君を咬み殺す3 | ナノ




涙の資格を失くす前に
 どちらかというと任務ばかりで、あまり家にはいつけなかったと聞いていたのだが。

「雛香ー!!見て見て、このソファー!!」
「うわお、マジか。まだ使ってたんだな」

 歓声とともに引っ張られ、雛乃に連れ込まれたリビングを見て雛香は目を丸くした。

 10年後の自分達が住んでいたというアパートの一室。心底2人がびっくりした事は、10年前、「現在」で自分達が間借りしている住居と同じことだった。つまり、10年前と同じ家。

「引っ越しとかしなかったんだな」
「ねー。刺客なんかにマークされてもおかしくなさそうなのに」
「まあ雛乃を狙う輩が来たら一発でノシてやるけどな」
「やだ雛香、僕のセリフ取らないでよ!かっこよすぎ!惚れる!」

 この場には2人しかいないため、貴重なツッコみ属性が不在である。

「これ、今も使ってるお揃いのマグカップだー!」
「こっちにも揃いの歯ブラシ」
「雛香がいなくなった時、寂しすぎてよく雛香のカップ使ってたりしたんだ」
「……そっか、ごめんな」
「あとよく雛香の歯ブラシも」
「そっか、ごめ……今なんて?」

 さらっと爆弾が投下された気がしたが、まあしょうがないよなと頬を緩めているあたり雛香も重症だったりする。おそらくここにツナか獄寺がいれば、雛乃の頭にツッコミという名の叫び声が突き刺さっているころだ。

「……なんか、安心した」
「ん?」
「……僕も雛香も、ちゃんと10年後も一緒にいるんだな、って」
「何言ってんだよ、当然で、」
「ねぇ雛香」

 瞬きする。
 コトン、とシンクにカップを置いた弟は、こちらをじっと見つめていた。

「……え」
「無理しないでね」

 言葉を失う。
 口を開け、しかし予想外の弟の言葉に、雛香は何と答えればいいのかうろたえた。
 そんな雛香を見て、ふっと雛乃は微笑みを浮かべる。

「僕なら、大丈夫だから」
「……雛乃?」
「雛香はね、いっつも自分のこと後回しにしすぎ。雛香は、」

 まるでいたずらっ子のように笑い、雛乃は言葉を紡いだ。


「――雛香の望む通り、生きていいんだよ?」

***



 多分、それは自分の言葉では無かった。
 否、半分は自分の意思だった。けれど、あんなにもするりと口から零れたことには驚いた。まるで、誰かが口から言葉を引っ張り出したように。

(……なんて、変か)

 自分の前、扉を開けて外を窺う雛香の背中を見(仮にも一応不法侵入)、雛乃はふっと息を吐く。
 それは雛乃が最近思い始めた事であり、兄の傍らによくいるようになった、あの黒髪の彼の姿が何よりもその原因なのだけれど。

 10年後も一緒にいる、その事実は嬉しかった。
 けれど10年前と変わらない、いや、まるでわざとかのごとく同じ家具や雑貨を見るたびに、少しずつ胸を塞ぐものがあった。
 変わらないものなんて、無いはずだ。なのに、これは。

 10年前の兄の心すら捕らえ出している、あの委員長の影がどこにもない。
 10年後なのに。10年経っている、そのはずなのに。

 多分、その違和感が発端だった。揃いの物がまるで、執着の道具のように見えて。

 ――執着。

 その一言が、脳裏に浮かんだ瞬間だった。
 言葉が、思考を飛び越え出ていたのは。


「……まるで、後悔みたいだったなあ」
「?雛乃?」
 なんか言ったか、と振り返った雛香が首をかしげる。

「あ、……ううん」
「そう?」
 不思議そうに言った兄が、扉を少しだけ開けすばやく外に出る。
 それから、当然のようにこちらへ手を伸ばした。

「ほら、雛乃」

 一瞬、自然にその手を取りかけて、――ふと、止まる。


『――……ごめんね、雛香』


「……雛乃?」
 再三の呼びかけに、ハッとする。
「ご、ごめん」
「いや、いいけど。……どうした?はしゃぎすぎて疲れた?」
 不安そうに覗き込んでくる雛香に、慌てて首を振った。
 引っ込められかけた手を慌てて取って、ダメ押しのごとくさらにブンブン頭を振る。
「なんでも!ちょっと白昼夢!」
「はく?!それ何でもなくないか?!」
 仰天した顔をする兄の手を引っ張り、雛乃は「何でもない!ちょっと雛香に見とれてただけ!」と繰り返した。




『……ごめんね、雛香。』

 今なら、言える。

 行ってきます、と笑い雲雀を追う彼の背中を、
 行ってきなよ、と今なら思いきり押せるのに。

 今、この瞬間なら。




「……きっと、何でもないんだ」
 そう呟いて、雛乃は明るい外へと駆け出した。
 一瞬、心に巣食った痛みは――きっと、気のせいだ。そう言い聞かせて。


 
 それはきっと、いつかの未来の、確かな後悔。





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