど、普段から傍にいてくれる、一緒に時間を過ごしてくれるだけで嬉しいと伝えているし、既に充分大切な人になってしまった彼へ、随分と前から態度でも示しているつもりだ。それは降谷も理解しているはず・・・ということは、それ以上、ということか。それ以上とは、つまり、

「俺が、零さんのこと、好きだって・・・?」
「そうですよ!!これは勘違いしてもしょうがないでしょう、君は無防備が過ぎるッ!!」

ぼんやりと零れ落ちた言葉はすかさず拾われる。感情剥き出しになっている降谷は、もう自分が何を言っているのかさっぱり分かっていないようだった。そして、千歳の方も、言葉にしたことで、じわじわと己の感情を自覚する。

俺が、零さんのことを、好き。

考えてみれば、こんなに誰かと時間を共有したことも、何かにつけて、誰かのことを思い浮かべるのも、会えて嬉しいと、一緒に居て幸せだと思うのも、はじめてのことで。

「・・・そっか、俺、零さんのこと、好きなんだね・・・」

漸く、理解した。理解したことで、胸の内を暴れ回っていたものが顔まで上がってきて、千歳は頬が熱くなったのを自覚する。ああ、いま絶対に顔が赤い。両手で顔を覆うようにして膝を抱え、縮こまった千歳に降谷はやっと理性を取り戻した。

「え、千歳くん・・・いま、なんて・・・?」

顔を隠してしまった彼の、表情は伺えない。聞き間違いでなければ、いま、彼は、

「零さんのことが、好きだって言ったの。だから、勘違いじゃないよ・・・」

覆った指の間から、ちらりと瞳を覗かせて。耳まで赤いのでそれはもう隠している意味は無く、恥ずかし気に顔の熱を抑えようと躍起になっている彼の、なんと愛しいことか。しかも、なんということだろう。彼が、降谷のことを、好きだって?

「千歳、」
「っ、なあに」

彼の両手をそっと下ろして、指を絡めて、瞳をきちんと見つめて、真正面から。

「すきです、」

僅かに見開かれた瞳が、少しだけ潤む。むずむずと動いた唇は、口角を上げて解けた。

「・・・おれも」

恥ずかし気に、けれど幸せそうに甘く蕩けたように微笑む彼を、降谷は優しく抱き締めた。



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