君を咬み殺す3 | ナノ




万事休す
「恭さん!!」
「煩いな。……この男には借りがあるからね」
 幻騎士に歯が立たず、さらには獄寺に庇われた雲雀は、不機嫌そうながらもそう言い鼻を鳴らした。

 目の前には次々と増殖し迫り来る球針態。轟音と耳障りな高音をあげる匣兵器は、暴走まかせのまま止まる気配は欠片もない。
 草壁の肩から今にも落ちそうだった獄寺を支え、雲雀はもう片方の肩に雛香を担いだ。

「……雛香」
「雛香さんは……外傷は、無さそうですが……」
「そうだね。でも……随分、苦しそうだ」

 心配そうに雛香の様子を窺う草壁に、雲雀は短く言葉を発する。
 だがその表情を見、草壁は雲雀の内心に気が付いた。

「……心配ですか」
「は?誰が」

 別に、ただ。
 そこで、一瞬伏せられた雲雀の瞳が、曇る。


「……雛香が苦しそうにしていると、僕が不快な気分になる。……ただ、それだけだ」


 数秒、空白を空けて――草壁は、雲雀に気付かれないように横を向き、なんとか口が緩むのを堪えた。

(……恭さん、それは……)

 10年後の2人の微妙な関係を知っているだけに、思わず頬が緩む。

(……心配していると、言っているようなものですよ)

 口には出さないまま、草壁はそっと笹川を背負い直した。


***




「雛香」
「……ッ、は……」

 呼びかけても、ぐったりと肩にもたれる雛香から返事が返ってくることは無い。その事実に無性にイラついた。イラつく――否、違う。胸の奥のあたりがぐるぐるする。
 痛むだとか、不快だとかとも言い難い。ただ、むかむかした。
 浅い吐息が頬にかかるのも、辛そうに寄った眉を見るのも、そして閉じられた目が自分を映さないことにもその唇が生意気な笑みを浮かべないことにも――全部。
 肩に乗った体は、妙なほどに体温が高く、熱い。

「……馬鹿」

 背後から迫る球針態に背を向け、地を蹴りながら雲雀は呟く。
 横に並ぶ草壁に絶対に聞こえないように、音量の加減を調節して。

「……僕の目の届かないところで、何やってるのさ」


 雛香が消えて、胸騒ぎを押し殺すように何でもないふりをして日々を送って。
 彼のいない応接室に、屋上に、並中に妙な違和感を感じながら、何かが上手くいっていない、そんな感覚をわかっていながら気付かないふりで押し通して、けれど。

『――雛香が、どこにもいないんです。雲雀さん……!!』

 真っ青な顔をした、あの弟が飛び込んできたその瞬間、
 やっと、自分の内に宿る違和感の正体を掴めたのだった。



「……壁が!!」
「罠……!」

 雲雀達が飛び込んだ先、音を立てて壁が動き出す。
 振り返った先でも壁が降り、退路すら奪われた。
 このままでは。
 雲雀は顔を歪めると、肩から獄寺を振り落とした。

「恭さん!他に匣兵器は……」
「もうないよ」

 片手で意識のない雛香を支え、大きく右腕を振り上げる。
 強烈な紫の炎が宿ったトンファーの一撃を、しかし迫り来る壁は容易く受け止めた。

「!!」
「耐炎性の、ナノコンポジットアーマーの壁……!」

 息を呑む2人の前、確実に近付く石壁。
 雲雀は唇を引き結ぶと、肩に担いでいた雛香を抱き直した。

「……ひ……ば……」
「!雛香?」

 今この状況で意識が戻ったのか。顔を覗き込んだ雲雀の前で、ゆるゆると瞼が押し上げられる。
 いまいち焦点の合っていない瞳は、潤んだ表面に雲雀の顔を映していた。

「……ん、で……」
「え?」
「、れの名前、よんで……」

 聞き間違いだろうか。雲雀は眉をひそめて、腕に抱えた雛香の瞳を見つめ返す。
 いつもは気丈な光をたたえた黒目は、今はどこか頼りなさげに見えた。
 まるで、今にも消えてしまいそうな。

「……まあ」
 呟き、雲雀は膝を折る。
 目の前には、迫る白壁。鼓膜をつんざく、耳に痛い轟音。
 背後で草壁が何か言っているようだったが、雲雀は振り返らなかった。


「……君と一緒に死ねるなら、案外悪くないかもね。雛香」


 雲雀が雛香の額に唇を落とすと同時、
 耳障りな音を立て、壁が全てを遮断した。


***




『……白蘭に、君はどうしてついているの』
『……あの人は、俺を救ってくれたから』

 互いに武器を向けているのに、その切っ先が交わることは無い。
 バカだな。最近、心の底からそう思う。
 思うように、なった。

『……どうして』

 スーツを年相応に着こなしているくせに、相手はたまにこういう目をする。
 見ているこちらが痛くなるような、子供みたいな目。


『僕では、……だめかい?』

 
 問われた言葉は――あまりにも、残酷で、容赦がなく。
 いっそ、その見かけ通りに遠回しにまわりくどく、それこそ大人な駆け引きをしてくれたなら、と思わずにはいられなかった。

 そうしたら、自分も狡くあざとくごまかせるのに。

『……ひばり』

 お前が、好きだと言えるのに。



 こちらを貫くように見据える黒は、いつも酷薄なほど美しく、そしてけして近付けなかった。





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