アクマイザー

終末 ※R15
(続ホワイトデー/Bad Ending)



突然シュラに唇を奪われた黒サガは、何が起こったのか理解できない様子だった。
重なっていた顔が離れたのちも、驚愕の表情のまま、口を閉ざし硬直している。シュラはかまわず再度サガを味わおうと、頬を両手で包み込んで引き寄せた。しかし、その動きによって黒サガが我に返ったのか、腕ごと振り払われる。
「シュラ。貴様、どういうつもりだ」
地の底から響く低い声は、本気で怒っている事を示すシグナルだ。この声を聞いた相手は、大概命を落とすことになる。シュラは今までそんな場面を幾度となく見てきた。
黒サガは何であれ、自分の意思の外で他人に奪われる事を極度に嫌う。彼にとって世界は支配し奪うものであって、その逆はプライドが許さないのだろう。しかし、いまさら黒サガの怒りを怖れるシュラではなかった。命などはとうに捧げていた。
「貴方が好きなんです」
シュラはそれだけを伝えた。黒サガの形の良い柳眉が顰められる。
「お前の言っている事が、理解できない。私がその類の冗談は嫌いだと知っていよう」
「冗談でも嘘でもありません。オレはずっと貴方を望んでいました」
黒髪の覇者が、先ほどよりも冷たい視線をシュラに向けた。
(四肢の一本くらい落とされる覚悟でいたほうが良いかもしれないな)
真っ直ぐにサガを見つめ返しながら、シュラは他人事のようにそう考えていた。その程度で済むのなら安いものだと思いながら。だが、黒サガは動かなかった。

無言の時間が続いた。
さすがに焦れたシュラが次の言葉を発しようとした時、目の前で突然黒サガが崩れ落ちた。そこは聖闘士の反射神経で咄嗟に抱きとめると、腕の中でサガの黒髪が薄れ、光沢のある銀髪へと変化していく。波打つ豊かな髪から闇の色が消えたのち、もうひとりのサガが驚いたように目を開いた。
「何があったのだ?突然アレが奥に沈んで、私が押し上げられたのだが」
状況が掴めず、怪訝な表情で見上げるサガに、シュラは答える余裕もなく呆然としていた。
(…拒絶された)
そうとしか思えなかった。あの負けず嫌いの黒サガが、応えもせずに自分の前から逃げるように退いたのだ。衝撃が去ると、胸の奥底から乾いた可笑しさが湧き上がってきた。いつの間にか声にだして笑っている自分に気づく。その音は思ったよりも双児宮に響いて聞こえた。
「シュラ…?」
心配そうな問いかけを無視して、シュラはサガの身体から手を離すと身を翻した。
「お騒がせしてすみません。用はもう済みましたから」
それだけ伝えて去るのが精一杯だった。


それから暫く、シュラは双児宮へ足を向けることは無かった。任務も敢えて聖域から遠く離れたものを引き受け、十二宮内での時間を持たぬよう心がけた。自分の気持ちが落ち着くまではサガに会って平静を保てる自信もなく、また万が一黒サガが表に居た場合、彼のほうも自分の顔など見たくはないだろうという配慮が働いたためだ。
今日も、勅命先から麿羯宮へ戻ったのは夜が更けてからだった。あの告白の日からひと月ほどの歳月が流れているが、胸の痛みは相変わらず続いていた。
シュラは、質素な部屋のテーブルの上にぽつんと飾られている花を見た。それは黒サガに貰った白薔薇だった。
カミュに頼んで一本だけ永久に溶けぬ氷花として加工してもらったため、ほんのりと冷気を放つその花は、そこだけ華やかで月日の流れを止めている。その冷たさがまるで孤高の想い人そのもののようで、眺めているうちに小さく溜息が零れる。
(伝えなければ良かったのだろうか)
そうすれば、彼の傍には居られただろう。元々、想いを返される事までは望んでいなかった。
シュラは苦い笑みを浮かべた。
その時、麿羯宮の入り口に入り込む者の気配がして、シュラは笑みを強張らせた。届いてくる小宇宙は違えようもない、ただ一人の相手のもの。
「邪魔をするぞ」
可とも応えぬうちに勝手に入ってくるのは、彼しかいない。彼にしてはどこか小宇宙が薄いような気がしたが、深く考える前に黒サガはつかつかと歩み寄り、シュラを睨み付けた。
「人に勝手に言葉をぶつけておいて、ひと月も放置とは私も舐められたものだな」
「いや、しかし貴方は…」
言葉を発することの出来ないでいるシュラへ、黒サガは不機嫌そうに告げた。
「待つあいだ暇だったゆえ、お前の言葉の意味を考えていた」
黒サガは言うと同時にアナザーディメンションにより時空を歪め、何のモーションもなくシュラと自分の周囲の空間を切り取った。防ぐ事も構わず、瞬時に最低限の小宇宙で身を守ったシュラだったが、異空間から抜けると、そこは見覚えのある場所だった。それもそのはず、そこは同じ麿羯宮内の自分の部屋…それも寝台の上。強制的に場所移動を行ったらしい。
黒サガが布団の向こうから、淡々と続ける。
「私を欲しいと言うのは、こういう事なのだろう?」
「えっ、いやその、そういう意味ばかりではないのだが…」
「違うのか」
「違うとも言えないのですが…」
「はっきりしろ。お前が欲しいというのなら、私はそれでも良い」
突然そんな事を言われても、気持ちの切り替えが付いていかない。どうしてこういう事になったのかも良く判らぬままに、慌ててシュラは正直に答えた。
「戴けるのであれば…オレは貴方の全てが欲しい」
返事の代わりに、シュラの唇は黒サガのキスによって塞がれる。噛み付くようなキスは決して上手いとは言えなかったが、シュラはゆっくりとそれを味わった。何度も角度を変えて重ねられては、甘い余韻を残して離れていく。時折零れる吐息のような呼吸の合間をぬって、黒サガは哂った。
「勘違いするな…お前が私を手に入れるのではなく、私がお前を貰うのだ。お前という世界を」
戸惑いながらも、シュラはまた口元へと啄ばむようにキスを返す。
「随分と小さな世界ですね」
「小さいかどうかは、私が決める」
こんなところでも黒サガの専横ぶりは変わらなくて、シュラは目を細めた。黒サガが自分と同じ想いを持っているとは思わない。この行為も単なる好奇心か性欲処理か、それとも。
(誰かの代わりですか?)
つい、言いそうになった言葉をのみ込む。代わりにシュラは黒サガへ囁いた。
「では、オレの全て差し上げます」
「嘘をつけ…お前の忠誠はアテナのものだろう」
それでも黒サガが満足そうに見えたので、あとはもう言葉など交わさず、互いの雄を刺激する前戯を楽しむために貪りあった。シュラは幾分乱暴に欲望を叩き付ける。相手の嬌声が悲鳴にも似て、その時だけは僅かに心が痛んだ。この大切な人を、どうすれば優しく扱えるのか判らなかった。積年の想いが奔流のように溢れだして、とどめる術が無い。
行為のさなか、掠れる吐息まじりに黒サガが一度だけ言葉を発した。
「これ…が…、満たされるということ、か?」
シュラには答えようがなかった。ただひたすら動きを早め、黒サガが高みへと達する手助けをすることで、その言葉を流した。誰の代わりでも遊びでも良かった。
二人は獣のように、朝まで互いを求め続けた。



空が白んできた頃、行為を終えて眠っていたシュラは、隣で動き出した温もりを感じて目を覚ました。先ほどまでの激しい情交を思い出し、赤面しながらも瞼を開けたその目に映ったのは、困ったような顔をした銀髪のサガの姿だった。
(最初の日の朝くらいは、貴方のままで居て欲しかった)
動揺よりも先にわずかな落胆が訪れたが、それでも彼には説明をしておこうと口を開きかける。そのシュラを制して、サガは何故か頭を下げた。
「すまない。こういう事になっていたのだな」
黒サガとの事を謝罪される謂れはないため、シュラははっきりと言い返した。
「いや、貴方に謝られるような事ではない。むしろ、同じ身体の貴方には不快なことで、驚かれたかもしれないが、オレともう一人の貴方は、その、合意で…」
だが、サガはさらに困ったような、憐れむような表情で顔を上げた。嫌な予感がした。
「ここのところ、アレが私の中で薄まっていた。どういう事なのか不思議だったのだが、これで理由が判った。君が与えてくれたのだな」
何を言っているのか判らず、シュラはやや間の抜けた顔でサガを見つめた。その視線でふと気づいたようにサガはシーツで身体を隠すと、言いにくそうに聞いた。
「はかない心という童話を知っているか」
ますます話しの繋がりがわからず、シュラが首を捻ったまま黙っていると、サガはぽつぽつと語り始めた。
「ガラスの心臓によって命を吹き込まれた作り物の少女の話だ。ガラスの心臓は強い感情に耐える事が出来ない。そんな少女を愛する少年が現れ、少女もまた少年を愛した。父親代わりの作り主の男は二人を止めたが、二人は想いを伝え合った…『愛しています』と。だが、その瞬間にガラスの心臓は想いの大きさに耐え切れず割れてしまった。1番幸福な時に消えていけるのは、幸せなことかもしれないが」
「…その話が、この場にどういう関係があるのですか」
「そうだな。アレは別に、そのような繊細な命ではないが、ガラスの代わりに、私の渇望や妄執や憎しみ、そんなもので出来ていた。この世界を我が物とするまでは消える事の無い呪いのようなものだと思っていたのに」
サガはシーツを身に纏ったまま寝台を降りた。足を床につけた一瞬、顔をしかめるのが見える。おそらく腰が響くのに違いない。
「私の中を探しているが、完全にアレの存在が見当たらない。君がアレを満たすほどの充足を与えてくれたので、存在出来なくなって…消えたのだろう」
そうしてサガはもう一度頭を下げた。
「すまない、アレは君が好きだったようだから」
シュラはまだ、サガの言葉を脳内で咀嚼している段階で、謝られる意味が判らなかった。
「貴方の言っていることが、理解できない」
本当に意味が判らなかった。
(彼がオレを好きだった?そんな事があって良いわけがない)
あの黒サガがそのような気持ちを持つはずが無い。満たされたら消えてしまうなど、それでは自分に応えるという事は自殺のようなものではないか。
あの時の黒サガの言葉が、不意に思い出された。

『これが満たされるという事か?』

違うと言えば良かった。何故なら、自分は最後まで彼を信じなかった。こんな不実な気持ちで彼を満たして、彼から受け取れるはずだった想いを腕の隙間から零してしまった。もう二度と取り返しが付かないのだ。

サガがまだ何か言ってきたが、耳に入らなかった。
胸に空いた穴から、失った黒サガの代わりに呪いのような渇きがどっと流れ込んできた。


(2007/3/30)


[ホワイトデー]
→[平行線が近づく時]CASE1


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