亀裂の始め
「……ん、」
「……目ぇ覚めたか」
目覚めた瞬間、すぐ側で低い声が聞こえた。
首を回す。
「……ごく、でら……」
ゆっくり体を起こせば、すっと目の前に何かが差し出された。
瞬きをする。
「……水?」
「要らないなら片す」
淡々と、いっそ機械じみた声音で告げられる。
暗い中にぼんやり浮かび上がる白い手を見つめ、その内から、そっとガラスのグラスを受け取った。
「……ここは」
グラスに口付け、ひと息ついた雛香は尋ねる。
明かりが点いていないので判断しづらいが、自分がどこかのベッドに寝かされているのは予想がついた。
ただ、もう慣れた医療室独特の匂いがしない。
「俺にあてがわれた部屋だ。怪我が完治したから今日からここに移動させられた」
「あ、ああ……そう」
やはり淡々と、傍らに座る獄寺は答える。
なんだかいつもと雰囲気が違う。そう感じたものの、違和感の正体が掴めない。
以前獄寺と会ったのはγとの闘いの時、それも彼は気を失っていた、あの時が最後か。
「……とりあえず、礼は言う。ありがと」
「……。」
「…怪我、治って良かったな」
「……。」
無視かよこいつ!
雛香は思わず頬を引き攣らせたが、椅子に座ったままの獄寺は俯いたまま無言を貫く。その口元に煙草は無いようだったが、そのせいで余計に不安になる。
(……ニコチン切れでイラついてんのか?タバコ過去に置いてきたとか?)
一応考えを巡らせてみるが、そんなアホな事はないだろう。
いったい何が、と首をひねりながらも雛香は起き上がりベッドから降りた。
「……迷惑かけて悪かったな、良くなったみたいだから、もう……」
「……かよ」
「は?」
「その体で、出歩く気かよ」
獄寺が、顔を上げる。
その銀色の瞳を見、雛香は思わず息を呑んだ。
こちらを見据える、鋭い目。
それは見据えるというより、突き刺すといった方が近かった。
「……な、ごくで、」
「てめえ、俺と山本を助けるためにアイツ相手に使ったんだろ、『催眠』」
アイツ?
一瞬誰のことかわからなかったが、すぐにγのことかと思い当たった。
無言の雛香を肯定と捉えたのか、おもむろに立ち上がった獄寺が、低い声で言葉を重ねる。
「次使ったら死ぬって、わかってたんだろ」
「……まあ」
自分より背が高い獄寺が立てば、当然見下ろされる状態に陥る。
いつもより奇妙な光を宿す瞳に若干たじろぎながら、しかし雛香も目をそらすことなく見つめ返した。
「……んでだよ」
「は……」
瞬間、
視界が大きく揺らいだ。
「……ふざっけんな!!」