01

「ねえねえサイラス、これどう思う?」

千歳は手にしていた書類を持ち上げて背後に立った上司に示す。首だけで振り返るように椅子に仰け反ると、マグカップの底が視界に広がった。このマグカップには底に秘密があるのだが、この上司はそれを未だ知らない。気付いた時が面白そうなので、千歳はいつもそれを見る度ににやにやとしながらも黙っていた。

「こんなにお前向きな仕事は他には無い」
「えええええ・・・やっぱりそうなっちゃう?」

フッと鼻で笑ってコーヒーを一口含む上司は、ギシギシと背凭れを鳴らして口を開けて唸る千歳の額をつつく。

「嫌がってないで潔く帰国したらどうだ?暫く帰ってないだろう」
「そうだけどさ・・・」
「この間も日本食が食べたいと騒いでいたじゃないか」
「うぅ・・・白米・・・味噌汁・・・」

確かに、確かに千歳は割と頻繁に米が食べたいとか醤油が恋しいとか餡子が食べたいだとか騒ぐので、それが帰国すれば叶えられるのは魅力的ではある。暫く帰ってないのも確かだし、そろそろ一度戻らないと学生での申請しかしていないビザが切れる。けれど、

「面倒くさそうなんだよなあ・・・」
「デスクワークばかりなんだ、偶には現場に出て来いバカモノめ」
「って!」

ぽろりと溢れた本音は空かさずデコピンとなって返るのだった。

「はいはい、わかりましたよぅ・・・」
「まあ取り敢えず、いまのソレは片付けてくれよ」
「わー、鬼!」
「なんだって?」
「お仕事たのしいなー」

棒読みの千歳の台詞を聞き流して自分のデスクに戻ったサイラスは、文句を言いながらもよく働く部下である千歳を見て溜息を吐いた。
骨の折れるパソコン仕事を熟してくれる千歳を欠いた後のオフィスを憂う。日本人だからとなかなか表立って現場に出ることの出来なかった彼を現場に出せるのは良いことだが、他はいかんせん書類仕事に弱すぎる。嘆いているのはお前だけではないよと、生暖かい視線を千歳に向けながらカタカタとすでに画面に集中している部下を見やって再度の溜息を溢した。

「サイラス、データのやり取りなら出来ると思うよ」
「・・・そうだな」

本当に良く出来た部下だことで。そうサイラスは独りごちてまたコーヒーを飲んだ。



千歳は画面から視線を外して、またコーヒーを飲むのにマグカップを少し傾けた上司を見る。底のハートマークが此方を向いていた。
その可愛らしいマークは強面の彼に似つかわしくないようで、それでもとても似合っていてついつい千歳は含み笑う。

「ふふふ・・・ねえ、サイラス」
「なんだ?」
「俺が居なくて泣かないでよ」
「泣くかばか」

こんな軽口のやり取りも、それから彼の奥さんセレクトであるそのマグカップも暫く見納めだ。
己の妻にどれほど愛されているのかということを中の飲み物を飲む度、カップを傾ける度に主張しているその模様。厳ついナリをして存外可愛らしいオッサンである上司がそれに気付くのは一体いつになるのだろう。ひょっとしたら千歳が日本へ戻っている時かもしれない・・・それは残念だなあ、気付くところを見たかったなあ、きっと面白いのになあ。
そう思うくらいには、千歳はこの上司が好きなのである。



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