「あ!!!」
「潔子さぁ〜ん!!貴女に会いに来ました潔子さぁ〜ん!!!」
「!?」
「あーあーもう西谷おまえ、清水に飛びつこうとすんのヤメロ」
「おわっ!千歳さん!!」
清水の影から出てきた千歳が、彼女を庇うように前に立つと、飛び跳ねた西谷がもう一度飛んで千歳にびたりと貼り付いた。その勢いに微動だにせずに好きなようにさせ、今のうちに行けと清水を逃す手腕は流石である。千歳には猛獣使いの素質がある。絶対ある。
「で、旭さんは?戻ってますか??」
西谷を引っ付けたままこちらへやってきた千歳からぴょこりと降りると、西谷は気を取り直したようにそう言った。
「・・・いや、」
菅原が視線を逸らし、澤村が声を落として言うと、カッとなった西谷が大きな声を上げた。
「あの根性無し・・・!」
「こらノヤ!!エースをそんな風に言うんじゃねえ!!」
「うるせぇ!!根性無しは根性無しだ!!」
田中が西谷を宥めようと近付くが、それを振り払うようにして西谷は体育館を出て行く。
「待てってばノヤっさぁん!」
「前にも言った通り、旭さんが戻んないなら俺も戻んねえ!!」
バンッと閉まる戸の勢いに、しん、と体育館に沈黙が落ちる。
「・・・なんですか?」
「悪い…西谷とウチのエースとの間にはちょっと問題が生じていてだな…」
何が起きているのかと尋ねる影山に、田中が気まずそうに答える。澤村が視界の端でこちらを伺っているのを分かっていながら視線を落とした菅原の隣に、千歳が並ぶ。きゅ、と握られた指先にそちらを見ると、千歳がなんて事のないような表情で手を引いた。
「孝支、ボトル出すの手伝って」
「・・・その前にお前は着替えなきゃだべ」
自分の服装をたった今思い出したと言わんばかりに見下ろして、それから照れたように笑う千歳に、少しだけ肩の力が抜けた。
・
夜。
トストストス、と聞き覚えのある足音の後、部屋の戸が引かれて、寝巻きのスエットを着た千歳が部屋に入って来た。
「今日こっちで寝る」
「・・・ちゃんと伯母さんに言ってきた?」
「ん。言ってきた」
もう眠そうな千歳が、すぐ横に腰を下ろして、菅原の肩に擦り寄るように頭を乗せた。
千歳は、いつも何も言わない。
菅原が悩んでいることに気がついていても、それを問い質したり、慰めの言葉を口にしたり、それとなく促したりすらしない。ただ、そういう時は、だいたい一人にしてはくれない。一日の中で、四六時中一緒にいる訳ではない。クラスだって違うし、部活が終わればそれぞれの家に帰る。親戚同士で家が庭を挟んだ隣なので、夕飯が一緒の時はたまにあるけれど、基本的には別だ。けれど菅原が何かを抱えている時、千歳は宿題とか予習とかを全部片付けた後、寝る時だけは菅原の部屋に押しかけて来た。一日の終わり、一番考え事に耽ってしまって、ともすればマイナス思考に陥ってしまいそうな時、菅原の隣には、いつも千歳がいる。
「・・・旭、戻ってくるかな」
ぼつり、と言葉が溢れるのは、これに対する返事が欲しい訳でも、反応が欲しい訳でもなかった。独り言のようなそれは、空気の中に解けて溶けていく。
「バレーってさ、」
隣で千歳が身動ぎをして、腕を持ち上げる。折りたたまれた足、膝の横にある古い傷跡を指先でなぞった。
「そんな簡単に嫌いになれないから、厄介なんだよ」
あのコートの中の緊張を、ネットの向こう側と散らし合う視線の鋭さを、ボールに触れた時の気持ち良さを、トスの上がる誇らしさを、スパイクを決めた時の快感を、一度味わってしまったら、きっともう、一生 嫌いになんて、なれない。
珍しく、つらつらと言葉を重ねる千歳の指に、菅原は自分の指を絡めた。
千歳がどんな思いでそれを諦めて、どんな思いで自分達の側に居てくれているのかを知っている。コートの外で、どんな時だって一緒に戦っていてくれているのを知っている。千歳が菅原を、烏野のみんなを、どれだけ大切に思ってくれているのか、知っている。
千歳に、"このまま"をこれ以上見せたくないと、そう思った。一歩を進まなくてはならないのは、旭だけではなく、きっと菅原とて同じだ。
「寝よ」
「ん、そだな」
同じ布団に潜り込む。千歳に背中を向けて、暗闇の中、瞳を開いてまだ考えを巡らせていた菅原の肩が、ぐい、と引かれて向きを反転させられる。腕が回って、ぎゅ、と抱きしめられている。
「こうちゃん、だいすき」
ああもう、ほんとうに。
「俺もだいすき」
ふふ、と笑う千歳の腕が離れていく。同じようにくすくすと笑いながら、目蓋を下ろして、頭を突き合わせるようにして、手を繋いで、眠った。