ひかりのひとたち

"今週末行っても良いですか"

頭痛のする眉間を揉み解しながら、ほぼ無意識に指を滑らせていた。

"いいよ。泊まり?"
"千歳さんが用がなければ"
"大丈夫。木兎にも声かけとくな"
"ありがとうございます"

意外にもすぐに帰ってきた返信に、フッと表情が緩む。そしてスマホを机の端に置くと、赤葦は中断していた作業を再開させた。



なんとか仕事を終わらせて、21時過ぎの新幹線に飛び乗った。
あちらへ到着する頃には日付が回ってしまいそうだったが、諏訪部へ連絡すると気にするな、と返信が送られて来る。追って続いた"おつかれ"という言葉を見て、肩の力が抜けた。このところ校了やイベント関連で立て込んでおり、その諸々が今日の夜には片付くと電卓を叩いた赤葦は、己自身のモチベUPと頑張りを称える為に諏訪部に週末の約束を取り付けたのだった。その張っていた気がふっと抜ける。

諏訪部が上京してきてから、高校時代よりも親しくなった赤葦は、大学の課題に追われて精神的にやられた時や、バイトで理不尽な事があってどうにも納得のいかない時などによく彼のところを訪れた。諏訪部は昔から後輩に滅法優しく、赤葦があまり変わらない表情をみせても、そこから小さな機敏を拾い上げてはいつも甘やかしてくれた。疲れていたり悩んでいたりするとき、言葉少なにも寄り添ってくれるその心地の良さは、一度触れてしまえば早々手放せるものではなくて、こうして就職した今でも、ままある距離をものともせずに頼ってしまいたくなる訳なのである。
木兎のチームが通訳を探していると聞いて諏訪部の事を木兎に勧めたのは赤葦だったが、この距離ばかりは失敗したなと思っている。学生時代に諏訪部と同居していた孤爪にも、この事についてはかなりネチネチと文句を言われた。これでは会いに行くのもこうして一苦労になってしまう訳で、赤葦のHPは色々と限界にほど近く、赤メーターも欠片くらいしか残っていなかった。

"新大阪の南口いるから"

終点で目を覚まして慌てて新幹線を降りる。急かせかと足を動かしながらスマホを持ち上げて、赤葦はぴたりと足を止めた。地下鉄に向かいつつあった目的地を、出口方面へ切り替える。まさか迎えに来てくれているとは思わず、申し訳ない気持ちが溢れる。
ロータリーへ着いてキョロキョロと辺りを見回すと、電話がかかってきて慌てて取り上げた。

「千歳さんすみませ、」
「右みて。青いカローラ」

開口一番に突いて出た謝罪を遮るように、諏訪部が車種を告げる。言われた通りに振り向けば、運転席からひらひらと手を振る諏訪部の姿があり、そちらに駆け寄ってサッと助手席に入った。

「おつかれさま」

そんな赤葦の様子にふっと表情を緩めた諏訪部がこちらを覗き込む。真っ直ぐに視線が交わり、目の奥や顔がカッと熱くなって、これまでの疲れが身体中に襲いかかってくるかのようにシートに深く沈み込んだ。顔を両手で覆い、声を絞り出す。

「…あいたかったです」
「なんだそりゃ」

ふはっ、と笑う声がしたあと、車がゆっくりと発進される。ちらりと指の隙間から運転席を盗み見ると、薄暗がりの中、街灯に照らされながら横目でこちらを見た諏訪部の腕が赤葦の頭へ伸びてきて、ぽすりと乗せられた。

「すぐ着くけど、寝てていいよ」

そのまま髪をくしゃりとされて、軽く撫でたあとに離れていく。はあ、と勝手に漏れた溜息が熱い。もうやだ、いつもはかわいいばかりの癖に、こういうところは本当にカッコいいのずるい。赤葦の赤メーターの弱った心はもう、諏訪部の甘やかしフルスロットにタジタジだった。

「・・・車持ってたんですね」
「いや、カーシェアだよ」
「ああ、あの駐車場のやつですか」
「そうそう。たまに使う時に便利でさ」

そうやってなんでもない会話で顔の熱を冷ましつつ、諏訪部のつくりだす柔らかな空気をスッと肺一杯に吸い込みながら、赤葦は車の心地良い揺れに自然と重くなる目蓋に抗うことなく身を委ねた。



翌朝、目を覚ますと諏訪部は既に出かけていた。
昨晩、車で寝入るまではいかなくともウトウトと微睡んだ赤葦を迎えたのは諏訪部に用意された軽い夕食と湯の張られた浴槽で、毎度のことながらの至れり尽くせりであった。それから早々に足りない睡眠を補う為にベッドに入れられたところまでは覚えているのだが。スマホを確認すると、夕方までに帰ることと冷蔵庫の中に食事が入っている旨の連絡が来ていた。時計を確認すると既に昼を過ぎていて、随分と寝過ごしてしまったようだった。

「・・・肉じゃが」

冷蔵庫の中を失礼すると、おにぎりと味噌汁と漬物と煮物が用意されていた。

「うまい」

もぐもぐとそれを食べながら、ぼんやりと部屋の中を眺める。
何度か来たことのある大阪の諏訪部の部屋の中、家主がいない部屋に放置されるほど信頼と親しみを覚えてもらっているのには、素直に嬉しさを感じる。昨日もわざわざ車を借りて駅まで迎えに来てくれて、赤葦の疲労具合を分かっているかのように最初から甘やかされまくりだった。いつも余裕が回復した時に羞恥やら申し訳なさやらがやってくるのだが、諏訪部は赤葦がそんなふうに甘えてくれるのが嬉しいと言い退けてしまうので、大学在学時から今に至るまで、ずぶずぶとこんな関係を続けている  諏訪部に特別な人でもできれば、そんな訳にもいかなくなるのだろうけれど  考えていたらなんだか悲しくなってきて、テーブルの上に頭を伏せて目を瞑る。



「おわっ、赤葦寝てるじゃん」
「ほんとだ。なんでこんなとこで・・・」

ガサガサとビニール袋の鳴るような音と共に、少しだけ潜められた会話が遠くに聞こえた。微睡みのなか、霞のかかったようなぼんやりとした頭で、その音だけを聞いている。諏訪部が木兎を連れて帰ってきたのだということだけはなんとなく理解した。

「相当疲れてんだな」
「ちゃんと休んどけばいいのに・・・京治、」

そっと触れる指先が、髪の隙間を通る。くしゃりと軽い力で握られるその手つきが、とても心地良い。呼ばれた名に頭を持ち上げれば、こちらを覗き込む諏訪部が眉尻を下げていた。

「寝るならちゃんとベッドで寝ろよ」

こちらを覗き込む顔が優しい。跡ついてる、と頬を撫でられて、その手に自分の手を添えた。頬擦るようにすると、宥めるように指先が動く。嗚呼、この人に会いたかったのだった、と満たされたような気持ちになる。

「千歳さん・・・おかえりなさい」
「ただいま。これから飯作るから、眠いならあっちの部屋で寝な」
「おっ、赤葦起きたのかー?」

声に反応して、諏訪部が困ったようにこちらを見ていた視線を、木兎の方へ投げる。それが少し気に入らないと思ってしまうのは、まだ寝起きで頭が上手く働かないからだろうか。

「手伝うので、千歳さんが料理するの見ててもいいですか」
「別に構わないけど、疲れてるなら無理するなよ?」
「千歳さん補給したいので」
「ふっ、なにそれ」

無視すんなよー!と木兎の不満気な声が聞こえるけれど、言葉ほどそこに赤葦を咎める色がない。

「赤葦ってほんと、千歳のこと好きな」

キッチンで買ってきたものを仕舞って、炭酸水を片手に出てきた木兎が諏訪部一直線の赤葦を見て、そんなふうに言う。勿論木兎に会えた事も嬉しいのだが、諏訪部に会いたいと思う気持ちは木兎に会いたい気持ちとはまた別のものなのだから仕方ない。木兎も諏訪部も、もう毎度こんな調子の赤葦に慣れてしまっているというのも、この空間が心地良い一因かもしれない。

「はい。だいすきです」
「ありがと」

優しく細められる瞳が、赤葦に向けてほろりと崩れる。この人のこの、柔らかく微笑む顔が好きだ。

「もーー!早く飯つくろうぜ!俺、腹減ったー!」

木兎の昔と変わらない楽しげな声に、元気な笑顔が好きだ。

「はいはい」

キッチンへ向かう2人の背をゆっくりと追う。窓の外から西へ傾いた日が差し込んで、その光景がなんだかとてもきらきらしい。眩しい  けれど、遠くに感じるようなものではなく、心があたたかくなるような、そんな光。

「木兎さん、お皿割らないでくださいね」
「はー?そんなドジしねーし!」
「木兎がいると高いとこのもの取りやすくていいな」
「そうでしょ!!もっと褒めて千歳!!」
「えらいえらい」

心から楽しいと思えるこの場所を、赤葦が大切にしているように、2人が大切にしてくれているのが分かる。あまり変わらないと言われる己の表情が、此処では緩んでしまっている自覚がある。

「今日の夕ご飯は何ですか」
「今日はすき焼き!」
「木兎が良い肉買ってくれた」
「うわ、ホントだ凄い。どうしたんですか木兎さん」

並んで準備をする、そんな何気ない事をしているだけなのに。

「俺もたまには赤葦を甘やかそうかなーと思って!」
「・・・じゃあ、お言葉に甘えてたくさん食べますね」

木兎の言葉に弾かれたように笑いが溢れる。
この2人には、いつも甘やかされている。そんな言葉をわざと呑み込んで、赤葦は不適に口角を吊り上げた。

「お、俺の分もあるんだからな!?」
「大人気ないぞ木兎ー」

嗚呼もう本当に、この為に頑張っているのかもしれないな、なんて。



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