アクマイザー

平行線が近づく時
(続ホワイトデー/CASE1)



それは啄ばむような軽いキスだったが、黒サガの小宇宙に僅かなさざなみが生まれたのが判った。身体を離すと彼は手の甲で口元を押さえ、何とも言いがたい顔をしている。
それは、もう一人のサガが困ったときに見せる柔らかな戸惑いの表情に似ていた。
だが、すぐにその表情は影を潜め、代わりに突き刺すような視線がシュラに返って来た。そしてそれだけではなく、サガの右腕が伸ばされ胸倉を捕まれる。紅玉のような瞳が、光りを放つ強さで覗き込んできた。左手にはシュラから贈られた薔薇の花束を掴んだまま、倣岸と視線を合わせて黒サガは言い放った。
「今の行為、相手の承諾なく勝手に奪って良いものだとは知らなかったのだが」
殴られる覚悟でいたシュラは、黒サガが常識的な言い分で抗議してきたことに意表を衝かれる。それでも怯まずに言い返した。
「許せなかったらオレを好きにして構いません。謝るくらいなら最初からしていない」
「…ほお。では、どういうつもりなのか説明をしてもらおうか」
とりあえず話を聞く気はあるらしい。剣呑なまなざしはそのままに、黒サガは掴んでいた手を離して腕を組んだ。
「あなたが好きなんです。昔からずっと」
「下らんな」
「あなたが必要としているのは、もう一人のサガであることは知っています」
黒サガの瞳に冷えた怒りの色が灯ったが、シュラは話し続けた。
「だが、もう一人のサガが見ているのはあなたではないし、オレでもない」
「それがどうした。お前と傷を舐めあえとでも言うつもりか」
「違う。オレはあなたに、オレの事も見て欲しいだけだ」
シュラは十三年ものあいだ黒髪のサガに添いつづけ、その視線の先を共に見つめてきた。その視線の先にあるのは神の高みであったり、人の住む世界であったり、アイオロスであったりした。
たとえ視線の中に自分が収まる事はなくとも、傍らで彼を守る事が出来れば良いのだとシュラは想いを秘めて忠誠を捧げてきたのだった。
しかし女神が聖域に戻り、黄金聖闘士たちがすべて蘇った今、サガの影であるこの人は前触れもなくある日突然消えてしまいそうな気がする。ただ隣に並ぶだけではなく、しっかりと捕まえておかないと居なくなってしまいそうな気がするのだ。
それゆえ、シュラは行動に出た。
「慈愛に満ちたもうひとりのサガの事も好きだが、傲慢で冷酷で孤独で純粋なあなたの事を、オレは代えがたく愛しているのです」
常ならぬ饒舌で紡がれた告白に、黒サガは気圧されていた。しかし、直ぐに何かを隠すように下を向く。どうしたのかとシュラが次の言葉を言いあぐねていると、黒サガは顔を上げ、我慢できぬかのように、声を上げて笑い出した
「クッ…アハハハハ!真面目な貴様から、そのような戯言を聞くとは…」
余程おかしかったのか、黒サガの目じりには涙までうっすらと浮かんでいる。真剣に告白したシュラは憮然としていたが、黒サガは途中で笑いを抑えながら再び年下の元部下を見た。
「…貴様などに勝手に奪われたままなのは、業腹か」
言うなり、しなやかな指が乱暴にシュラの服を掴んで引き寄せられる。何事が起こったのか理解するまえに、シュラの唇を黒サガの唇がかすめた。
「-----!」
「これで、貸し借り無しにしてやる。笑わせて貰った礼も込みだ」
黒サガは何事も無かったかのごとく指先を外して、フイと踵を返した。そして背を向けたままシュラを誘う。
「弟が中で夕飯を作っている。貴様も食っていくがいい」
「あの…」
「それと、次からこういう冗談をする時には私の許可を得てからにしろ」
「え…いや、冗談では…」
言い募るシュラをその場に残し、黒サガはさっさと双児宮の中へと戻って行ってしまった。



「…というような事があったのだ」
どんよりと背後に暗雲をしょいこみながら、シュラはデスマスクに愚痴を零した。巨蟹宮は双児宮の隣に位置するため、上宮へ帰るにはそこを通るしかない。双児宮での食事の後、シュラは岐路にある戦友の宮へ押し込むと、居座って酒を飲み始めたのだ。
シュラは滅多に弱音など吐かぬため、珍しい事もあるものだとデスマスクは受け入れてやった。いつもより早いペースで杯を空けていく同僚を見て、もう1本酒の封を切るべきか、飲みすぎを止めるべきか悩む。結局、テーブルの上に置かれた透明な厚底グラスにウイスキーをまた注いでやった。つまみのピクルスも相手の側に押し出す。
「黒サガに殺されなかっただけめっけもんじゃないのか?つうかそれ、サガの弟に知られても怖えだろ。そのあとの食事ってどうだったんよ」
「…無言で三人で食った。カノンにはずっと睨まれていた気がする」
「うわー。オレ、その場に居なくてよかったぜ」
兄想いの激しいカノンが自宮での兄の人格の入替りに気づかぬはずが無く、戻った時にサガの手にある花束を見れば、何があったかは大体想像も付くだろう。
デスマスクは乾いた笑いを零しつつ溜息をついた。だが話を聞くに、どうもシュラも鈍いのではないかと思わざるを得ない。
「ま、そんな落ち込むなって。話からすると、事前申請して許可があれば悪戯しても良いってことだろ?脈が無ければそんなこと言わねーって」
「えっ」
シュラが、顔をあげ目を瞬かせる。そのようなことは想像もしていなかったという顔だ。
「しかも、サガからもキスされたんだろ?」
「ま、まあ、その…ああ」
「じゃあ、どこに落ち込む要素があるんだよ」
「オレはフラれたのではないのか?」
手から酒瓶を落としそうになり、デスマスクは慌ててつかみ直した。
「お、お前って…黒サガの性格判ってるんだか判ってねーんだか…アイツがそんな恋愛の作法や情緒を理解していると思うか!?」
「随分な言いようだが、確かに詳しくは無さそうだ」
「そんな感情、最初からアイツは興味の外だし理解もしていない。だがお前は拒否されなかった」
「受け入れられてもいないようだがな」
まだ疑いの目で見るシュラに、デスマスクは大げさなゼスチャーで肩をすくめた。
「そんな事はねえよ。アイツは本当にどうでも良い相手は切り捨てる。だから、お前は引かないで逆にどんどんアイツが知らない感情を教えてやれば良い。そんだけだろ」
「そういうものなのか?」
「お前は本当に情熱の国の人間なのかよ!」
「イタリア男を基準にするな」
「とにかく!それ、フラれてねえから落ち込むな。本気なら後は押しまくれ」
「押し捲れって、あの黒サガに…?」
「やりかたが判らないってんなら、オレが見本を見せてやろうか。頼めば案外簡単に寝てくれそうな気がするしな」
「…いや、それは止めてくれ」
頭を抱えているシュラを見て、デスマスクは自分もちびりと酒を舐めながらこっそり思った。
(この不器用男と無軌道鈍感サガが上手くいくのは、まだまだ先の話になりそうだ)

そして実際に彼らの仲はちっとも進展しないまま、周囲をヤキモキさせまくるのだった。


(2007/4/6)


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