さよならは言わないから
「いくよ」
「……雲雀?」
突如3つの霧のリングを嵌めた雲雀に、雛香はうろたえ気味に声を掛けた。対峙する幻騎士も同じく困惑しているようだったが、雲雀に動じた様子は微塵もない。
ただ、取り出した匣に燃え上がる指先を近づけ、
――何の躊躇いもなく、全てのリングを無理やり嵌め込んだ。
「なっ、雲雀!!」
「雛香」
何してんだと言いかけて、突如ぐいっと引かれる肩。
思わず一瞬硬直し、硬い胸元の感触を頬で直に感じて、さらに数秒フリーズする。
だが、視界の端で輝く匣と轟音に、雛香は慌てて我に返ると同時、声をあげた。
「は、なっ、お前、こんな時に、」
「雛香」
再び、名前を呼ばれる。
その声音に、雛香は思わず息を呑んだ。
さらり、髪を梳き後頭部を強く押さえる手。頬に感じる確かな温もり。
すぐ横、光り弾ける匣兵器の輝きが目に痛い。
「――好きだよ、雛香」
その瞬間、
音という音が消えた気がした。
匣兵器の眩い閃光と炎に占められた白い世界で、
雲雀の体温と声だけが、体中に響く。
「ずっと、君を待っている」
耳元、
雲雀の囁きが、鼓膜を震わせた。
――いつまでも、この未来で。
「……――え、」
呆然と雛香が見上げたその先、
暖かい色に染まった黒の瞳が、ありえないほど優しく笑んでいるのが見えて、
それを認識した瞬間に、勢いよく肩を突き飛ばされた。
***
「……ほう。あの少年は、いいのだな」
「うん」
戦う人間以外を全て排除する、裏・球針態を発動させ、自身と幻騎士だけを中に残した雲雀が挑戦的に唇をつり上げる。
「あの子の顔を、最後に見たくはないからね」
「……?」
幻騎士が不可解そうな顔をする。
それを無視して、雲雀は足元に転がるトンファーを拾った。
(……宮野、雛香)
脳裏に次々と浮かぶのは、
果敢にナイフを振るうあの姿に、不敵に笑んだ表情、そして頬を真っ赤にしそっぽを向く横顔。
だがそれらに被さるようにして浮かんできたのは、もう少しだけ大人びた、自分のよく知る彼だった。
藍色と橙を同時に操る黒いスーツ姿、挑発するように笑んでは開匣する毅然とした表情、
楽しげに笑っては仕方ないなあ本当にお前はと紡がれる軽口が、暖かく染まる黒の瞳が、
「……さて、始めようか」
――雛香。
「スケジュールが詰まってるんだ。手っ取り早く終わらせないとね」
うっすら笑った雲雀の両の手の内で、鈍色のトンファーが静かに光る。
――どうか、次に目覚めた時は。
君がいる世界で、ありますように。